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【映画化】文豪作品の映画化って、なぜヒットしないのだろう?

安部公房はとても
映像化に向いている、、、、
現にいま、『箱男』の映画が
公開されています。

と書いて、はて?と
頭によぎることがありました。

基本的には、
漱石や鴎外や太宰や三島やら、
いわゆる文豪の純文学は
映像に向いてない気がするんです。

昔、戦後の昭和時代はやたら、
純文学が映像化される時期があった。
映像化しようと考える
監督やプロデューサーがいたんでしょう。
だから、よく名画座では
そうした特集がやっている。
  
純文学の映像化は、
今の目線から見たら、
おしなべて厳しい仕上がりだ。
純文学の名作なら、
映画にしても成功すると
安易に考えられていた時代なんだろうか。

最近では、
島崎藤村の『破戒』が
間宮祥太朗主演で、
また、太宰治の『人間失格』が
小栗旬で映画化されたけど、
話題にもなっていない。

ただ、昭和時代は、
文豪作品に主演することが
人気女優の関門だったみたいに
人気女優はこぞって 
純文学のヒロインになった。

それを観てみたら、 
悲しいくらい面白くない。

漱石の『それから』や
三島由紀夫の『潮騒』
川端康成の『雪国』は、
小説としては名作ですが、
下手にストーリーを
変えたりができないから
ストーリー通りに作るしかない。
でも、小説の「文法」と
映画の「文法」はそもそも
別物なものだから、
小説をなぞるように作っても、
「映画の文法」から離れてしまう。
つまり、映像としては
失敗作になってしまうんです。

だからでしょう、
文豪の純文学作品は 
期待して観ないほうがいい。

でも、なかには、
うまく映像化してある作品も
あることはあります。

ただ、一人、
とても映像が刺激に満ち溢れそうな
谷崎潤一郎です。

谷崎潤一郎『細雪』は
市川昆監督が撮った映画がありますが、
原作を鵜呑みにせず、
原作をうまく処理しているから、
じっくり魅せられます。
原作に縛られてないから
うまく行ってるのでしょう。

それに、
エロティシズムや
禁欲やSMがテーマになっている
谷崎潤一郎の小説は、
『卍』にしろ『鍵』にしろ
安部公房と同様に、
映像化しやすい。

自意識過剰な人間の滑稽さが
ひたすら追求される
太宰や三島由紀夫、大江らは
内面下でのドラマが
メインになるから、
どうしてもビジュアル化には
向いていないんですね。

ずっと頭の中、心の中だけでは
どんなに劇的なドラマが
起きていたとしても、
外面には動きはないですからね?

あれ、でも、そういえば、
林芙美子の舞台『放浪記』は
わかりやすい苦労と成功ドラマだから
人気になったんでしょうし、 
同じく林芙美子の『浮雲』の映画は
名作とほまれ高いですが、
これは撮った映画監督が
巨匠、成瀬巳喜男だからであり、 
まあ、成瀬巳喜男が作った
幸田文『流れる』が面白いのも
やはり成瀬巳喜男監督の
チカラでしょう。

結局は、映画は映画で
うまい映画監督が作るかどうかに
かかっているということか。

つまりは、
文豪の小説を原作に使うことで
ヒット間違いなし!なんてことは
約束されることはなく、
仕上がりとはほとんど
関係ないことは確かです。

追伸
文豪の純文学映画には
昔の美しい女優や俳優の魅力が
しっかり堪能できるから、
それを楽しみにして
観ればいいかと思います。

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