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ママ時間の使い方~結婚まで編~

こう言っては何だけど、過去の自分については子どもたちに聞かせられる話だけではない(笑)。
全部知る必要はないし、聞きたいタイミングがあって質問されたら答えるし。親って子どもにとってある種「理想の人間」であってほしいうちの一人なんだろうなというのは、反抗期の子どもたちと接していて感じたこと。それは彼らが大人になってから、も。
そんな「親」である私も結婚出産までは「子ども」という立場だけだった時代もありました。


①破天荒、でもないと思っていたが。

なかなか口達者で生意気な子どもでした。
父親が厳しかったため、一人立ち向かうために「論破」する才能だけが発達したんじゃないかと・・・・(笑)。
学校の先生ともよくケンカしてました( ´∀` )
6年生の時「交換日記禁止!」って先生に言われたことがどうしても納得できなくて、宿題だった「先生あのね」(当時流行っていた先生に提出する日記帳のようなもの)に「禁止に納得できない」ことと「なぜ続けたいか」を10ページに渡り書いた結果学級会の議題になったり(笑)。
今でもそれが時々顔を見せるので、「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものですよね。

  • 交換日記=日記の一種。複数、又は1冊の日記帳を友人間などで共有し、順番に回して日記をつけたり相手へのメッセージを書き込んでいく行為のこと、またはその共有される日記帳自体をいう。(Wikipediaより)


②やりたいことへの思い

口は達者だったため、「こうありたい」「これがしたい」ははっきり親に伝える子どもでした。
その感覚は今でも変わらないので、言うこと聞かない子だ、と割り切って育ててもらったことには親に感謝していますが、今思うと子ども時代はもう少し尖らず穏やかに過ごしていれば今の自分からはちょっと方向性が変わっていたんじゃないかと。ないものねだりながらたまに思います。


③結婚について

そんな私が結婚に対して考えていたことは「無」。
まったく理想がなかったのです。
だからといって「キャリアウーマン」を目指していたわけでもなかったし、その部分はちょっと思慮が浅かったかな。
当時思っていたことは「毎日やりたいことをやって楽しければそれでよし!」前後も未来も全く予測してなかったように思います。
じゃあどうして結婚したのか。
「みんなするんだろうな」って思ってたんですね。どこかで。
今みたいに色んな選択肢があったわけでもないといえば言い訳ですが、自由に生きていたとはいえその道が当たり前だと思っていたあたり、思考の幅が狭かった。
でも、実際結婚は私にとって「良き選択」だったと思っています。
なぜか。
もし誰かと「結婚」という形で深くかかわる機会がなかったら、今みたいに思考の「ポケット」が増えていなかったから。
「その時にしかできない経験があるならやっておきたい」というのは私の人生のポリシーの一つ。それが達成できる環境をいただけたことはありがたい縁だったと思います。



こうして始まった「親」への道。
ここから「生き方」「人生」「人との関わり方」に対する考え方が大きく変化していきます。
その話はまたの機会に。

最後までご覧いただきありがとうございました☆



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