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【読書】作品に身を任せるススメ。自分の価値観はふにゃふにゃに。

若い時。高校や大学時代は、
自分の思考法を曲げないし、
何かと疑って斜に構えた態度で、
小説やエッセイや評論を読みがちで…。
若い時にはつい、そうなりがち。

若い時、私は夏目漱石の『こころ』を
決して名作ではない、失敗作だと
言いはっていました。
「先生」のキャラクター(人物造形)が
矛盾してるとか、
奥さんがまるでのっぺらぼうだとか、
殉死の普遍的な意味がピンと来ないとか、
まあ、偉そうに、偉そうに…汗(笑)。

読書には、少なくとも
2つのスタイルがありますね。

確固とした自分をもち、
自分の尺度を維持したまま、
知識やあらすじを読み取り、
理解しようとするスタイル。
こちらが一般的なスタイルでしょうか。

もう1つの読書スタイルは、
自分の尺度や価値観を
ふにゃふにゃに無くしてから、
相手(作品や作家)に自分の身を任せ、
相手に自分を預けるスタイル。
作家というトランポリンに乗るような?

これは、斜に構えて批評的に読む
知的な読書スタイルよりは、
実は体力も知力もかかり、大変です。
その作家に成り切る必要があるから。

漱石が『こころ』で書きたかったのは
何だったのでしょうか?
と若い私は考えていたかしら?

当時は、朝日新聞社の専属作家として
会社とどんな力関係にあったか?
体調やメンタルはどうだったか?
また、前作『彼岸過迄』『行人』では
「エゴ問題」を掘り進めたけど、
おそらく漱石は満足してなかった。
だから違うアプローチをしたな?

また『こころ』の後には、
自伝的小説『道草』を書いてる。
ずっと懐疑的だった自伝的スタイルに
チャレンジしたのは、
それまでの、所謂こしらえものでは、
自我(エゴ)問題は極めにくいと
漱石は考えたに違いない。

でも、自伝風小説『道草』でも、
エゴの問題は解き明かせず、
漱石は最後に典型的な心理小説
『明暗』に取りかかったんですね。

『こころ』を読む上では、
その翌年に大病して寝込みながら書いた
『硝子戸の中』というエッセイが
当時の漱石の毎日の気分が
語られていて、とても面白い。

約10年間で、
前期三部作、後期三部作、短編などを
書いていった夏目漱石にとって、
『こころ』は1つの「点」に過ぎない。
『こころ』を本当に理解するためには、
一本の「線」として、漱石の作家人生を
理解していくと、作品たちが
全然違って見えてきます。

作品を「点」として読む。
作家の人生行路は「線」として。

そういう風に「点」として
『こころ』を読んだならば、
学生時代のようには読まない、
というか、読めないですね。

若い時は、自分の考えを中心に
本を批評的に読みますが、
歳を得るにつれて、自分を解放し、
相手に身を任せる体験をしたくなる。
読書はそんな体験に一番向いている。

どうせ、人間はずっと自分と
長い間付き合ってく訳ですが、
たまには誰かに身を預けるのも悪くない。
誰に身を預けるかは多いに迷いますが(笑)。

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