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【国語】実用国語と文学国語の選択制は、吉と出るか?

2022年度、
来月からの学期から、
日本の国語は大きく変わります。

「実用国語」と「文学国語」から
どちらかを選択し、学びます。

未だに、ウソでしょう、
という思いがありますが、
決まってしまったんですから
門外漢は黙ってるしかない。

たしかに、 
今までの国語は、文学鑑賞に
偏っていた感は否めない。

本好きにとっては、
学校で文学に出会えるのは
良かったでしょうけど、
本嫌いにとっては
ますます本が嫌いになってしまう。
仕方なく、授業に退屈して
漱石や正岡子規の
写真にイタズラ書きするように。

本好きは人口的には
1割もいないでしょうから、
学校や文部省としては
新しい改革が必要と考えた。

そこへ来て、
世界読解力テストで、
日本の学力はかなり引くかった。
40か国くらい中、たしか
20位だったんですよね?

読解力の低下はヤバい、
なんとかしよう、
そうだ、文学じゃなく、
日常で使う日本語を題材に、
読解力や理解力を高めよう、
そうした背景から、
「実用国語」が誕生したんでしょう。

不思議なのは
なぜ、実用国語と文学国語を
同時に学ぶ必須科目に
しなかったんだろう?

同時に学ぶからこそ、
もう片方の授業が
あくまで車輌の片方だと
分かるのではないでしょうか。

よく、国語の先生の意見では、
生徒が文学に接する機会が
なくなるじゃないか?
というお話があります。

でも、将来、小説好きになる子供は
授業などがなくても
友人やサークルやネットで
自分から、自然と
小説を読むようになる。

小説嫌いな人には
無理矢理に小説を学校で
押し付けなくて済む。

それに、
実用国語は日本の国語教育史で
大変画期的なのも
間違いありません。

明治大正昭和時代
まだテレビやラジオがない時代、
標準語の普及が
大きな任務でした。

「お母さん」「お父さん」
という単語は、
明治半ばに、
教科書を通じてはじめて
日本全国に広まりました。

それまでは、
武士コトバ
商人コトバ、
山ノ手コトバ、
村のコトバ、
それらを統一する単語は
なかったので、
これでは意思伝達に困ると
考えた文部省は
東京山ノ手で使われていた
お母さん、お父さんを
日本の標準語にしたんですね。

かなりの苦情が
文部省に寄せられたそうです。

国語教育には
まだまだ怖ろしい時期がありました。
敗戦後、
日本が戦争に負けたのは
日本語が立派でないからだ、
などと志賀直哉ら作家や知識人が
言い出し、
もう少しでフランス語が
国語になるところでした。

「旧かな使い」を廃止する時も、
世論は分かれ、議論され、
今の新かな使いの文字が
使われるようになりました。

また、割と新しい時期では
平成時代、
英語を公用語にしようと
政府や学者が本気で
動いていました。
音頭をとっていた人が亡くなり、
その企てはなくなりました。

国語って、ときどき
とんでもない暴論が湧き上がり、
現実味を帯びる時があるんです。

今回の実用国語と文学国語の
選択制度はどうなるんでしょう。

私は、選択制度ではなく、
両方やった方がいいのでは?
と思うのですが、
もう来月から、
新システムの国語が始まりますね。

noteにだって、
バリバリの自己啓発(実用国語?)と
感性的な文学鑑賞や創作(文学国語)と、
2者にわかれているように、
両方あって、
でも共存しているように(笑)。

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