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メソポタミア美術とは? シュメール人・アッシリア人の表現力がすさまじい件

さて、大学の真剣な講義ってのは、意外と頭に残んないもんだ。専門的な内容はあんま話さずに、高田純次バリのテキトー加減でフラフラしゃべってたアゴヒゲMAXのおじいちゃん先生のほうが、意外と記憶に残っているのである。どうもこんにちは、キアヌ・リーブスです。ははは違うかぁ、ははは。

専門的な分野の話というのは、ちょっとユーモアがなけりゃ耳に入ってこないんだと思う。少なくとも集中力のない私はそうでした。

そんなテキトー加減で西洋美術史をお伝えしていく所存のこの連載。ぜひノートとペンを置いて、ビールと柿ピー片手に読んでいただけたら幸いです。

前回の第一回は「原始美術」についてお届けした。クロマニョン人が描いた洞窟絵画や動産美術の数々は、なんで作られたのか。それはほぼ憶測でしか分からない。そこにおもしろさがあるよねぇっていう話でした。

第2回の今回は「メソポタミア美術」についてご紹介。あの、謎に韻踏んでて超覚えやすかった「チグリス・ユーフラテス川」の近郊で栄えた美術様式です。

メソポタミア美術とは

「メソポタミアぶんめー」ってなんか言いたくなって困る。口が気持ちいい単語ランキングでも上位にくる。メソポタミア。メソポタミア「王政復古の大号令」とか「ガダルカナル・タカ」くらいのレベルですよね。

そんなメソポタミアぶんめーは紀元前5000年前~紀元前539年まで続いた人類最古の文明なんですね。紀元前6000年ごろから人間は小麦育てたり、山羊飼ったりしていた。つまり昔みたいにあっちこっち移動して「ヤー! パワー!!」つって槍もって獲物を追い回すんじゃなく、定住して農耕をしていたわけです。

そんな農耕社会にとって、チグリス・ユーフラテス川の存在はバリでかい。まず水がないと小麦育たんし。汚い水飲んだらすぐ病気になって死んじゃう。だから広大な川のそばで文明が発達したといわれています。で、定住するってなったら家がいる。だから日干煉瓦(れんが)とか木材を使って家を建ててたわけです。

家があって畑耕して山羊と戯れて、言葉もできていく。だんだんと「文明」が出来上がった。これがメソポタミア文明なんですよね。あぁ、なんかここではじめて知性を感じる。

初期のメソポタミア美術は彩文土器

そんなメソポタミア美術も、原始美術と同じ、実は時代ごとにいろいろ細分化されてます。4,500年くらい続いた文明なんで、そりゃもうひとくくりになんてできないわけですよね。

最初期は「サーマッラー期(紀元前5100年~4500年くらい)」と「ハラフ期(紀元前4500年~4200年くらい)です。この時期の美術品といえば「彩文(さいもん)土器」。こんなやつ。

彩文土器

壺とかお皿とか花瓶とか、まぁいろいろと作りましたが、その特徴は「模様」。量産型大学生みたいに画一化されてるわけじゃなく、めちゃめちゃ多岐に及びます。動物柄、格子、三角文、シェブロン、ジグザグ、市松と、ホントに形も柄もさまざまです。で、すごいのはかなり高度で緻密な柄になってるわけですね。これが素晴らしい。

ちなみに小麦をお皿に乗せてごはんパクパクしてたわけじゃなく、シャーマンの儀式で使われていました。

シュメール人の美術

で、そんな彩文土器時代が終わると、次にやってくるのが「ウルク期(紀元前3500年~3000年くらい)」や「ジュムデト・ナスル期(紀元前3000年くらい)」です。

あの、やたらミステリーの題材にされるシュメール人の文化です。なんもしてないのになんか陰謀論をぶつけられるんですよね。シュメール人って。かわいそうに。ちなみに「目がデカい」でも有名ですね。

シュメール人

もう「闇のちゃお」だろこれ。この辺あまり詳しくないんですけど、マジでこんな顔やったんかなぁ。誰も使わんSNOWのエフェクトみたいな顔をしている。

さてさて、このころになると、文明の進化がもう半端なく進みます。農耕していたコミュニティがだんだんと領地を広げていき、ちょっと「都市」みたいになってくるんです。すると「商業」が生まれる。神殿が作られてヒエラルキーができるんですね。で、コミュニケーションのために楔形文字ができてくるわけですね。

