星の王子様 読書記録 第22節 転轍手との出会い
こんにちわ。王子様は言った。
ーーこんにちわ。転轍手がいった。
ーーここで何をしているの? 王子様は言った。
ーー旅行者を選別しているんだ。1000ずつまとめてね。転轍手は言った。
私は彼らを運ぶ電車を送り出しているんだ。ある時は右へ、ある時は左へ。
そして明かりで光り輝いた夜行列車が、雷鳴のようにとどろきながら、転轍器の運転室を揺らした。
🌈転轍手とは
最初この本を読んだ時、転轍手ってそもそも何だろう?っていうのが真っ先に出てきた疑問だった。
これは、列車の行先、方向を切り替えるポイントで、レバーを引いたりする人のこと。
🌈単語
✅aiguillage
♢男性名詞
①[鉄道]分岐器の操作;分岐器、転轍器、ポイント
②方向づけ、方向性;進路指導[決定];方向転換
✅cabine
♢女性名詞
①ボックス、小部屋、仕切った小室
②船室、キャビン
④[鉄道]運転室
✅grondant
♢形容詞 gronderの現在分詞 うなる、低い声を出す;とどろく
✅tonnerre
♢男性名詞
①雷鳴;轟音
✅trembler
♢自動詞
①体が震える、身震いする
②[物が]細かく震える、小刻みに揺れる
③[物が]振動する、ぐらつく
④[音、声が]震える
⑤おびえる、恐れる、心配する
✅rapide
♢形容詞
①速い、高速の
②素早い、迅速な、時間のかからない;理解の速い
③急速な、短期間になされる;テンポの速い;簡潔な
④[傾斜が]急な、険しい
♢名詞
(仕事などの)速い人、頭の切れる人
♢男性名詞
①特急列車
②(多く複数で)急流、激流
③(フランス語圏アフリカで)小型トラック、マイクロバス
✅illuminé
♢illuminerの過去分詞
♢形容詞
①煌々と照らされた、イルミネーションで飾られた
②[顔、目などが]輝いている
♢名詞
①(軽侮して)幻想家、夢想家;狂信者
②[キリスト教]照明派;神秘主義教派
③[オカルト]神の啓示を知る人
🌈単語
✅expédie
♢他動詞 expédierの 直接法第1人称現在形
①[手紙、荷物など]を送る、発送する
②[話]・・・を追い払う、厄介払いする
③(官庁用語で)・・・を遅滞なく処理する。
④・・・をさっさと片付ける;ぞんざいに済ませる。
彼らはとても急いでいるんだね。王子様は言った。彼らは何を探しているの?
機関士自身、それを知らないんだよ。
反対方向に、2番目の、明かりで光輝いた特急列車が轟轟と音を立てた。
彼らはもう戻ってくるの?王子様は尋ねた
ーーあれは同じ人たちじゃないんだよ。転轍手が言った。
ーーかれらは、自分達の居るところに満足していないんだろうか。
そして、3番目の、明かりで光り輝いた特急列車が轟轟と音を立てた。
<彼らは何も求めてなんかいやしないんだよ。 転轍手は言った。
彼らは電車の中では眠ったり、あくびをしたりしているんだ。子供たちだけが、ガラス窓に鼻をペタッと押し付けている。
子供たちだけが何を探しているのかしっているんだね。王子様は言った。ぼろきれの人形のために彼らは時間を使う。そして、その人形は、とても重要なものになる。そして、もしそれを取り上げられたら泣いちゃうんだ。
彼らは幸運だよ。転轍手は言った。
🌈単語
✅chiffon
♢男性名詞
①雑巾;ぼろきれ
②しわくちゃの布[服];紙屑、反故
✅échange
♢男性名詞
①交換;やり取り
②(複数で)(国家間の)交流
③(多く複数で)[経済]交易、貿易、交換
④[民法]交換
✅écrasent
♢écraser
①・・・を押しつぶす、粉々にする、ぺちゃんこにする
②[自動車などが人、動物]をひく、ひき殺す
③・・・を押し付ける、締め付ける
④[負担、責任などが]・・・に重くのしかかる、を苦しめる
⑤(心理的に)・・・を圧倒する、威圧する、屈服させる
⑥(大きさで圧倒して)・・・を小さく見せる
✅enlève
♢enleverの第3人称単数形
①・・・を持ち上げる、(上方へ)上げる
②・・・を取り除く、取り払う;
③・・・を消す、削除する
④[衣服]を脱ぐ;[身につけたもの]を外す
✅locomotive
