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私が結婚生活で学んだ事2【問題深刻編】

前回の続き記事になります

私の身の上話をもう一つしておくと、中2で両親が離婚したのをきっかけにかなり長い期間鬱を患っていた
パニック障害も抱えていて、自殺念慮やリストカット、オーバードーズで救急車、過呼吸、過眠に不眠…色々あった(遠い目)
一番酷かったのは中2~高3あたりまでで、20歳前後に当時付き合っていた彼のおかげで一旦は殆ど完治したんです

別にそれを言い訳に使いたいわけでは無いのだけど
結婚して3年も経った頃、遂に私の精神が限界を迎えて鬱が再発した

当時の日記を見返してみたら、自分が記憶していた以上に深刻だったのでびっくりした
自分で書いておいて自分でびっくりした。笑
鬱がどんな状態なのかピンと来ない人もいると思うので、当時書いていたブログを一部抜粋して載せる


今日…色々あって、鬱が再発してしまった。
泣いても泣いても泣きたくなるし、涙腺崩壊。
過呼吸にはなるし、身体が勝手に「死」を選ぼうとするのが怖い。
母親のくせに弱い自分にまた自己嫌悪。
3歳の娘に「ママ泣き止んだ?」って慰められる始末…。

夫の言い分はわかる。
自分が直すべき点があるのも反省してる。
普段ならここで終われるのに、涙が溜まっては流れてく。
鬱になったことない人は、やっぱり「なんで泣くの?」って聞くよね…
mixiにかけば「また俺の悪口ばっかり書いて愉しいか」って言われる…

眠りたいのに、眠れない。
布団に入って2時間以上眠れないのがもう1年以上続いてるんだけど…
寝付けないから朝起きられない
普通の人が普通にしてることが出来ない
なのにどんだけ寝てなくても疲れてても眠れない

時々「死」が私を執拗に狙う
普通に出来るはずの、朝起きて夜寝るがなんでこんなに難しいんだろう…
頭が痛い、首が痛い、背中が痛い、お腹も痛い…痛くないところがない

私はきっと、頑張ってないんだろう…
少なくとも夫には、そう見えているらしい。
自分でもそう思うのに、どうやったらもっと頑張れるのかわからない。。
普通の人が普通に当たり前に出来ることが私には出来ていない…

なんでこんなに疲れやすいんだろう…
やっぱりただ、甘えてるだけなのかな…。

はよ病院行け!!!!(爆

これでも結構削ったんだけど、実際倍ぐらい書いてありました(^^;
いやー、鬱再発したことすら実は忘れてた!笑

タイムマシンがあったら8年前に戻って「今毎日バチクソ楽しいから!!夫ともめちゃくちゃ仲良いし、鬱も治るから!死ぬなよ!!」って励ましてきたい。。苦笑

なので、皆様ご心配無く。笑

子供が新生児~1歳くらいの頃は、夜中頻繁に起きるのが辛い反面、お昼寝も良くしてくれるので一緒に寝たりして、まだバランスを取れていたのだけど、子供がだんだん大きくなってくると、ずっと家に引きこもっているわけにも行かず。。
一緒に遊んで~とか、お外行きたい~とか言われるもんで、自分がしんどくても休めない時間がだんだんと増えていった

夫は、実姉も含めて超健康体で、滅多に頭痛すら経験したことがないような人で、生理痛はおろか、鬱についてもなんの知識も無かった。おまけに本も読まないw
今でこそ、TwitterやYouTubeが主流だが、2013年当時は、まだそれほどメジャーでは無かったので、動画でわかりやすく代弁して伝えてくれる媒体も無かった。
そう考えるとなんて良い時代になったのだろうか。笑

当時の私は、とにかく夫に理解されない身体と心の不調に疲れ果てていて、自分ではもうどうすることも出来ない状態になっていた

かといって、家に子供と二人でいたのでは休もうにも休めない
色々ピークに達して、反射的に子供を虐待してしまいそうになった瞬間に、これは自分だけの問題じゃない。娘の命にも関わる。このままでは殺してしまう!と悟った

テレビで虐待のニュースを見るたびに、明日は我が身と思うのだ
一線を越えてしまった母親と、そうでない私の違いなど、ほとんど無いに等しい

危険を感じた私は、住んでいた宮城から5時間かけて静岡に居る母の元に緊急避難することにした。
それはなにより、娘を守るためでもあった

お料理が作れなくなった。
お湯沸かせば娘に熱湯をぶっかけたくなる自分がいるし刃物が手を切り落としそうで怖い
なにより、今何をしようとしていたのか、次に何をするべきかわからない。
多分、不注意で火事とか起こしかねない。何にも出来ない。
普段出来ていたことが出来ない。

「ハルさん、僕、お弁当が作れないよ・・・」っていう、堺さんのセリフが頭に浮かんで涙が出た。
※「ツレがウツになりまして」と言う映画のセリフです

昨日、カっとなってTVのリモコンで思いっきり娘を殴ろうとしてしまった。
怖くなってごめんねごめんねって泣きながら抱きしめたら娘も号泣・・・

可哀相過ぎる・・・。もう一日だってこんな状況はごめんだ。。

明日はとにかく、朝、預かり保育に送って、帰りに新幹線のチケットを買って荷造りして送る。
どうか、それまで私が死にませんように。

夫は夫で、このままでは状況が悪化する一方だと感じていたのか
なんだかんだで約1か月半のプチ別居を受け入れてくれたのだった

あの時、離れていなければ私はひょっとしたら娘と心中していたかも知れない
物理的にすぐに会える距離で無かったのも良かった

静岡で心療内科に通い、服薬もして、ひたすらに寝たいだけ寝て過ごした
娘も、私と二人きりでいるよりも、ばぁばや、ばぁば(母)の再婚相手の方がとても優しいので毎日楽しそうだった
静岡のマンションはとても陽当たりが良くて暖かかった。

さて、ここまで読んだ方は、あーこの別居生活で夫婦仲を再構築したのね…と思ったかも知れない
でも現実はそんなに甘くない。爆

実際の所、夫がだんだんと変わっていったのは、それから後2年程かかる。


次回、本当に解決編です。思いのほか長くなってすいません。苦笑

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