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メンヘラ女がマイメロ好きになる理由|アニメとTweetでマイメロ論の答えを出してみた

「私はマイメロだよ〜☆ 難しいことはよくわかんないしイチゴ食べたいでーす」

Quick Japanの2017年6月号に掲載された宇垣美里のエッセイ「マイメロ論」のパワーフレーズである。すごくいい言葉だ。最高。

そしてこのころから「マイメロ好き=メンヘラ」の法則という新しいステレオタイプが生まれた。つまり「マイメロ好き=宇垣美里=メンヘラ」という数式となる。彼女は辛いときに病まないための処世術を書いたのに、逆に「メンヘラ」という刻印を押されることになったわけだ。変な話である。

「マイメロ好き=メンヘラの法則」については、めちゃめちゃ多くの人から共感を得た。その結果、今ではマイメロディはメンヘラホイホイとして君臨。Twitterのコメント欄はもはや精神科の待合室と化している。

ではマイメロの何がメンヘラを惹きつけているのか。ここではマイメロディの現アカウントの呟き(3/13日現在で3871件)をすべて読んだうえで、その法則性を解き明かしていきたい。

マイメロディとは

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まずはそもそも「マイメロディとはどんなキャラクターなのか」について見ていこう。

言わずもがなマイメロディはサンリオのキャラクターの1つだ。1975年に開発され、当初は女児向け玩具のキャラクターであった。モチーフはうさぎを赤ずきんちゃん風に擬人化したものだ。

もともとの呼称は「LITTLE RED RIDINGHOOD(赤ずきん)」であり「オオカミのお腹から生まれた」というB級ホラーみたいな設定がある。2016年のマイメロディ展でのロゴデザインでは、オオカミの腹から顔を出すマイメロがいるのが分かる。また「オオカミの小腸で縄跳びをする」という、なんか江戸川乱歩のヤバい小説みたいなデザイン案まであった。

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この上の画像にも書いてある通り、当時からマイメロディは「頑張っている人にスイッチをオフにしてもらう」というマインドでブランディングしている。これはとても興味深い。メンヘラホイホイにつながる点である。

家族構成としては祖父母、両親、弟のリズムがいる。また友だちにフラットくんと、ピアノちゃん、ライバルにクロミ。特にクロミが人気となるのはご存知のとおりだ。かなりの姉御肌で一人称は「アタイ」。好きな食べ物はらっきょうとたこ焼きという、心斎橋の歯がないおじさんみたいな嗜好をしている。

アニメ「おねがいマイメロディ」でのマイメロ像

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さてプロフィールはこんな感じである。しかしマイメロのことをもっと知るために、アニメ「おねがいマイメロディ」を見ていこう。

「おねがいマイメロディ」では各話のタイトルがすべて「〜たらイイナ!」という希望的観測になっている。このゆるさがマイメロの精神を表しているといってもいい。

話の展開としては以下の通りだ。

悪役のクロミとその手下のバクが「人間界で黒音符を100個集めるとなんでも願いが叶う」と知り、人間界に行く。マイメロディは彼女らの企てを阻止すべく人間界に派遣される(自分がなんで人間界に行くのかはよく分かっていない)。というもの。

ちなみに人間界では、夢野歌という中2の女の子の家に居候することになる。ここの相場は小学生だろう。アニメ放映の主な目的はグッズを売ることなのだから。

ここを中学生にしたのがおもしろくて、恋愛要素も絡んできたりする。それによって傷つくこともあり、思春期ならではの心の不安定さも描けているのである。

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いっぽう、作中のマイメロは視聴者から「ナチュラルサイコパスじゃねぇか」とツッコまれることもしばしばある。空気をまったく読めず、マイペースで天然。その結果、世界を滅ぼしかけたこともあるほどのキャラクターだ。

また疲れることに異常に弱く、まずフィジカル的な体力がゼロに近い。そのうえ思考することを嫌い、面倒な話になると気絶する。素でヤバいやつであり、オオカミの小腸で縄跳び事件もうなずける。

