つよがってしまう自分。その向こう側にあるのは、もろい自分。本当の自分。
こんにちは、いがらしです。
ここ2か月ぐらい、全然noteを書けていなかったんですよね。
自分でも「書くことないなぁ」ぐらいにしか思っていなくて、でも書かなきゃなぁ、いや、今はそのタイミングじゃないのかも、とか思っていたら2か月が過ぎていました。
今日は珍しく朝からスタバに来ているのですが、なんだかふっと力が抜けて、あとはっしー&けいこの「独立後のリアル」を聴いて余計にそう感じたのもあるのですが、
あぁ、自分、サボタージュとすごい戦ってるんだなぁって。
※サボタージュ:人が何かをしようとするときにそれを現実的・保守的な声で止めようとしてくるその人の心の声。
例えば、こんな声が自分の中から聞こえてきていました。
・結局コーチとして独立とかきれいごとで、生計立てられないんじゃないの?
・もしこれで結局会社員に戻っちゃったりしたらカッコ悪いよ、お前。
・コーチとしてもっとこうあるべきなんじゃないか?そもそもコーチは日々自分をコントロールしてさ、モーニングルーティンとかやってさ、日々成長していくべきなのだ。
・twitterとかもさ、コーチとして発言に責任を持たなきゃいけないんだよ。不用意なこと言ったらいけないんだよ。
・ワークショップとか募集するときに「あぁなんかあいつ頑張っちゃってるよ。力入り過ぎなんだよ。そんなの興味ないよ。」とか思われるんじゃないの?
・コーチングのクライアントもっと増やしたいんだけど、あまりfacebookとかに書くとみんなに「コーチングとかさ、そもそもあやしいんだよ。あいつ道外しちゃったのかな?大丈夫?」とか思われるんじゃないの?
・最初は人生の充電期間にするって言ってたじゃん、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないの?
こんな風に文字にして、そんなことを自分が思っている、ということを認めることにも勇気がいる。そんな声です。
言ってみれば、「向き合えない自分の声」かもしれません。
そして書いてみると全然過去形ではなくて、今もガンガン聞こえてきます。
書き出す前に「聞こえてきていました」とか書いちゃってる時点で守りに入っちゃって、「いや、今は全然そんなことないんだけどね~」とつよがっているのが透けて見えちゃいますよね。笑
こんな声に押さえつけられていて、noteにも素直に自分が思っていることを書けなかったのかもしれません。
どこかで、「noteにはちゃんと自分の考えやスタンスがきれいにまとまっているものを書かなければいけない」と決めつけてしまっていたのかもしれません。
あぁ、自分、つよがってたんだな。
気づかないうちに、また自分で鋼の鎧を新調して、勝手に身にまとってたんだな。
今こうして書いているだけでも心の中の濃い灰色のモヤモヤとしたものが出て行って、自分の心がスッと軽くなっていくのを感じます。
「公開」を押したら飛んでいっちゃうかも。
コーチである前に、自分はひとりの人間であって。
ひとりの人間として、僕はありのままの素直な自分であることを大切にしています。
もちろん、今日書いたようなことをいつも洗いざらい話せばいいとかそういうことでもありません。
僕にとってのありのままとは、顔の筋肉の力が抜けてて、ふわーっと軽くて、何物にもとらわれていない、自然とほほえんでしまうような、そんな状態かもしれません。
今この瞬間はこう感じています。
おそらくこれから先、変わっていくかもしれないし。全く変わらないかもしれないし。
それは誰にも分らない。
ただひとつ何も変わらないのは、自分という存在は変わらずそこにいる、ということ。
だから大丈夫。安心してね。
未来の自分が、今の自分にこう語りかけてくれている気がします。
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冒頭でご紹介した「はっしー&けいこの独立後のリアル」はこちら。
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