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「注文の多い料理店」の「裏」を読む   現代社会の仕事の在り方に警鐘を鳴らす傑作(無料)

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今も愛される児童文学「注文の多い料理店」の「裏」を読み解きます。

この話の内容を知らない人はおそらくかなり少数派だと思いますから、多少端折っても伝わると思います。

二人のイギリス風の格好をした紳士が、狩の途中でたどり着いた西洋料理店。
「注文の多い料理店」に入り、恐ろしい体験をするというお話です。

「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。」

二人の男は、きっと大繁盛しているレストランなのだと勘違いします。
そして、二人の男は、このレストランの出す注文に一つ一つ従っていきます。注文はどれも絶妙に男たちを勘違いさせつつも、しかしあちら側にとっても都合よく練られたものでした。
しかし、最後の最後で、二人はどうもおかしいことに気が付くのでした。

ご存じのように、注文の多い料理店というのは、お客さんがレストランに対して注文をする、という意味なのではなくて、やってきたお客さんに対する注文の煩い料理店だった。ということです。

そして、その目的は、二人の男をうまくだまして、自分で自分自身に味付けをさせ、すっかりと出来上がったところを食べるという罠だったのです。

この童話を読んだ人は、ここまでは話が分かったと思います。しかし、この童話の伝えたかったことは、そういうことではありません。宮沢賢治がこの童話を書いたことで、私たちに伝えたかった真の意図があるのです。


私たちは6歳くらいになると小学校に行きます。そこで、先生たちから様々な指導を受けて成長していきます。私たちがなぜ教育を受けるのか。それは、自分達の未来のためです。学校の先生たちは、自分達が将来大人になったときに困ることがないよう、自分達に一生懸命指導をしてくれるのでした。そして、どうか早く社会の大人たちの仲間入りをして、この社会のために立派に活躍する大人になってほしい。そうであることを期待されているのだと考えていました。

私たちは時に将来のことを夢見ました。皆目を輝かせて。そして、私たちが中学、高校、大学と進み、その先に待っている社会というものをおぼろげながら想像します。そこにはきっと、立派な人たちがたくさんいて、皆この社会のために立派に活躍している。皆この社会のために、立派に生きている。自分達も、しっかりと自分を磨いて、彼らの仲間入りをしたい。彼らに迷惑をかけるわけにはいかない。そうして、一生懸命、一生懸命、学校の指導に従っていきます。皆互いに協力しあい、助け合い、お互いがお互いの横のつながりを大切にし、みんな毎日、あくせくと、立派に働いている。私たちもそのために、一生懸命頑張らなくては!そう考えていました。

そして、学校や親、周りの大人たちが私たちにしてくる注文に、一生懸命従っていきました。小学校の扉を開け、中学校の扉を開け、高校の扉を開け、そして大学の扉を開け、最後に社会の扉を開け、その中に入っていこうとしました。

しかし、今にも社会に出ようとしたときのことです。私たちはここであることに気が付きました。一体今までのことは、何のためだったのだろう・・・。社会に出た大人たちからは、学校の勉強なんて役に立たないと言われてきた。一生懸命頑張っている横からそんなことを言われるのは、とてもつらかった。それにニュースを見ると、社会はどうもとても過酷で、失敗なんて絶対に許されないようなストレスフルな世界だと聞く。

社会ではたくさん悪いことが起きていて、人間関係のトラブルがあいついでいるらしい。大人たちには、いいひとというよりも、どちらかというと悪い人が多い。パワハラやモラハラ、セクハラやアカハラ、そうした社会問題が多く発生している・・・。仕事をするなりすぐにマウントを取ってくる人間も多い。パワハラや過重労働を苦にして自殺や過労死をしてしまった人も多いと聞く・・・。社内いじめもある。

どうして私たちのように一生懸命頑張ってきたはずの人たちが、そんな問題をたくさん起こしているんだろう?どうして立派な人たちが、こんな社会をつくってしまったんだろう・・・。ま・・・まさか・・・。

