プライドか臆病さか
楽器を弾いていて一番楽しかった時期というと、やっぱり始めたばかりの頃だったように思う。
高校で初めてベースを手にして、家にいる時はだいたい触ってた。ベース抱えたまま何度寝落ちしたか数えきれない。
その後、次にただ単純に弾くのが楽しい時期というと…実はここ数年だったりする。4弦の開放を8分で弾いてるだけで楽しいとか、改めて楽器弾くのって楽しいよなと感じている。
じゃあその間に何があったのか、という話。
初めはただもう本当に「好き」という感情しかなかった。やがて色々な音楽に触れていくうちに、自分の中に「理想」ができてくる。理想の音、理想のフレーズ、理想の弾いている姿云々。その理想の姿はあまりにも完ぺきだった。妄想とか空想と言ってもいいかもしれない。
一方、現実の自分は、その理想の姿と比較すると、あまり上手く弾けるわけではない。幼いころから音楽をやっていたわけではないので、耳が鍛えられているわけではない。学校の音楽の授業以外で、他の楽器をやっていたわけではなく、他の弾き方を援用できるわけでもない。独学なので(というより誰かに習うという発想もなかった)、ひたすらベースを弾くしかなかった。
ここで、理想の自分になる選択肢は二つある。一つは、たくさん練習して、一つずつ階段を上っていく方法。まあ、まっとうな方法だし、ぶっちゃけこれ以外ないように思う。
ところが、おれが採用したのはもう一つの方法だった。それは、「理想は理想のままにしておく」ということ。
理想と現実があまりにもかけ離れていたこと。そのギャップを埋める手段を持たなかったこと。今弾くことが理想に近づく手段であるということを想像できなかったこと。まあ、色々ある。
が、要するに練習しなかったということだ。それをプライドと呼ぶのか、臆病だっただけと言うのか。まあ、両方なんだけど、振り返ってみればチンケなプライドだったなと思う。
当時のバンドのメンバーにはホント申し訳ないのだが、大して練習してないくせにいっちょまえにベーシスト気取りだった。しかもギタリスト二人が両方とも上手かったので、ベースがへっぽこでも一応バンドとして成り立ってしまっていた。
特にメタル方面のベースの場合、ジャンル自体がギターオリエンテッドなこともあって、ベースは下の方でブーンと鳴っていればなんとかなってしまうこともある。幸か不幸かそこに居場所を見つけてしまった。
もちろん激しい音楽にも優れたベーシストは沢山いる。が、そうでなくても生息できてしまうこともある。こともあるというか実際おれがそうだった。
その代わりというわけでもないのだが、他のメンバーが得意としない運営とか交渉事を担当していた。ベースも弾けるマネージャーみたいな立ち位置だった。
そんなことを15年ばかりやっていたら、ライブの経験値だけは異様に溜まっていった。ものすごくいびつな「ベーシスト」が出来上がっていった。
16年目を迎えて、バンドが解散することになった。メンバーそれぞれ言い分はあっただろうが、当時おれが言っていたのは「現状のクオリティを保つことはできるけれど、これ以上の作品クオリティを目指せない」。偉そうに言うものである(笑)。まあでも実際そうだったんだけどね。あとは、楽ちんなフレーズしか弾いてなかったので、中にいながらやたらとバンドを客観視する視点が養われていったこともある。
さて、こんな状態でバンドが解散して、一人でバンド業界に放り出されることになった(放り出したのは自分なのだが)。で、これからどうすんの?という話は次回に続く。
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