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【戦争とアニメ】私たちは戦争文学や戦争アニメを、反戦や平和のために観るのではありません?

もうすぐ敗戦記念日ですね。
8月15日。
明後日、8月6日は
広島が被爆した日。
8月9日は長崎が被爆した日。

敗戦から70数年。
『黒い雨』『海と毒薬』
『レイテ戦記』『野火』
『時間』『神聖喜劇』
『出発は遂におとずれず』
などなど戦争文学は
枚挙にいとまないですが、
これらを今の20~40代に
オススメはしにくいですね。
ちょっと暗いし、じめじめしてて。

でも、数年前、アニメで
広島の原爆時代を描いた
『この世界のかたすみに』
大ヒットしましたよね?
テレビドラマにもなりました。

あ、あれはそういえば、
もとは漫画だったんですよね。
こうの史代さんという
熱烈なファンが沢山いる
人気漫画家さん。
この作品を書く前にも、
こうのさんは
『夕凪の街・桜の国』という
広島の原爆の時代を書いてました。

ところで、
こうした戦争文学や
戦争アニメ、戦争漫画、
戦争映画って、
もちろん、平和を願う気持ちが
根っこにあるし、
反戦の意図もあるに違いないのに、
なぜでしょうか?
そうした文学や漫画や映画に
惹かれるのは、
反戦だけではない気がするんです。

戦争を知りたい、
戦争を生きた人を知りたい、
そんな好奇心がどこかに
「反戦」のかげに隠れて
潜んでいる気がするんです。

もちろん、戦争賛成とか
そんな気持ちではありませんよ。

ただ、理想的な反戦の願い
だけとはどうも思えない。

あのアニメ映画
『この世界のかたすみに』や
映画『黒い雨』を見て
一番感じるのは何でしょう?

戦争で亡くなった沢山の人?
戦争がなければ生きていたかも
しれない沢山の人のことを
想像したり出会えたり
できるからかもしれません。

これこそは、死者を悼む、
ということでしょうか。

私たちが戦争文学や戦争アニメに
惹かれるのは、そんな沢山の、
もう話しかけても届かない、
死者たちを悼みたいという
気持ちがあるからに違いありません。
       
反戦の演説はなぜいつも
心深くには染みてこないのか?
間違った話は何もしてないのに…。
それがずっと疑問でした。                                                                                                                                                                                                                                                                                   

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