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4.京都盆地のバッドランド・花崗岩と白川砂のなりたちを理解する。

枯山水は白い砂が京都にあったから生まれたの?を地質視点で妄想してみる。

 京都盆地の地形を理解する上で最も重要な岩石は花崗岩ではないでしょうか。その花崗岩があるのは京都盆地でも限られたエリア。比叡山と大文字山の間です。今回は花崗岩と京都の枯山水に欠かせない白川砂のお話です。

衣笠山山頂から比叡山と大文字山方面を望んだ景観

 上の写真は、左の山が比叡山で右の山が大文字山。その間のゆるやかに孤を描いて凹んでいる場所が今回の主役です。

比叡山から大文字山にかけての地質の概念図

 地質をみると中央部が花崗岩で比叡山と大文字山はホルンフェルスという硬い岩石でできています。ホルンフェルスって、砂岩や泥岩などにマグマが貫入した時、その熱で変成作用を受けて固くなった岩石のこと。マグマは地下深くでゆっくり固まって花崗岩になりますが、まわりにくらべて浮力があるのでゆっくり何万年もかけて地上まで浮上。このエリアでは花崗岩の部分が風化・侵食作用を受けて窪んでおり、ホルンフェルスは浸食作用を受けにくいので山として残ったのです。

花崗岩の拡大

 では、花崗岩はどのように風化していくのか、その仕組みを簡単にお話します。花崗岩を拡大で見ると、斜長石や石英、黒雲母、カリ長石など異なる鉱物で構成されています。花崗岩には摂理と呼ばれる割れ目が入ることがあり、そこに雨水や地下水などが入ることで風化のスイッチが入ります。暑い夏や寒い冬など寒暖差が大きい環境では、鉱物はそれぞれ膨張と収縮を繰り返し、そのうちに結合がゆるんでボロボロと崩れていくのです。

白川の沈砂池にたまった白川砂

 このエリアの花崗岩が風化すると白い砂(マサ土)になります。京都市の条例で採石が禁止されるまで白川砂と呼ばれるブランド砂として枯山水庭園などに使われてきました。 

カシミール3D(PC用ソフト)のカシバードで作成

 花崗岩エリアを鳥瞰《ちょうかん》で見てみましょう。広範囲に窪んでいることがわかります。赤いラインはフィールドワークをした時のGPSデータです。ホルンフェルスが分布している場所を歩きましたので、そのお話はまた今度に。

地形図を重ねてカシバードで作成した画像を加工

 地質図と河川を重ねてみました。花崗岩が風化して風雨のために侵食された地形をバッドランドと呼びます。もとの花崗岩は砕屑《さいせつ》され、白川と音羽川から流出して下流域にマサ土の扇状地を形成しました。

白川の河底

 白川を上から覗くと白川砂が川底に溜まっているのがわかります。いまも風化したマサ土は流され続けています。

観音殿 銀閣と銀沙灘と向月台

 白川にほど近い銀閣寺には大量の白い砂を使った庭園があります。銀色の砂の海をイメージしたといわれる銀沙灘《ぎんしゃだん》とプリンのような形の向月台《こうげつだい》。江戸時代に作られたようですがまるで現代アートのよう。枯山水の歴史は11世紀頃まで遡るといわれますが、白川沿いに溜まった白川砂を見て、作庭家はイマジネーションというか宇宙観を広げていったのかもしれませんね。

岡崎疏水の浚渫作業

 毎年冬場の風物詩になっていますが、岡崎疏水では一年間堆積した土砂を浚渫する作業が12月頃から行われます。土砂のほとんどは白川から流れてきたマサ土。機会があったら白川砂の粒を見てください。ガラスのような石英や白っぽい長石が見分けられるようになったら新たな扉の入り口です。

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