ちなみに楔形文字はあれ絵文字です。いま絵文字だけで会話するのけっこう難易度高いですけど、文字のスタートはそれだったわけだ。いやもう、たいへんですよ。もう後半とか意思疎通できな過ぎて「\(^o^)/」のラリーになりまっせ。オワタ。オワタ。

まぁそんな話はフリスビーで、このころになると人の頭部像がよく作られています。

女性頭部像

目のデカさもさることながら、まゆ毛がつながってますよね。これもシュメール人の大きな特徴です。両津勘吉はもう完全にシュメール人なわけです(暴論)。あの身体能力もうなづけます。

で、このころの頭部像のなかでも有名なのが「アッカド王(サルゴンⅠ世)」の像です。人類初の大王です。

アッカド王

アゴヒゲがもう、権力者でしかないでしょ。そう、もうこのころには支配者が誕生しているんですね。王様のお墓からはいろんな美術作品が出てきています。なんせ王墓に入れるもんですから、そりゃ力はいっとるわけですよ。

そんな美術品を見て、我々はシュメール人の技術力の高さを知った。いや、本当にすごいんです。「牡山羊の像」とか鬼かっこいい。

牡山羊の像

芯は木材なんですけど、表面には金、銀、銅(緑青)、ラピスラズリ、貝殻が覆っている。これだけの素材を使ったのもおもしろいですが、構図がきちんと左右対称になっているし聖樹のデザインも美しいですよね。

それと、この時代の超有名作品「ウルのスタンダード」

ウルのスタンダード

ラピスラズリとか貝殻を使って描かれたモザイク画です。で、おもしろいのは「戦争」とか「平和」について描かれている。王政のなかで、もうこのころにはそういう叙情的なことをアウトプットするスキルがあった。シュメール人すげぇんですよ。闇ちゃおとか言ってごめんマジで。

戦争のなかで描かれるメソポタミアの美術

と、まぁこんな感じで、もうおわかりでしょうが、かなしいことに既に人間は戦争をしまくっていたんですね。「都市」ができると「領地」ができる。「領地」には「権力」や「富」ができて、それを奪い合うってのは、紀元前3000年から変わらないんですね。もう「日曜劇場」とか「スカッとジャパン」も一緒ですからねこれ。気づいてくれ。香川照之の土下座みて喜んどるうちは、永久に戦争するんよ。

さーて脱線脱線☆。戻します。まぁそんな戦争の混乱のなかで美術作品も次々に出てきています。

ナラム・シンの戦勝碑

今はルーヴル美術館にある「ナラム・シンの戦勝碑」もこの時代です。構図がいいのはもちろんなんですが、ちょっと感情がこもっている。「ウルのスタンダード」とか、マジで全員棒立ちの真顔なんですけど、「ナラム・シンの戦勝碑」はちょっと人間味があるし、リアリティも出てきている。嘘偽りのない自然主義的な感覚も誕生してるんですね。

自然主義とは、そのまんま「脚色なく自然に表現する」ということ。なんといえばいいか。あの、文豪・田山花袋が「蒲団」って作品で好きな女が寝ていた蒲団の匂いを嗅ぎまくるっていうシーンとか。西村賢太が「苦役列車」で朝立ちした陰茎を押さえつけながらおしっこするシーンとか。「恥ずかしくないんかおい、すげぇなこの人」ってくらい嘘偽りない自然な表現のことです。

で、まぁそんな戦争が続いていくなかで、ウルクっていうコミュニティがシュメール都市国家を統合して「ウル第三王朝」をつくったり、それが滅亡して「バビロン第一王朝」ができたり、まぁ大混乱なんですよね。

そんななかで美術作品としてすごく大事なのが「ハンムラビ法典碑」でしょう。これもルーヴルにあります。なんと高さ2m越えの超大作です。

ハンムラビ法典碑

いわずもがな「目には目を歯には歯を」です。バビロンの王・ハンムラビが作った法典です。これフレーズが独り歩きしてイーブンの関係と思われがちですけど、全然ですからね。

