![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/61951142/rectangle_large_type_2_85ca893b0b0bda75fd4c88dc8fb7823d.jpeg?width=1200)
僕が出会った風景、そして人々(番外編③)
発掘現場の仕事
次の日、現場に行くと、新しい仕事が僕を待ち受けていた。遺物上げだ。
笑い仮面こと、主任調査員のK氏によると、現在、発掘調査は縄文時代の生活面に到達しているそうで、これ以後発見される遺物はすべて、最後にそれが廃棄された地点をほぼ保った状態であるという。当時の僕にとってはまったくちんぷんかんぷん、意味不明であったが、言われるまま作業した。
仕事の内容を簡単に説明するなら、今までに発見した遺物に名前をつけて、出土地点の位置を測定した後、一つずつ丁寧にビニール袋に入れて事務所に持ち帰るということだ。
![遺物出土状況2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/62134422/picture_pc_5ab43783e8a1d222cf8139515417b89d.jpg)
上の写真は最近のもので、光波測量により、1点ずつ位置情報を記録する。僕が発掘調査に従事していた頃の遺物上げは、下の写真のように、水糸で遣り方(注①)を組み、メジャーを用いて計る方法が一般的だった。
![遣り方3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/62254861/picture_pc_785a281b8d8ffabf52c23d9de21bdd7f.jpg)
当時は発掘調査の知識もなく、縄文時代がいつからいつまで続き、どんな文化だったかなどまったく知らなかったし、それほど興味もなかった。ただひたすら、バイト代を稼ぐために作業をしていたんだと思う。
この頃、僕はこんなことを考えていた。
「生きる目的と生活の手段が同じであれば、こんな幸せなことはない」と・・・。
素晴らしい小説を書くこと。これが僕の生きる目的だったので、上の式は、簡単には成立しそうになかった。
そんな苦悩をかかえつつ、僕は日々の労働に汗を流していた。
愛すべき発掘現場の人々
さてここで、遺跡発掘現場の作業員について少しお話ししてみたい。
僕が最初に入った現場では、トップの主任調査員が市役所の職員で、その下に調査員が数名いた。彼らはみな若く、考古学を専攻する大学生だった。
では、一般の作業員はというと、これがまた千差万別。僕のような売れない作家(?)や、売れない画家、売れない役者、売れないミュージシャン、売れない写真家、その他売れない人たちがひしめいていた。いや、正確には、「今は・・・」という単語がそれぞれの頭についたのだが・・・。
困ったことに、それぞれが自分に対して強烈な自信を持っているため、何をするにも「オレ(アタシ)は天才だ」という雰囲気を醸し出してしまうのだ。
しかも同時に、「いわば今は勇者の雌伏期間、発掘現場でのオレ(アタシ)はあくまで仮の姿」的な雰囲気も常に発散しているので、こんなに扱いづらい人種もそうそういなかったと思う。
もっとも、僕はそうではなく、常に自分に自信がなかったので、いつも「どうしてみんな、あんなに自信満々なんだろう?」と不思議に思っていた。
このように、行政によるお堅い仕事ではあったが、あまりに個性的な人間が集まり過ぎたため、現場では、常に筆舌に尽くしがたいほど、面白い出来事が続出したのだった。
次回からは、そんなエピソードを少しずつご紹介していこう・・・。
(期待してね。)
注① 遣り方:現場に水糸のメッシュをかけて、水平の地点情報を記録する方法。それと並行してレベルと呼ばれる機械を使い、それぞれの遺物の標高値も記録した。
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