♢女性名詞
①機関車
♢形容詞
①運動(機能)の
✅pressés
♢presserの過去分詞
♢形容詞
①絞った、圧搾した;圧縮した、プレスした
②急を要する、緊急の
③急いでいる
✅poupée
♢女性名詞
①人形
②(おしゃれだが軽簿な)かわいい女;
✅ignore
♢他動詞
①[出来事、事実など]を知らない、知らずにいる、について無知である
②・・・の体験がない、を味わったことがない
③・・・に無関心である;を無視する、知らないふりをする
✅sens
♢男性名詞
①(動きの)方向、向き;進行方向
②(線、面、空間内での)位置、方向、向き
③(社会などの)動向、流れ;(活動などの)趣旨、方針
✅inverse
♢形容詞
①(方向、順序などが)逆の、反対の
✅vitres
♢女性名詞
①板ガラス;窓ガラス
②(車、列車の)ガラス窓、車窓
③(ガラス状の)パネル
④[古風]ガラス窓
🌈文学
ここは、先ほどとガラっと場面が変わって、列車が登場する。
この中で私がお!ッと思った言葉がこれです。
旅行依存症という精神の病がある。旅行をしているうちはウキウキと楽しむのだが、帰ったら楽しかった旅行も終わり、はぁ~~っと鬱めいた気持ちになる。
依存症は、自分の今いる場所が嫌いだから発生する場合が多い。
例えば、ゲーム依存症というのがある。ゲームもゲームの世界に旅行をしに行っているようなものだ。ゲーム好きは、この世界自体がつまらなくて仕方がないのである。
昔、ネトゲ廃人とされる人間がいて、今でもそういう人はいたりするのだけれども、この頃からリア充とかいう言葉も流行り始めたように思う。
根っからのゲーム好きがいるのももちろんですが、絶対とは言えないけれども、いろいろな要素が関わってこういう人間になってしまう。
1.現実が面白くない
2.ゲームの世界が単純に面白い
3.対人関係で傷ついている
4.対人関係がうまくいかない
5.現実逃避
ゲーム差別というのが実際の社会にはあります。現実でうまくいっていないから、ゲームにのめりこむんだと思われるんですね。こうした物事の原因は、表面からは見えにくく、複雑な人間関係が背景にあることが多いです。
リアルでモテないから現実逃避、という場合もあれば、意外なことに
モテすぎて嫉妬されまくって嫌になって、で元々対人関係が
苦手でゲームも好きだったからのめりこむ
というパターンもあります。意外にも高学歴が多いパターンもあったりして、自分のこだわりや、哲学性が現実と衝突して摩擦を発生させ、そういうことがきっかけで対人関係が悪化することもあります。かなり多いパターンではないかと自分では思っています。
いずれにせよ、うまくいっていないことに変わりはないのかもしれません。
これを乗り越えるには、やっぱり特効薬はこれです。
現実の世界で、やりたいことを見つける。
以前、楽あれば苦あり、の話をしました。楽に対応する苦があることが大切だと。つまり、体や心にある程度の負荷がなければ、どれだけ楽しくても、却って体も心も健康を害してしまうのです。
ゲームもそれと同じです。楽ばかりが心に入ってきます。都合よく作られた世界だからです。(ゲームの作り方によってはストレスがたまったり、マゾゲーと言われるものもありますけど。)
一種の麻薬であるため、依存性を持っているのです。心に作用する麻薬ですね。次のアイテム、宝箱、報酬というわかりやすい目標を立てられ、それを追い求めていくうちに、時間が立っていく。人は虚を追い求め、虚を獲得することで心に満足を得ていきます。
逆に、対人関係が悪くなったりすると、周りから、自分の虚を攻撃されてくるわけです。ですから、それを回復させようとして、食べ物を多く食べたりして太る。ゲームや酒、たばこなどの依存性のあるものにのめりこみ、自分を満たそうとする。そういったことが起きるわけです。
虚は自分達の心のヒットポイントでもあります。
で、そもそも旅行がメインの話だったのですが、ゲームと同じで旅行依存症というのも多いんですよね。私も何件か実物を見たことがあります。
