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介護のお仕事 ハワイ編

ハワイの観光客がとうぶんは戻らないこともあって、わたしは接客業から何年もしていなかったナースのお仕事に戻ることにした。

ナースのお仕事といっても、病院でバリバリやる時期はもうとっくに終えたので、今はリタイアに向かってユルユルとやりたい。

ブランクがあっても経験があれば、引く手あまたのこの仕事を得るたび、手に職があって良かったと思える。どこへいっても通用する、そんなわたしの職業を友人はつぶしがきく仕事と言った。

レジメを出したら早速、面接の連絡がきた。出むく事を考えていたらZoomでやると言う。そうか、世間は今なるべく人との接触を避けるのだった。

アメリカは面接やレジメで年齢を聞かれない。雇用法で守られているのだ。元気ならいくつになっても働ける。以前、杖をついて出勤するナースを見たことがある。どちらが看護されるのかという年齢(失礼)でも、年齢を理由に解雇はできない。性別、人種もしかり。

Zoomの面接では、志望の動機とか一般的なことを聞かれるかと思い英語で色々と答えを用意していたが、そんな質問は一切なく看護のアセスメントをすると言われ度肝を抜かれた。与薬の際の注意点や経管栄養の方法などを聞かれたが昔の経験を頭の隅からひっぱりだして、なんとか英語で答えた。

ひとつ、英語の単語がさっぱり通じないものがあった。膀胱留置カテーテルの挿入方法を聞かれたのだが、Catheter(カテーテル)の「キャセラー」がなかなか聞き取れなかった。日本人の耳になじまないthとr の発音だ。看護から離れた日常会話で、その単語を耳にすることは皆無だ。何回も質問して(なーんだ、それか)とやっとで理解した。途中、カテーテルも知らないのかと言いたげな不可解な顔をZoom画面の向こう側でされてしまったが、ちゃんと英語で答えられた。そんなこともあって落ちたかと思ったら採用されて驚いた。

今回の仕事は看護というより介護に近い。在宅介護を必要とするクライアントのため、その家族が会社にナースを依頼してくる。すでに何軒ものクライアントを訪ねてヘルプしてきた。

その日は、わたしの自宅からそう遠くないクライアント宅を初めて訪ねた。初日は家がちゃんと見つかるか少し緊張する。知らない場所で家を探しながら運転するのは得意でない。あらかじめ携帯に送られてくるナースのケアプランを確認し、住所をGPSに打ち込んで車で出発すると、難なく家を見つけることが出来た。

ハワイの高齢者は皆さんが年齢のわりに、とても元気で若々しい。これは暖かい気候が大きな理由の一つだと思う。更に驚いたのは百歳を超えた方も、もうすぐ百歳を迎える方も入れ歯でなく自分の歯で食べていることだ。

そういう方たちを見てきたが、その日のクライアントはその逆だった。○さんは初老だが言葉があまり出ない、歩行器でやっと歩く男性だった。発声訓練をした後、歩行器を使って近所を少し歩くと○さんの好きな裏庭で休憩する。

「わぁー」と思わず歓声がでてしまった。

ハワイなのに、そこには日本の風景があった。足元には立派な池があり、覗くと美しい大きな鯉が優雅に泳いでいる。池の横には石で段差が作られており池の水が流れ落ちる。そのやさしい水音がとても心地よかった。奥には立派な茶室や石灯籠まである。そして、その周りを覆うように植えられた木々の間からは木漏れ日がさしている。

○さんのかたわらに一緒に座り、池を眺める彼の横顔を見る。穏やかなその眼差しは鯉の姿を追っているのだろうか。話しかければ答えてくれるが、自分からは何も話さない。そんな○さんにはどんな人生があったのかな、なんてふと思う。さっきまで、なんの接点もなかった彼と同じ空間を共有して同じ美しい風景を見る。不思議な感覚だった。

過去の忙しい病院や、目まぐるしく時間が過ぎる看護とはまったく違った。ふと彼の足元をみると、長いこと誰に切られることのない伸びきった爪に気づいた。手をとってみると両手の爪もそうだった。家族がいても誰も気づいてくれないんだな。

「爪、切りましょうね」

わたしは爪切りで○さんの両手の爪を切り出した。「パチン、パチン」と爪を切る音と池の水のさらさら流れる音しか聞こえない静かな午後。ゆっくりと流れる時間。次に足の爪を切ろうと彼の足を触ったら急に足を引っ込めた。

「Ticklish….(くすぐったい)」

○さんは、そう言うと「ククク」と静かに笑った。





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