もし人が、牛・羊・ロバ・豚、あるいは船であっても、これを盗んだ時は、もしそれが神殿や官廷のものである時はその30倍を賠償する。もしそれが臣民ものである時はその10倍を賠償する。もし盗人が賠償出来ない時は殺される。
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/5054/baby0730.html

いや30倍。ロバ一頭パクったら、ロバ30頭もってこなきゃ殺されるわけですから。無理無理。大のロバ30は無理よ。ちなみに強盗したら死刑です。目には目をじゃない。目には親族もろとも心臓を。くらいの激やば法典でした。

アッシリア美術からエジプト美術へ

で、この後に出てくるのが「アッシリア人」です。もうこのころって、実は人類はビールとか飲み始めています。麦を壺のなかで自然発酵させて、ストローで吸っていたらしいです。

アッシリア文明のちょい前のバビロンの時代には美術作品はあんまり進化しないものの、文学作品はめちゃめちゃ盛り上がります。人類最古の作品「ギルガメシュ叙事詩」とかね。これは王様のギルガメシュさんの物語なんですが、それくらいまぁ王政が発達していたわけです。王様バンザイの時代なわけですね。

で、アッシリア人が作った美術も「王様かっけぇ、まじ尊敬」ってやつばっかりです。『ウライ河畔の戦』は王様の戦う姿を描いたものです。何枚かの絵を横につなげてみる形で物語を描いた。これ、平安時代の「鳥獣戯画」とか江戸時代の「屏風画」と同じ感じなんですね。もっというと、コレをものすごく細かく描いて、パラパラ流したら映画になるし、コマ割りにして吹き出し付けたら、今のマンガになります。

絵にストーリーをつけるっちゅう、ものすごい高等技術がアッシリア人の時代には完成していた。これ、ほんと素晴らしくクリエイティブですよね。

また「ライオン狩り」も好きな作品です。

『ライオン狩り』

当時の人気のエンタメで、王様が家来を連れて馬に乗って遠目から矢を放ってライオンを狩るというものがあったらしいんですよね。「どうだ。王様ってこんなに強えんだぞ」ってのをアピールしていた。「いや、じゃあタイマンで剣を使えよ」とはツッコまないであげて。王もライオンは怖いのよ。

この作品もまた連作になっていて、すんごく長い。で、なんで評価されているかというと、シンプルに「めちゃめちゃ上手い」んです。

『ライオン狩り』

とにかくライオンの描写の精度が異様に高い。で、先ほどの自然主義が如実に出ている。逃げ惑うライオンも、立ち向かうライオンも、感情表現たっぷりにリアルに描かれています。作った人は「やっべ。王マジかっけぇ」と思いながら彫ったのかもしれんが、今見るとかなりかわいそう。動物愛護団体から麻酔銃撃たれそうなくらい悲しい。

で、最後にアッシリア美術のなかでも有名な「5本脚の獣」を。

人頭有翼獅子像

こんな感じで「顔は人、身体はライオン、翼がある」という像がいろいろ出てきています。大ブームです。シースルーバングです。で、まぁ脚を見てほしいんですが、5本ありますよね。前から見ると2本の脚があって、横から見ると4本あります。

何でこんなバケモンを描いたのか。当時のライオンって5本足だったのか。ちゃいます。これ、めちゃめちゃものすごく合理的な考えで、対象を最も分かりやすく表すために、このように描いたんですね。つまりライオンの足って前から見たときは2本、横から見たときは4本じゃないですか。そういうことです。絵というより「図」として分かりやすく伝達するために描いたわけです。

実はめちゃ高度な作品を残していたメソポタミア美術

ということで、今回はメソポタミア美術について紹介しました。

都市ができて、王が生まれて、物語ができて、エンタメが生まれた。これが「文明」ですな。そんななか主な美術作品は彫像とか浮彫なんですけど、素晴らしく技術力が高い。作品にストーリーがあるし、描写力もすんげぇ高い。シュメール人とかアッシリア人とか太古の昔の「体毛モジャ男」と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、いやいや全然つがう。立派に進化した人類なわけです。

次回はメソポタミア文明と同時期からその後に発達する「エジプト文明」についてご紹介。「絶対、来世あるから」と考えていたエジプト人たちの熱い情熱がこもった作品をみんなで楽しくみてきまっしょい。

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