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若狭発!ごみが出ない社会の仕組みを、次の世代へ(前編)

こんにちは、ERの鈴木です!

国による気候変動政策や脱炭素などの影響、過疎化・少子高齢化など、今後どの地域社会もトランジションが求められるなかで、私たちはサステナブルな形で新たなビジネスや産業をつくろうとアクションをする人たちを取材しています。
社会や産業の移行により様々な影響を受ける人々の「声」や「視点」を可視化すると共に、自律的にアクションする人たちの姿を発信していくことで、日本におけるJust Transition(公正な移行)とは何か?Just transitionに向けて必要なことは何か?を探求していくことを目的としています。
Just transitionの概念について知りたい方はこちらの記事もぜひご参考ください◎

汚れていく若狭湾、そして一大産業の変化

近年、少しずつ認知が上がってきている海洋プラスチックごみ問題。世界では毎年、1000万トンを超えるプラスチックごみが海に流入し続けているといわれおり、環境省の調べによると、年間2〜6万トンが日本から発生していると推計されています。
そんな日本も深く関わるプラスチック問題ですが、日本海唯一のリアス式海岸である若狭湾には毎年冬になると大量の海洋ごみが漂着。特に漁具やペットボトルなどプラスチックごみがほとんどを占めています。夏には観光客でにぎわうビーチも冬には一面プラスチックごみで覆われる有り様。しかも海ごみの処理には各市町村が毎年約1000万円ほど費用をかけており、国の負担もありますが、福井県全体では毎年5000万円〜1億円ほどの税金が海ごみ処理費として投入されています。(参考:福井県海岸漂着物対策推進計画 ~福井県海岸ごみ削減計画~令和4年度)

若狭湾に流れるプラスチックごみの一部(アノミアーナHPより画像引用)

対馬海流が流れる若狭湾は「御食国(みけつくに)」とも呼ばれるほど、豊富な漁場に恵まれ、海産物や塩などを都に運び、都の食文化を支えてきました。一方、高度経済成長期の過程で日本にある原子力発電所52機のうち11機が建設されてきたのも、実は若狭地域。1970年代の大飯原発建設の際には住民からの反対運動も起こり、その後スリーマイル島の原発事故時にも反対運動が起きた中で、東日本大震災時には福島第一原発事故を受けて全国の原発が停止し、人の分断も起きてきました。日本の原子力発電所は2019年時点で60基のうち24基の廃炉が決定・検討されており、なかでも日本の福井県若狭湾沿いでは13基あるうち5機の廃炉が進んでいます。

2019年時点での原子力発電発電所の状況(経済産業省資源エネルギー庁より画像引用)

さて、今回ご取材させていただいたのは、そんな福井県若狭湾沿いで海ごみアップサイクルの活動を進めるアノミアーナ代表の西野ひかるさん。美しく豊かな海に迫る海洋環境の変化にも20年前から携わってきました。2019年からは海洋プラスチックごみ問題にも精力的に取り組み、海洋プラスチックごみをアップサイクルする任意団体アノミアーナを立ち上げ、2022年には大手メガネメーカーとコラボレーションし、サングラスの商品展開にも成功されています。
そんな西野さんに、なぜ海ごみアップサイクルをやってみようと思ったのか、アップサイクルの面白さや課題は何か、若狭と”Just transition”で思うこと、今後地域で活動していくなかで大事にしていきたい価値観は何か、などについてお話を伺いました。今回は前編です。


減っていく海藻、無数に広がる海洋プラスチックごみ

− そもそも西野さんが海ごみを拾い始めたきっかけは何だったのでしょうか?

私は若狭で生まれ育ち、地元の高校を卒業した後、金沢大学へ進学しました。社会人ではフィットネスインストラクターなどで心と身体の健康づくりに携わったのち、2002年にUターンしてきました。もともとダイビングやシュノーケリング・ウィンドサーフィンをやっていたこともあって、Uターンした当初から「何か海のことをやりたい!」と思っていました。そのとき、友人の誘いもあって参加したのが「海のアクティビティに関する指導者講習会」で、そこでの小坂康之さんとの出逢いが1つのきっかけでした。
神奈川県出身の小坂さんは、現・東京海洋大学卒(旧・東京水産大学)で、高校教師としてIターンして若狭に来られた方でした。近年の海水温上昇や水質悪化などにより減っていく若狭湾の藻場や漁獲量の減少、海洋環境の変化を目の前に、海洋環境×教育で何かできないかと、小坂さんの当時の職場であった旧小浜水産高校で、高校生主体でアマモ再生を進める「小浜湾アマモマーメイドプロジェクト」を率いるなど、精力的に活動をされていました。

若狭湾におけるアマモの様子(環境省より画像引用)
高校生主体にアマモ保全を進める(環境省より画像引用)

