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【メンタル】なぜ私は自己肯定できなかったのだろうか?

どうして、人はついつい
自己否定をしたがるのだろう?

自己否定。
それは自己肯定の反対語。
私はいつも、まず自己否定から
入るようにして、
警戒しながら生きてきました。
自信がないから。

自分について、
他人について、
過去について、
未来について、
考えようとする時、
たいていは、ネガティブ思考で
やってきました。

なぜ、ポジティブ思考を選ばず、
ネガティブ思考を選んで
きたのでしょう?

ビッグマウスな態度で
自信満々に大言壮語を放つなんて、
そんな発想はなかった。

大言壮語するくせに、 
失敗して、痛い目にあうと
かっこ悪さは2倍になる。 

だったら、
大言壮語はしない。
自分の態度も控えめにする。
何もできませんので、
という態度でいる。
それなら、
失敗しても、まあ当たり前だ。 
うまく行ったら、予想外の達成になる。

そう思って慎重に慎重に
自分のポテンシャルを下げて、
生きてきた。きたんでしょう。

これなら恥をかかないで済む…。
痛い目に遭わないで済む…。
それに、
しくじったとしても、
それはまあ、自信なげな人だから、
予定通り、ということになる。

だから、私はまず、
自信のかけらもない体(てい)で、
生きてきたように思うんです。

そっかあ、
あれは無意識に作られた、
狡猾なポーズだったのだろうか。
それは哀しい人生だなあ。

反対に、その真逆で、
自己肯定力たっぷりに
ビッグマウスな態度で
生きている人は、
どうして、そんな道を選ぶんだろう?
おれは、やる人間だ、やれる人間だ!
そう周りにも自分にも語りかけ、
見事、問題を克服する。
ただ、しくじると、
めっぽう恥かしい。

自信家の態度は、
あれはあれでまた、
ポーズなんでしょうか?
大言壮語して自信たっぷりに
話し、行動し、生きるという…。

しくじったら、
口先ばっかだ!となって
かっこ悪くなる、
恥をかくこと、必至だ。
順調に現実を生き抜いても、
それは当たり前なことになるから、
喝采はされないでしょう?

私は結局、
ネガティブか、ポジティブか、
どっちのポーズが
より一層、恥ずかしいか?を
打算的に図ってただけなのかな。

「恥ずかしさ」の大小を図って
私は生きてきたんでしょうか?

でも、もう十分過ぎるくらい
恥ずかしい人生でしたが(汗)。

「恥」といえば
太宰治「人間失格」の
冒頭を思い出します。
「恥の多い生涯を送ってきました」。

恥をかくまいとしても、
しなくても、
人生は恥の多い生涯になるらしい。
恥からは逃げられないのでしょう。
ならば、ネガティブに行くのも、
ポジティブに行くのも、
最終的には大差ないってこと?
(笑)
 
それならば、  
どっちがカッコいいか?
情けなくないか?
面白い人生を送れそうか?
それで決めちまっていいですかね?









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