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【戦後作家の肖像④】島尾敏雄「死の棘」は純愛か、売名行為か?

戦後作家の肖像、今日は第4回目。
島尾敏雄という、
渋い作家についてお話をしたい。

島尾敏雄。
1917年〜1986年。

代表作は『死の棘』ということに
なっています。
タイトルは実にエグいですね。
死の棘、しのとげ、ですからね。

これは、島尾敏雄が
浮気をしていたことが
妻のミホさんにバレて、
ミホさんが精神を壊し、、、
という、自分自身の家庭崩壊を、
描いた長編です。

妻を精神障がいにさせた事実を
そのまま書くなんて、
誰の得にもならない行為。

ただ、妻が精神病院に
入院する事態となり、
島尾敏雄も看病して
一緒に過ごす顛末もしっかり
描いていきます。

浮気をした最低な夫、
それを知った妻の人格崩壊、
その後、一転して、
妻を治すため献身的に看護する夫、
次第に回復していく妻。

確かにこれは
フィクションであれば
ベタな不倫小説として
少し話題になるくらいの
作品だったかもしれませんが、
この『死の棘』は、
私小説なんです。
自分や妻や子供たちの、
修羅の日々を描いています。
看護する自分を描く部分は
売名行為では?と勘ぐりたくなる。

ただ、島尾敏雄の私小説は
いわゆる私小説とは違います。
とても俯瞰というか、
一歩下がった視点が
自身の絶望や奥さんの修羅を
見つめているんです。
不気味な私小説ですね。

新潮文庫『死の棘』のオビには
こんなキャッチコピーが。
「絶望的な煉獄か?
究極の夫婦愛か?」と。

そうして、
ルポルタージュの達人
梯久美子さんが
島尾ミホさんの内的世界に迫った
『狂うひと』を描いて、
ノンフィクション賞3冠を
獲得しました。
その労作は、
本当に狂っていたのは、
夫だったのか?
妻だったのか?
実に執念深くインタビューを
重ねています。

それはつまり、
どちらがまともだったのか?
という問いかけなんですね。

そんな謎めいた関係性が、
この『死の棘』を、
ベタな不倫小説ではない、
奥深い作品にしています。

さて、この作家、
島尾敏雄を
稀有な作家にしたのは、
彼が特攻隊の生き残りだったことに
よるようなんです。

終戦8月15日の直前の13日に、
特攻隊として出動を命じられたのち
島尾は死に装束の白い特攻服に
身を包んだまま、
いつまでたっても、
司令部からの出動命令が出ず、
島尾は今か今かと待ち続けました。

この体験がどれだけ、
心に大きな穴をあけ、
虚無感を植え付けてしまったか?

元来、特攻という作戦は、
死滅を承知で敵の空母などに
真正面からぶつかる、
身も蓋もないものでした。

ですが、当時は、
合法的に自殺を命じる、
この作戦に反対できませんでした。
(一部にはいたようですが)

島尾敏雄が特攻隊の生き残りとして
虚無的な精神であったからこそ、
自分自身の夫婦の修羅を
まるで他人事のように
クールに書けたのかもしれません。

やはり、島尾敏雄も
戦争によって精神を壊された
戦後作家であることは間違いない。

ちなみに、
島尾敏雄の世界に入る場合、
『死の棘』はヘビーすぎます。
特攻隊で死にきれなかった
体験を描いた
『出発はついに訪れず』や
『その夏の今は』などから入るのが
おすすめです。短編ですから。
とはいえ、戦争で死にきれなかった
体験はそれはそれでヘビーかあ。

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