私はというと、当時は公民館職員として働いていました。自分が子どもだった頃と違って、今の子どもたちが海へ遊びに行っていないことが気になっていました。そこで、公民館で「海の自然教室」を開き、その講師として小坂さんに来ていただき、若狭の海洋環境保全に向けて一緒に活動するようになりました。若狭の様々な海に通うようになりましたが、そのなかで訪れる度に目にするのは無数の海洋プラスチックごみでした。

中高生・住民など有志が一体となった海岸の清掃活動(小浜市広報より画像引用)

リアス式海岸の若狭には美しいビーチも多く、夏には観光客で賑わうなかで、冬場は季節風の影響で大量の海ごみが漂着し、ビーチのほとんどがごみで埋め尽くされてしまう海岸もあります。周辺の漁村はというと少子高齢化や過疎化で人もどんどんいなくなっているので、これじゃいかんと2013年からは水産庁事業を活用して、漁村活性化を切り口に市民サポーターなども巻き込みながら、海ごみを拾い始めるようになりました。

海で拾ったごみは〇〇へ、衝撃のごみの行方

ー 海ごみを拾い始めたなかで、西野さんがアップサイクルに目覚めたきっかけは何でしたでしょうか?

ボランティアでごみを集めるなか、2016年の冬、夏に集めた海洋ごみが漁港に置きっ放しになっていることに気がつきました。

漁港に置かれたフレコンバックに入る海洋ごみたち(アノミアーナHPより画像引用)

「何で置きっぱなしなんだろう?」と思った私たちは地元の人に事情を聴いてみました。すると、なんとせっかく拾った海洋ごみは福井県外の山の産業廃棄物処分場に運ばれ、埋め立て処分されていること、置きっぱなしになっていたのはその輸送が滞っていたから、ということがわかりました。海ごみを拾っていいことをした気になっていた私たちでしたが、集めたごみは山の処分場で埋め立てられているだけ。海をきれいにしようとすると、山がごみで埋まってしまうこの衝撃の事実を知ったあとは、何が正解なのか、どうしたらいいかもわからなくなってしまいました。そんなある日、とあるところから世界には海ごみがサングラスや服に変わる”アップサイクル”という概念がある、という話を耳にしました。「何それ!」と思った私たちは、早速アップサイクルに関して情報収集を開始。メーカーの工場に足を運ぶなど、積極的に調べるようになりました。
あと、テレビでたまたまやっていた福井県出身の工業デザイナーである川崎和夫さんのドキュメンタリーにも影響を受けましたね。グッドデザイン賞の会長も歴任されていた川崎さんは30代で交通事故に遭い、車いす生活を余儀なくされた方なのですが、その闘病生活のなかで車いす生活をしている自分が「弱弱しいもの」「痛々しいもの」という扱いを受けていることに気づき、その経験から、めちゃめちゃかっこいい車いすを作ったり、例えば男性の育児参加を進めるのであれば、スタイリッシュな抱っこ紐やベビーカーをつくるべきだ、という考えを提案されたりしていました。原発の反対運動を近くでみてきた私としては、デザインを通じてみんながかっこいいと思えるもの・羨むものにし、社会を変えていこうとしている姿は逆転の発想に見え、ものすごい衝撃を受けました。

アップサイクルをやってみたい・・!という想いが募った私たちですが、海ごみ問題を本気で解決していくためには海洋ごみの処理費用を担う福井県自体を巻き込まないといけないと思うようになり、福井県主催の「福井県ワクワクチャレンジプランコンテスト」に応募してみることにしました。すると、結果はなんと女性部門で入賞!いざ受賞をするとちゃんと事業として進めていけるか・・という不安も正直ありましたが、仲間からの「やってみよう!」という応援の声や、当時開催されていたラグビーワールドカップの選手の姿からたくさんの勇気をもらい、意を決して任意団体アノミアーナを結成することに決め、海ごみに関する実態調査を開始しました。

2019年福井県ワクワクチャレンジプランコンテスト入場時の写真、大のラグビーファンでもある西野さんは受賞を機にアノミアーナ結成を決める(アノミアーナHPより画像引用)

「原発の墓場の地域」にならないために、”厄介者”を”稼げるもの”へ

− コンテスト入賞をきっかけに本格的に団体としての活動を始めましたが、海ごみアップサイクルの楽しさや活動の原動力はどんなところにあるのでしょうか?

