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新感覚派とは? 前後の流れ、代表作家などを分かりやすく説明!

さて、昨日、横光利一の「蠅」について紹介しました。この作品を語るうえで簡単に新感覚派についても触れています。

個人的には「蠅」という作品というより、この新感覚派という野心に溢れた攻めっ攻めの表現者集団が好き(なかでも横光は太陽神)だったりする。今回は新感覚派全体について紹介をします。

新感覚派はリアリズムに反発して起こったコミュニティ

新感覚派以前の日本の文学を語るうえで、1880年代ので産業革命は外せない。これ以後、大量生産・大量消費の時代になり、日本では「一品一品ていねいに」から「おらー!スピード上げて死ぬ気で作れー!」と「いかに合理的に物を作るか」という考えになった。作れば作るほど安くなり、安くなるほど売れたので、とにかく人力で血反吐吐くくらい作ったのだ。

それに合わせて文壇も画壇も「リアリズム」が横行した。なんかもう日本全体が現実主義のビジネス思考になってしまったのだ。

つまりフィクションがある種「余計で無駄なこと」とみなされたのだ。当時は「梅の枝先にツバメが止まりこちらを見ていた」と書くことすら「嘘つけ! そんな完璧なタイミングあるか!」と批評家から怒られたそうである。

しかしこの合理主義が社会問題になる。今までになかった生産スピードを求めすぎて、労働者の環境が酷くなったのだ。労基法なんてない。最低賃金が底辺になり、過労死もあった。それを見て「合理主義とかどうなん?」となったのが新感覚派である。

実はこの流れは同じころにヨーロッパでも起きていた。向こうでは合理主義・ビジネス主義のあまり第一次世界大戦が起きてしまい「中流階級が戦争起こしたせいで芸術できんやんけ!」とダダイズムが生まれたわけだ。詳しい流れは以下の記事で説明しています。

新感覚派の面々にも「ヨーロッパでダダっていう運動があるらしい」と耳に入っていた。

新感覚派の母体は川端康成が立ち上げた同人誌「文藝時代」

新感覚派はもともと川端康成が立ち上げた同人誌「文藝時代」で書いていたメンバーで構成される。その第一号の巻頭が横光利一の「頭ならびに腹」という作品だ。

この作品の冒頭の一文は文壇にもうほぼ破壊的なまでの衝撃を与えた。リアリズム全盛の時代において以下の一文はあまりにセンセーショナルだったわけである。

真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。

蠅の記事でも書いたが、この独特な擬人法と比喩表現こそが新感覚派の特徴だ。リアリズムといえば目で見た物をそっくりそのまま書く手法である。そこに寸分の嘘もあってはならない。「へそで茶を沸かす」なんて書いた日には「へそに石炭でも突っ込んどるんか! 嘘つくなよおい!」と批評家たちから袋叩きに会う。そんな時代に横光は上の表現を打ち出した。

この文章を見て評論家の千葉亀雄は「おー!これぞ新感覚!」と驚いた。千葉亀雄といえば読売新聞、時事新報、東日新聞と渡り歩き「サンデー毎日」の編集長まで務めた敏腕だ。

「新感覚派」という言葉はあっという間に知れ渡り、賛否両論を巻き起こした。その後、日本のダダイストといわれる詩人・吉行エイスケから、シュルレアリスム的表現の稲垣足穂まで、新感覚派の枝はどんどん増えていき、表現もどんどん攻めていくのである。

最終的に新感覚派の枠に入ったのは以下の文豪たちだ。

・横光利一
・川端康成
・中河与一
・片岡鉄兵
・今東光
・岸田國士
・佐佐木茂索
・十一谷義三郎
・池谷信三郎
・稲垣足穂
・藤沢桓夫
・吉行エイスケ
・久野豊彦

新感覚派は解体後、超心理主義に移行する

新感覚派はその後、メンバーのうち数人がだんだんと理念から外れた作品を出すようになり、右とか左とか政治的な理念が一致せずに内部解体してしまう。

しかしその前衛表現に共感したのが「新興芸術派」でこれはけっこう悲惨な派閥だった。というのも新感覚派に完全に感化されただけの二番煎じになっており、作品自体も「お粗末〜!」と評論されたわけである。ヒカキンに憧れる大学生みたいな感じだ。これには川端も「いやちょっとミーハーすぎるわ。ジャーナリズムに踊らされたかわいそな奴らや」と閉口した。

その流れで近代の前衛文学は終わるかと思われたが、その後に「風立ちぬ」で有名な堀辰雄や伊藤整らが新心理主義を立ち上げた。これは精神分析や深層心理を駆使した文学派で、この動きには川端や横光なども反応した。横光は「機械」で、川端は「水晶幻想」で、それぞれこの無意識的表現に取り組んでいる。

この流れ、どこかで見覚えがないだろうか。そう! パリで起きたダダイズムからシュルレアリスムへの移行の流れとまったく同じなのだ。だいたい当時はヨーロッパでのブームから10〜15年くらい経って日本に来ることが分かる。今はSNSですぐだけどね。

20年後に川端康成はノーベル賞を受賞

こうして新感覚派は強烈なインパクトを残して颯爽と姿を消したわけだが、川端はこの約20年後にノーベル文学賞を受賞することになる。

ちなみにこの受賞理由は「ヨク日本人の心を世界に届けたネ!センキュー!」みたいな感じで、新感覚派のころの川端の作品は実はあまり関係ない。それよりもっと後期の「千羽鶴」とか「雪国」とかが対象作品だった。

しかしまぁ「文芸時代」がなければ翻訳されることもなかっただろうし、何より川端が和の精神を追求した途中には「水晶幻想」とか「禽獣」といったシュルレアリスム的作品があったのも間違いない。授賞式では、道元、明恵、西行、良寛、一休などの仏僧の和歌を引用しているあたり、この人はソウトウ精神世界に興味があったのだろう。

新感覚派がなかったら、今の日本の言語表現はないというのは流石に暴論だ。しかし、数年前に流行った「おけまる水産」とか、もう完全に新感覚派の言語感覚だと思う。この感覚的文章はいまの日本でも大いに味わえる。その発端となったのが、新感覚派だったのだ。興味のある方は、ぜひとも読んでみてください。

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