僕たち私たちが頑張ってきた理由って、自分達のため、そして社会の扉の先にいる立派な人たちの仲間入りをすることじゃなくて・・・この先に待っている化け猫たちのために、自分をおいしく料理してきただけだったんじゃないだろうか・・・。教育は、自分のために受けてきたんじゃなくて、自分の人生をおいしくいただき、自分たちからおいしいところをおいしくいただく化け猫人間たちのためにあっただけなんじゃないだろうか・・・。

中には嬉々として内定を取れたことに喜ぶ仲間たちがいました。自分達は選ばれた。自分達の人生はうまくいった!これで晴れて先の幸せな未来が開ける!私たちは立派な人たちの仲間入りをして、この社会の役に立つ人間になる事が出来るのだ!彼らは満面の笑顔で、心から自分の社会参加を祝福しているようでした。

ところが、やがてげっそりとやつれ、イライラとし、人の愚痴や不満を垂れ流し、とても幸せとは言えない生活を送り始めました。仕事の不満を語り始め、依存性の高い酒やたばこに手を出します。まるで、どこかの誰かが、電気のプラグを勝手に自分の家に接続して、電流を盗んでいるかのように、彼は自分でもわからないうちに、自分のエネルギーがどこかへ流れていっているかのように思えました。その不満をぶつけるため、自分達よりも弱い人間に当たり散らしたり、近所の幸せそうな家族を見ては、ねたむ気持ちをおさえられず、悪い噂を流し、自分の子供を虐待することもしてしまいました。

でも彼らは自分達の方が、社会に出ていない人間たちよりも、よっぽどまともなのだと言う自負を持っていましたし、自分達の行動が、悪いことばかりだとも言い切る事が出来ません。しかし、どうもおかしいと思うのは、やはり自分の何かが、大切な何かが、うまくうまくかすめ取られているようにしか感じられませんでした。

そこで、彼らは思い立ちました。自分達も起業をして、この支配から抜け出そう。そして、彼らは見事にそれを実現しました。でも、結局は、自分自身が化け猫化しただけでした・・・。自分が、自分にとっておいしく料理された人間を見つけ、それを食べて生きるようになったのです。待っていれば勝手に自分達から食べられにやってくる。面接はそのためにやりました。そこはとても最高の場所でした。

せっかく手に入れた人間が独立することを恐れた化け猫たちは、従業員たちが出ていかないように、余計なことは教えないようにしました。そして、命令したことだけを素直に聞き、歯向かわない人間ほど、大変喜んで迎えました。


   みんな。こんな世界なんか作ってないで、農業やろうぜ!
   お互いもっと助け合おうぜ!
                   
                     by宮沢賢治

さて、ニートや引きこもり、社会不適合者って、本当に駄目な奴らなんでしょうかね。駄目にしてしまったやつらがひょっとするといるんじゃないんですか?無責任なものです。そして、本当に仕事ってそんなに大切なものなのでしょうか?やる以上は中途半端にやると確かに色々な不具合が起きます。それを防がなきゃいけないのは当然ですが、仕事のために、多くの人間を却って犠牲にしているのではないでしょうか。でも仕事は大切なのです。何よりも化け猫である自分のために。自分が化け猫であらんとするために!

化け猫に食べられた有名な人たち。

https://www.t-pec.co.jp/contents/statistics/hanrei/

こういうのは、氷山の一角です。社会の光に照らされ、賠償金を取れただけまだましかもしれません。しかし、泣き寝入りをした人が圧倒的多数ではないでしょうかね。

教育の過程で栄養を吸われて吐き捨てられたかわいそうなニート・引きこもり、社会不適合者たち。またその予備軍。

おそらく軽く見積もって数百万人・・・。

ちなみに、この物語の最後で、二人の紳士が顔に付けたクリームはその後取れることは無かったという感じで終わっていますが、

これは、一度受けた学校教育の影響が、一生消えないことを意味しています。

ちなみに、最近有名になった化け猫


ジャニー喜多川

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