ただし、これはある意味で理想的な生き方と言ってもいいだろう。何も背負っておらず(世界を背負っているのだが本人は自覚していない)、まったく悩み事はない様子だ。

宇垣美里のマイメロ論とは

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では、話を冒頭の「マイメロ好き=メンヘラの法則」に戻そう。この法則は宇垣美里のマイメロ論から始まった。その印象的なフレーズは以下の2段落だろう。

ふりかかってくる災難やどうしょうもない理不尽を、一つひとつ自主的に受け止めるには、人生は長すぎる。
そんなときには「私はマイメロだよ〜☆ 難しいことはよくわかんないしイチゴ食べたいでーす」と思えば、たいていのことはどうでもよくなる。

宇垣美里は確実に「おねがいマイメロディ」を観たにちがいない。彼女は放映当時、14歳なのでズバリ歌ちゃんと同い年である。

先述したようにマイメロはひょんなことから「世界を救う」みたいなミッションを与えられるが、当人はそんなこと気づいていない。究極のマイペースでど天然。でも三次元の人間にはこの芸当はできないから、宇垣はマイメロを憑依させているのだろう。

同誌では「殺人的に忙しくなったら、カリオストロの城の次元になりきって『面白くなってきやがったぜ』と呟く」とも書いている。一見、サバサバ系と勝手にイメージしていたが、内面はものすごい憑依型だ。戸川純に近い。

また以下の文章も面白い。

カメラが回っていないところで関西弁を使ったっていいじゃないか。母国語だぞ。(中略)マイメロが日本語を使っている時点で拍手してもらいたい。

……完全に憑依している。そこに拍手したい。彼女にとって、嫌な記憶は他人に任せておいて、幸せなことだけを考えたいのだと言う。これを逃避行動と捉えるのもよいだろう。しかし賢い生き方である。

そうやって辛いときほど微笑んでしまうのは、人生を真面目に生きていないから、なのかしら

……という文章があるが、いやいやまったくそうではない気がする。むしろ死ぬほど真面目に考えた結果、宇垣美里はマイメロになったのだ。

メンヘラの荒んだ心にマイメロは刺さる

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「宇垣美里はメンヘラか」といわれると、たしかにメンヘラの空気を感じる。彼女はメンタルが不健康になりそうな予感がしたら、マイメロという第二人格に委ねる。これは健康そうで不健康な雰囲気もある。

「別人格を生み出す」という行為は、個人的にはかなり危険な気もしているんです。マイメロを作り出しているのも自分であり、結局は自分がダメージを受けてしまうわけだ。

ただし彼女は文章として(しかも大手雑誌で)自分の弱い部分を堂々と書いている。しかも別に文体がヒロイックでもない。この部分を見ると、今は健康なのかもしれない。

少しだけ個人的な話をすると、私も17歳ごろに悲しいことがあり、逃避行動として別の人格を作ったことがあった。夢遊病にもかかってしまい「朝起きたら数キロ先のコンビニのトイレだった」というスティーブン・キングの映画の冒頭みたいな事件もある。

この記憶をいま私は普通に書けるし、鼻くそほじりながら人にも言える。口に出して心が疼くこともなく、別に忌まわしい記憶とも美談とも思っていない。ただの「なんでもない2年間」だった。宇垣美里も「アウトプットできる」ということは大丈夫なのかもしれない。

さて話を戻そう。彼女の「マイメロ論」を知ったうえで、マイメロの精神を見習おうとしている人は多いだろう。そのなかには、メンヘラが多いかもしれない。なぜなら「マイメロ論」が刺さるのは、辛い現実を受け流せない人たちばかりだからだ。

そこで「マイメロディ」というキャラが、いまどのように認知されているのかを観察してみた。ここからは公式Twitterの呟きを参考にしながら「なぜメンヘラはマイメロに惹かれていくのか」を見ていこう。

マイメロとクロミのメンヘラ向けツイートを4種類に分けてみた

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さて現在のマイメロの公式アカウントでは、2018年12月24日から2021年3月14日までに3871件のつぶやきをしている。ただしこれはアカウント刷新以降であり、以前にも呟きはあったが、確認できなかった。

今回は2017年以降に出てきた「マイメロ好きメンヘラ論」について書きたいので、よしとしよう。で、早速すべてのツイートを見た。初めて人の呟きをこんなに隅々まで読んだわけです。

