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【短編礼賛】それでも私は短編が好き。

短編と長編、大長編、それから、ショートショート。
小説には、長さでジャンル分けがされますね。

私は個人的には、短編が好きで、
短編集を買うことが多い。
ドストエフスキーの長編を買うなら
チェーホフの短編集を買います。

でも、20年近く、編集をして
今も不思議なのは、
世の中は長編好きな人が多数派だと
いうことです。
編集会議、販売会議ともに、
上の人間は、とにかく
長編の企画を立てよう、
可能なら、2巻目、3巻目と
続巻ものにしようというのが
出版社での「大原則」。

短編集を出しても、
よほどの著名な作家でない限り、
販売的な数字は厳しいものが
ありました。

どうしてだろう?

というか、世の中からすると、
なぜ短編が好きなんだよ?
と私の方が訊かれてしまうかな。

色んな人や感情や出来事や心理を
短いページで味わいたいから。
それは飽き性?移り気?と
いうことなのでしょうか?

短編の一番の魅力は、
結末でハッとさせられること。
モーパッサンやチェーホフが、
そうした短編の原型を
担った19世紀、20世紀の作家ですね。
これをさらに受け継いだのが
O・ヘンリーやサキでしょう。
O・ヘンリーの「賢者の贈り物」や
「最後の一葉」はあまりに有名。

その後、サリンジャーの
『ナインストーリーズ』みたいな
意外な結末というより、
持続的な奇妙な出来事を
切り取って魅せる短編も増えて、
今はまた、オチのシャープさが
追及される時代が来ましたね。

結局は、ベタが一番
わかりやすくて面白い。

夏目漱石は、
短編を書く行為や、
短編を読む行為には、
そのことによって
モラルが養われることが大事と
考えていましたが、
正直言って、今の
結末で落してくれる作品が
喜ばれる背景には、
そんなモラルや道徳は
あまり関係なさそう。

まあ、娯楽・エンタメとして
楽しめればそれで充分ですかね。
でも、逆に考えると、
なぜ、漱石は、
短編の普及が
国民のモラルの向上に
つなげるのが使命だと
思ってたんでしょう?

短いから、
本好きでなくても
読んでくれる可能性が高い
短編こそは、
人民の心を養うツールだと、
考えていたでしょうか。
漱石って、ドがつく真面目な
作家だったんですね。

たまには、レイモンドカーバーや
チェーホフ短編集でも
読み返してみようかしら。

たしかに、
色んな読み方ができる長編と
違って、短編は、
混められるメッセージは
1つか、多くて2つ。
作者の狙いを掴みやすい点では、
作家と読者が容易に
キャッチボールしやすいですね。

私は芥川龍之介や
中島敦、宮沢賢治の
短編集さえあれば、
2か月は退屈しないで
済むタイプです。
みなさんはいかがですが?

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