その人は家が大金持ちです。海外旅行が趣味でした。親の仕事が稼ぎのいい仕事だったので、海外旅行に2~3週間はどっぷりと行っていました。周囲から見ると、「甘やかされてきた人」です。ただ、私はこの言葉は曖昧過ぎて嫌いです。便利に使われてしまっている気がしますし、帽子どまりの考えに思っています。
でも周りには、自分は仕事をしているんだと嘘をつき、かなり猫をかぶっていて、すぐにばれるような嘘でも、慢性的についてきます。4000万以上のマンション部屋の購入をねだったりします。
精神の病気であることは疑いもありません。場所を変え、ところを変えても、自分が人生の中で成し遂げたい目標がないと、結局は時間もお金も一時的なものによって消化されて行くだけです。「純消費者」になってしまうのです。
こうした状態から抜け出すには、やりたいことを見つけることです。とはいっても、どうすればいいのか。
消費者が消費者である所以は、「他人が行ってきた結果ばかりと付き合っているから」です。店に行って商品が並べられており、それに対してお金を払うだけです。旅行も、移動を伴いますけれども、発想を変えてみましょう。
パソコンに座っている自分の周りの景色の方がどんどん変わっていっていると考えれば、全く何もしていないことに気が付くでしょう。そして、旅先でお金を落とせば、近所で買い物をしたのと大して変わりがありません。楽しいかもしれませんが、楽なんですよね。対応する苦というものがそんなにない。テレビが視覚だけで情景を感じると考えれば、旅行というのは、五感全てを使って体験するテレビみたいなものです。
そこらへんに住んでいる人からすれば、そこはご近所さんですし。
ではどうすればこの状況から脱することができるか。ということで、やりたいことを見つけることなのですが、やりたいことというのは、基本的に、自分が「生産」する立場に立つことです。物を購入して消費するのは非常に簡単な作業です。しかし、「生産」は難しいです。知識も忍耐力もいります。
やりたいことを見つけるというのは、自分が作りたいものを見つけることです。私はこれが一番いいと考えています。それを達成するために、様々なことを調べて学ぶのです。出来なくてもいいんです。ゲーム依存症の子供には、それがなかったりします。
学校の勉強自体が、今もかもしれませんが、昔は「消費勉強」でした。能動的に自分達で何かを作っていくという勉強ではなく、「すでに誰かが調べたりしてきた結果を頭に入れていくこと」ばかりだったのです。能動的という文句を謳っている学校も、結局は受動的でした。
また、図画工作で自分の創造性を発揮できる時が来ても、「何らかの正解や先生の期待に沿って、あるいは周りの人間たちに恥ずかしいと思われないものを作らなければならない」という考えから頭が離れないことも多いのですね。
能動的な学びを行う場合、実は学校というのはいらないくらいなのではないか。そう考えたことがあります。
消費人間は、周りが変わってくれないと自分が消費するものも変わってくれません。そうなると、物事を全て周りのせいにしてくることがあります。そのために、余計甘えていると言われるのです。でも、理屈だけを言えば、消費人間の言う通りかもしれません。自分達が消費するには、消費させる側がしっかりしてくれなきゃ困るからですwそのため、より自分を楽しませてくれる消費がある場所に行くのです。
経済社会はなかなか厄介で、消費してほしいと思っている人たちが、消費者を求めているのに、消費ばかりする人間を軽蔑するところがあるんですよ。そもそも、教育には、わざと消費者を育てるという、闇の目的があると私は考えています。だから、消費者というのはある意味教育の犠牲者でもあるわけです。消費者がいないと、経済が回りません。くそでもばかでもあほでもいいから、金を使ってくれる人間が経済には必要なのです。
依存症は最高です。アルコール依存者は酒をたくさん買ってくれるし、旅行依存者はたくさん旅行してくれるし、薬物依存者は大量に薬物を買ってくれます。経済社会を支えているのは、犠牲者です。経済社会は犠牲者に依存しているのです。一方で、消費をする人間を馬鹿にするわけです。依存対象を馬鹿にするというのは、依存者の特質です。白人が黒人を差別するように。イスラム教徒が女性を差別するようにね。