すると「マイメロ好き=メンヘラの法則」に親和性が高い4種類のツイートを発見した。ここでは「聖母の呟き」「メンヘラ同調呟き」「等身大ポジティブ呟き」「クロミ強気女子呟き」と名付けてみる。では早速、種類ごとに以下にまとめてみよう。

聖母の呟き

メンヘラ同調呟き

等身大励まし呟き

クロミの強き女子呟き

4種類のツイートにメンヘラが集まる理由

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さて、こんな感じでまとめてみた。この4種類それぞれにメンヘラが反応するのは、すごくよくわかる。

傾向として、多いのは「聖母の呟き」と「等身大励まし呟き」だ。聖母の呟きは「がんばらないことの良さ」を神の視点から発信している。とにかく観ている人を「無条件で褒めること」が多く、フォロワーは他己肯定感をもらえる。宇垣美里もマイメロ論で書いた通り、褒められたがっていた。

また「等身大励まし呟き」では同じテーマを、フォロワーと同じ目線で発信している。自己肯定感MAXのマイメロと自分をシンクロさせて元気になれるような仕組みである。

またクロミの強き女子呟きでは、マイメロのテイストを姉御肌でツイートする。おもしろいのは、マイメロにはアンチがいるが、クロミにはほとんどいない。プリキュアに近い構図であり、女子校でモテる女子像なのだろう。

またこれがマイメロツイートのおもしろいところなのだが、たまにマイメロのメンタルも不安定になることがあるのだ。ちなみにこの時のコメント欄は「わかる」や「そういうときもあるよね」という言葉が出てくる。

この最後の「同調」というのが、メンヘラに受けるところなのかもしれない。ただのセラピーではなく、同じ悩みを持っている仲間としてのコミュニーションの場になっているわけだ。

マイメロ好きである限りメンヘラから抜け出せない論

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さて今回は、宇垣美里の「マイメロ論」から一気に定着した「マイメロ好き=メンヘラの法則」を掘ってみた。

なんとなく分かったのは 「心が弱る」→「マイメロツイートを見る」→「自己肯定感を得る」というサイクルに居続ける限り、メンヘラからは抜け出せないということだ。

マイメロに頼って自己肯定感を高めるのは、依存に近いものがある。どこかで身体からマイメロを抜かなきゃいけない。とはいえ宇垣のように「私はマイメロ」と思って逃げるのは、めちゃめちゃ賛成だ。しかし逃避をしなくとも自己肯定感を高められたら最高じゃないか。

メンヘラたちは全員が「脱却したい」と考えているだけではない。数年前に比べるとだいぶ減ったが「メンヘラである」というアイデンティティを失いたくない人もいる。もしかしたら深層心理では「メンヘラであるためにマイメロを好きにならなければ」と思っているのかもしれん。

ちなみに私は別に、メンヘラを悪く思っていない。メンヘラ肯定派なので、その生き方を正しいと思う。ただ、もし「メンヘラを脱却したいがマイメロ愛が止まらない」という方がいるなら、もっと根本から不真面目になることをお勧めしたい。

その考え方のために、宇垣美里の言葉をもう一度引用しよう。

ふりかかってくる災難やどうしようもない理不尽を、一つひとつ自主的に受け止めるには、人生は長すぎる。

この言葉を見ると、彼女の真摯さがとてもよくわかる。確実に真面目で良い人だ。ただそんな真剣に生きなくてもいい。メンヘラをやめるコツは、真面目に生きることをやめることだ。

「良い人」じゃなくていいじゃないか。別に人から嫌われてもいいじゃないか。会いたくない奴はLINEから消してもいいじゃないか。それで陰口を言われても、あなたはその人と一生会わないんだから。社会的に不真面目になることで、マイメロにならなくても、おおかたのことはどうでもよくなる。

……と私自身がだんだんマイメロ化してきたところで、今回の記事は終わりにしよう。最後にマイメロが素晴らしいことを言っているので、紹介させてください。

私は芸術、音楽、文学、マンガ、アニメなどの歴史を振り返っていくマガジンを運営しています♪ ぜひマイメロと一緒に読んでみてくださいね♡

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