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オリヴィエ・メシアンとフィリップ・グラス

オリヴィエ・メシアンの「音楽言語の技法」とフィリップ・グラスの自伝「音楽のない言葉」。最近購入した本2冊。

メシアンの方は数十年越しでやっと手に入れることが出来た新訳版。メシアンに夢中だった十代の頃(当時「移調の限られた旋法(当時の訳語)」を使って作曲したりしていた)から欲しかったのだが、当時は手に入らなかった・・・ちなみに、昔の訳では「わが音楽語法」というタイトルだった・・・この書物、ヤマハの楽譜売り場から出版社に問い合わせてもらった際にも、出版社の人すら「カタログには載ってるんですけど、本当にウチから出てるんですかねえ?」と言っていたと聞いたほど、当時既に幻の本と化していた。その後はお仕事の音楽に”うつつを抜かして?”いたこともあり、すっかり所有熱も薄れていたのだが、コロナ自粛の暇つぶし検索で新訳版が出ていたことを知り迷わず購入。

フィリップ・グラスの方は、当時(十代の頃)はあまり好きではなかった。「中途半端にポピュラー音楽じゃん!」とか思っていたのだ。ミニマル・ミュージックならば、どちらかと言えばスティーブ・ライヒの方が好きだった。ライヒはシアターコクーンの来日公演にも行った。繰り返しにおける変化の過程を体験する良い機会だったが、アンサンブルのメンバーが弾いていたyamahaのDX7に「保守的だなあ。その辺は拘らないのだなあ」などと思った記憶がある。

その後、自分も劇場の仕事をする様になった。フィリップ・グラスの言葉を借りるならば、僕自身もこの10年、紛れもなく”劇場作曲家”(更には劇作・演出家)として暮らして来た訳であり、そうしたコンテクストから今はグラスの仕事が理解出来るようになった気がする。ある意味、自分の仕事の仕方を客観的に見れば、ライヒよりはグラス寄りなのは間違いない。人間はやはり経験なんだなあとしみじみ思う。

それにしてもこの自伝、なかなか面白くて500ページ超えの分厚い本にも拘らず一気に読んでしまった。ちなみに目次前のページにはPROPHET5を弾くグラスの写真が。こんな所にも共通点が! そうそう、グラスもシュトックハウゼンの人柄に関しては僕と同じ印象を持った様だ・・・音楽と人柄は別の話とも(笑) 

I also think so.

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