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【文学】戦後文学には、消え去って欲しくない訳がある!

戦後文学がいつか消え去っていく…?
以前、そんな心配を書きましたが、
それも仕方ないことなのかなあ…
悲しいけれど…そんな気持ちになってきた。

戦後文学の作家たちは、
昭和産まれ、または大正時代。
もうほとんどが鬼籍に入っている。

小島信夫、
吉行淳之介、
島尾敏雄、
北杜夫、
大岡昇平、
小川国夫、
椎名麟三、
開高健、
古井由吉、
吉田健一、
阿部昭、
吉本隆明、
山田風太郎、
埴谷雄高、
安岡章太郎、
深沢七郎、
堀田善衛、、、、、。

まだまだ名作を残した作家は沢山。
後世に残って欲しい作品も沢山。

スター作家だった
三島由紀夫や安部公房や遠藤周作、
大江健三郎は残るでしょう。

悲しいのは、
吉行淳之介や小島信夫、阿部昭らは、
「講談社文芸文庫」という
文学マニア向けレーベルを除けば、
ほとんど新刊は出版社から出ていない。
代表作品が数冊、出ているくらい。
あと10年もしたら、
それもなくなってしまうでしょう。

でも、この間、明治文学名作集を
パラパラ目次を見ていたら、
明治文学としては名作だった作家も作品も
ほとんど知らない作家ばかりだった。
斎藤緑雨、山田美妙、内田魯庵らは
辛うじて名前は知っているくらい。
夏目漱石、森鴎外、幸田露伴、樋口一葉、
泉鏡花、正岡子規らは、
奇跡的に残った特例中の特例。

時代・時間の経過に負けず残り続けるには、
それ相当の中身と幸運がないと
厳しいでんしょうね。

ならば、昭和の戦後文学だって
ごく一部のスター作家が残り、
あとは何十人かの作家たちの
代表者が数冊ずつ残っていくだけかあ。

戦後文学に私はなぜ魅せられるか?
それはあの戦争と焼け跡時代を生き抜き、
「新しい」価値観を押し付けられた
作家たちはどんな心理状態にあり、
どんな自分だけの価値観を抱くに至るか?
その苦悩の深さが半端ないからです。

開高健が書いていましたが、
戦争ほど、不毛なものはなかったけど、
戦争ほど、豊穣な精神を生み出したものも
なかったに違いない、、、と。

だからといって戦争になったら
優れた文学がまた盛んになる、
と戦争を肯定する訳にもいきません。

戦争なんて、絶対にしてはならない。
あの壮絶にして不毛な時代は
多くの若き才能を奪った。
その一方で、皮肉にもごくわずかに
生き残った作家たちの精神を
豊穣にしたのはちがいない。

そんな貴重さはちょっと時代や流行と
ごっちゃにしては、勿体ないのでは?
ついつい、戦後文学を次の時代に
残したい気持ちになるのは、
私自身が彼らから圧倒的に
心を奪われてきたからです。

では、どうしたら戦後文学が残るか?
私みたいな無名の人間が何かしら
戦後文学の魅力を語って、
誰か一人でも、若い世代が
じゃあ自分も読もうかな?と
思ってもらうよう旗をあげることか。

明治文学だって、後世に残ったのは
ほとんど1割程度です。
私が旗を振ったとしても、
時代や流行の定めには逆らえないでしょう。
戦後文学の主題は、たった一人であれ、
自分を曲げるな!ということだとしたら
私が戦後文学の魅力を語るか、
語るにぴったりの現代作家を探し
見つけてお願いに行くか?ですかね?

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