一方、消費者はゲームがつまらなくなれば別のゲームに移るわけだし、旅行をしていて、次の楽しそうなところに行こうとするのです。これも、より心地よい消費のためです。
しかし、それではいつまでたっても「自分の居場所がよくなりません。」
自分自身を変え、自分自身をよくするからこそ、今の自分であることに満足がいくようになります。自分を変えることが、この世界を変える第一歩になります。
人間関係がうまくいかないというきっかけは、自分がどれだけみんなが認めるような理想的な哲学や思想を持っていても、それで人を変えようとしてしまうことで生じることがあります。
大抵こうした理想的な哲学や思想は、人から虚を奪い取ることが多い話だからです。人にとっては、どれだけ理想があっても、まずは自分の身を守り、自分が快適に生きていく方が先決です。有機農業をするよりは、農薬使った方が楽なんです。
そこに、有機農業しろやーーー!と吹っ掛けていくと喧嘩になります。
とりあえず、自分が有機農業を実践し、その効率的な方法をどんどんさがしていくことです。もっと楽に農業ができるようになると、周りもやってみようかという気になるかもしれませんが・・・。難しいことは間違いありませんけどね。
イソップ物語の、北風と太陽ですね。ビュービュー風を吹かして言うことを聞かせるよりは、相手が自然とそう動くようにした方がいいというわけです。行動経済学に通じますね。
ちょっと長くなっちゃったので、結論をいいます。
消費は本来、自分が自分自身をより高めていき、自分の目標を叶える手段として行われるべきものです。私たちは生きていくためには食べなければいけません。つまり、消費は絶対に必要です。新しい知識の獲得なども同様です。旅行はそういう意味で、見聞を広めるのに役立つでしょう。しかし、手段は手段です。自分のしっかりとした目標がない、ただの楽しむだけの消費は、却って自分を駄目にしていくのです。ゲームをとっかえひっかえ楽しんでいるのと大して変わりはありません。
目標がないために、「目標ジャック」が行われるのです。これは今のところ個人の責任とされていますし、実際過ぎ去ってしまった時間はもう元に戻りません。それよりは、ジャックされないように、目標を定めて、その目標のために、金と時間を消費していくことが大切です。
依存症の人は、だらしがなく、ダメ人間に見えます。しかし、元をたどれば、消費者を育てたいという周りの見えない欲望、自分達の作った製品にもっと金を払ってほしいという周囲の期待、依存者がいることが実はうれしいという背徳性、目標を持ちにくい制限の多い社会、自己投資をするための資本力の低下、単に本人のせいだけとは言えない事情が多く存在しています。
というわけで、この章は、「確固とした目的もなく、ただ消費してく人たち」を批判した章だと思います。人間をパックして右へ左へ移動させるという表現は、旅行とか、流通とか、そうした消費経済社会を暗喩していると考えられます。
この本は、子供が大人よりも偉いという目線で書かれていますから、子供はそうじゃないという話に展開されています。子供は自分達の目標を見つけようとしている。そして、そのためにこの世界を窓から見つめている。そのように描かれています。
サンテグジュペリが物語の冒頭で、絵描きという素晴らしい職業をあきらめたことを、非常に残念に思っている理由は、絵描きというのは、絵を生産する職業だからです。もちろん、それには創造力を働かせる必要があり、最も人間らしい仕事と言ってもいいかもしれません。一方で、大人たちが要求する職業は、知識ばかりが手に入るし、お金も手に入るかもしれませんが、自分が生産したいものが見つからなくなってしまうのです。目的もなく、知識を詰め込んでも、生産には結び付きにくいのです。そこが、サンテグジュペリの、大人に対する敵意でした。自分は大人のための消費者として育てられてしまった。ここに怒りを感じます。だけど彼はこんなに素晴らしい本を書いた。そういう意味では、結果として、知識がある程度役に立ったのではないでしょうか。
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