死の正体
こんにちは!じゅんきです。突然ですが、
死ぬのって怖くないですか?
今回のnoteはイェール大学で20年以上続く講義をもとに「死」とは何かについて理解を深めていきます。
このnoteを読めば、死の恐怖を克服!とまでは言わなくとも、死の正体にすこしでも近づき、無闇に怖がることが減るのでは……?
そんな願いを込めて書きました。
人は死に近づくと、自由になる
死に近づくような体験をしたことがある人ほど、達観していて、日々の生活でも自由に振舞えていることが多いように思います。
死に近づくことは人を自由にするパワーを秘めている。
想像してみてほしいのですが、あなたが訪れたレストランで気持ちよい陽射しが降り注ぐ席があって、そこには予約席と書かれた札がおいてあります。
そこに座りたいと思っても我慢したり、そもそもルールだから座りたいとも思わないかもしれない。
ただ、自分が明日死ぬことがわかっていたら、そこに座りたくないですか?
どうせなら思い残すことのないように、最高のシチュエーションで一番食べたいものを食べたいですよね。
死は怖いもの……?
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義
この本はタイトルの通り「死ぬとはどういうことなのか」を表紙のイケてるおじいさん、シェリー・ケーガン先生が解説してくれます。
ぼくらは必ず死に直面します。しかし誰もがいずれ直面する課題にもかかわらず、死について考え抜く人は少ない。それは、考えるほどに怖いから。
考えるのが怖いなら、教わっちゃいましょう!
死はイメージできる
なぜ死が怖いのか。それは、よくわからない、未知のものだから。
しかし、シェリー先生は死は全然未知のものじゃないと言っています。
おいおい、死んだ後の世界なんて誰も知らないじゃないか!と思いますよね。しかし、先生はこう続けます。
「死後の世界なんて簡単にイメージできる」
この世界は死後もほぼ何も変わらない。誰もが知る有名人が死んでも、我々の生活は変わらずに進み続けます。
例えばぼくはインプロ(即興劇)をやっていますが、急に骨折などで稽古を休むことになっても稽古場は変わらず開催されます。出るはずだった本番は他のメンバーで穴埋めされ、問題なく終了するでしょう。
このように、仮にぼくが死んでしまったとしても、遠くから客観的に見れば世界はなーんにも変わらずに回ります。
そんな「世界」の話じゃなくて俺はどうなるんだ!死んだらどこにいくんだ!
と思ったあなたに続報です。「魂とかはないんだ」というのがシェリー先生の考えです。これは魂が巡ると信じたいぼくに大きなショックを与えてくれました。
確かに人間は他の動物にはない特殊な能力を持っている。だからといって死んだ後も精神・人格だけが魂として存在するのは考えにくい。
死とは、夢を見ずに眠っている状態とほぼ同じ状況になるだけ。 つまり、自分の人格が消滅している状態を指す。
眠ること自体は怖くないですよね。人格を失うのは怖くないはずなんです。それなのに、ぼくらは死によって人格がなくなることが怖い。
それから、ぼくらは人格のない時期をもうひとつ経験しています。それは、お母さんのお腹にいたとき。
人格がないせいで、何か怖いことや苦しいことがあったのか?
そんなことはないはずです。
死は、一環の終わりと言うよりも、お母さんのお腹の中にいる胎児の時期のようなもの。
死とは、人格が存在しないただの時期。
だから全然怖くないんですよ、という結論になっています。
時間・可能性の剥奪
いやいやそんなの急には納得できないよ!と思いますよね。
「死が未知のものではない」と分かっても死は怖い。
それはなぜか。
死によって時間と可能性を奪い取られると思っているからです。
死ななかったら、もっと良い人生があったはずなのに……
その未来が奪われてしまうと思うから怖いのです。
「いつ死んでも大丈夫」ってご老人、いるじゃないですか。
そういう方はもう人生満喫したから、もしくは区切りがついているから、もし未来がなくなったとしても奪われるものが少ない。だから、死の影響が弱いのです。
まだやりたいことがたくさんあると、死によって奪われるものが多く感じるので、死が怖いものに感じます。
自殺は悪いことなのか
「これからの未来が楽しみだからこそ、死ぬのが怖い」
人間と言う生き物はこれからの未来が楽しみだともっと長く生きたくなるのです。
一方でこれからの未来が悪くなり続けると思うとどうなるのか。
人間は、絶望によって死にたくなります。
「この先、生きていてもいいことが起こらない」この考えこそが自殺を引き起こす。
この本は自殺問題についても触れています。自殺はよくない、という道徳的な観点ではなく、
自殺が常に許されない、とは言い切れないと言っています。
この世の中には残念ながら人生が悪くなり続ける人もいます。例えば末期の病気で治る見込みもなく、激しい痛みに耐えるだけの時間を生きている人。その人に対して、生きてるだけで素晴らしいとは言い切れません。
モラルを無視した場合、「もしかしたら死んだほうがいい」と言う状況があるかもしれない。そういう人に「死んではいけないから」とだけいって死ぬことを許さないのは、自殺をされたくない側のエゴでしかありません。
しかし、だからこそシェリー先生はこの世の大半の自殺はおかしいと言っています。
大きな借金を抱えた
恋人に振られた
大学受験や就職活動に失敗した
リストラされた
これらの出来事は確かに大きなショックをもたらしますが、これからの人生がずっと悪くなり続けることの証明にはなりません。末期の病気とは訳が違う。しかしこういう状況に追い込まれると一気に視野が狭くなってしまって、これからの人生がずっと悪くなり続けると勘違いしてしまう。
この勘違いが多くの自殺を引き起こして、失われるべきじゃない命が失われていると本書では語られています。
ミスが続いて起こった日。運が悪くて悲しいことが連続した日。
大きな損失を出して、大迷惑をかけてしまった日。
そんなとき全てが終わったような気がする。この気持ちに共感できる人も多いのではないでしょうか。
ただ、しばらく経って振り返って、その時の感情と切り離して出来事を振り返れたとき、素直に受け止められたり、笑い話にできることもおおいはずです。
じゅんきが死にたくなったとき
じゅんきも20代半ばでいちど自殺未遂をしました。
18才で声優を目指して上京したものの思うように結果が出せず、人間関係もうまく結べず、バイトは日々ブラックで辛い。
そんな生活が続けられなくなって、もう全て諦めやめようと思ったとき
「それ以外の生き方を知らない」「きっと何をやってもうまくいかない」
と自分に何もないことにショックを受けて、死に近づきました。
結局失敗に終わって生きながらえたのですが、数年が過ぎたいまでは
「うまくいってもいかなくても、いつか死ぬんだから、それまでは好きなことをしよう」
と思えるようになりました。死は敵じゃない。死があるから、今を精一杯生きることができる。
「死を想え」という言葉がありますが、これは死について考えろという意味のほかに、生きている今を大いに楽しみなさいという意味合いがあるようです。
これを読んだあなたも、ぜひ今を楽しんで生きていってくださいね!
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