私の身内には原発の反対運動をしていた人がいて、私自身も若いころデモに参加したことがあるのですが、反対運動だけをずーっとやっていった先に何が残るのかな?と考えたときがありました。デモによって原発は止まるかもしれませんが、廃炉となったあとも原発は残り続けるわけです。反対運動というムーブメントは必要と思いつつも、この地域は何もしないままだと、本当にただの「原発の墓場の地域」として日本の立ち入らざる場所になってしまう。それに気づいた時に、反対運動だけじゃなくて新しく何かつくるものをしたい、廃炉以外のものをつくっていきたい、この地で積極的に明るい発信をしていきたい、と思うようになりました。
また私自身、若い時はそれなりにキャリアップしたい気持ちもあったなかで、色んな出来事や不幸が重なり、夢や未来がすべて吹っ飛んでしまった瞬間がありました。自分の生きるエネルギーが本当に底をつき、生きる屍状態がしばらく続いたことがあったのですが、そんなときに癒されたのが当たり前にあった若狭の自然でした。豊かな自然に癒されるなかで、自然環境保全であったり、海ごみ回収のシステムをつくるような、”新しい仕組みをつくる”ということには唯一自然とエネルギーが湧きました。
原発立地という地域に生ま育ち、目に見えない圧力を感じてきたなかで、アップサイクルのように何か具体的にモノが生まれていくのがすごく新鮮でとてもワクワクします。コンテスト受賞から5年経ちましたが、海ごみを手掛けることで新しい人との繋がりが生まれ、結果として大手メガネメーカーと原料調達で連携し、サングラスとして世に売るというところまでこぎつけました。実際海ごみが商品になったモノを見たときにはただただ驚きでしたね。藻場再生をやり始めてからはもう20年経ちますが、SDGsという言葉で世の中や大企業が動き始めたんだな、と感じています。

海ごみを原料に含むサングラス(アノミアーナHPより画像引用)

− アップサイクルというものの楽しさやワクワクもあるなかで、海ごみを扱うなかでの課題や難しさなどありますでしょうか?

若湾沿いは昔から漁業や観光業が盛んで、民宿を営んでいるところも多かったのですが、今はずいぶん少なくなっています。漁村も過疎化が進む中で、処理の難しい海ごみがどんどん打ち寄せてくるようになり、回収や処理の仕方、処理費用含めてどの集落も頭を悩ませています。自然物が多かった時代は燃やせば済んでいたものも、プラスチックごみが多くなったことで燃やせば悪臭が出て、野焼きが禁止されてからは罰金を課せられる事態も出てきました。放置すれば観光地としての美観を損ね、自分たちで処分しようとすれば産業廃棄物扱いで多額の費用がかかり、燃やせば罰金。それが、この地域の人たちにとっての「海ごみ問題」なのです。

アノミアーナによる有志による海ごみ拾い(アノミアーナHPより引用)

また海ごみアップサイクルは、回収から分別・洗浄・輸送に係る手間やコストが課題によく挙げられます。海ごみの量も多いため、回収自体にかなりの人数が必要となりますが、そこからさらにプラスチックの素材ごとに分別する必要があり、キャップやラベルを剥がしたあと、洗浄へ進みます。汚れが落としやすいようにカットしたペットボトルを水に浸けたり、いくつもの工程を経て、ようやく加工に回せます。
海ごみがお金になるとなれば、少しでも現状が変わっていくのかなと思ったりしていますが、一方で、商品として販売した後に自分たちや手伝ってくれた方々に還元できる利益自体はまだまだ少ないのが現状です。これまで地域の漁業者や青年会、地元中高生や県立大学の学生などと連携したり、洗浄では障がい者の方とご一緒したり、色んな人たちを巻き込みながら少しずつ動きを広めてきました。ですが、こうした動きを持続可能にしていくためにはそこからさらに自分たちが稼いでいけるモデルをつくっていかないと、と感じています。


以上、ここまでが「若狭発!ごみが出ない社会の仕組みを、次の世代へ(前編)」でした。

せっかく拾ったが陸へ捨てられてしまうことは衝撃でしたし、日本のごみが海外に流れ着いた場合には、若狭と同じような状態を生み出しているのかもしれないなとも思いました。

2022年には旧住友金属工業が関西の拠点としてきた和歌山製鉄所(和歌山県)で2基ある高炉のうち1基が休止したり、今年2023年には広島県呉市にある日本製鉄の製鉄所が閉鎖されたり、今後は原発や火力のみならず産業構造の転換が予想され、地域との関わり方も大きく変わっていくことが考えらえれます。

後編はさらにもう一歩踏み込み、なぜそもそも福井県若狭に原発が建てられるようになったのか、当時地元の人たちは原発立地についてどう感じていたのか、今後の若狭地域のトランジションとどう向き合っていくか、海ごみアップサイクルをどうしていきたいか、などを深堀りし、原発立地地域に生きる市民の1人として、また地域資源を最大限活用してビジネスを起こそうとしている起業家の1人として、西野さんから見える世界や考えを、お届けします。

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