見出し画像

『僕が出会った風景、そして人々』③

予備校のこと

前回、舎人で悪友たちと一軒家を借りて、気ままな浪人生活を送ったと記したが、ちゃんと毎日予備校へは通っていた。原宿と代々木に校舎がある○○○ゼミナールという有名校で、キャッチフレーズが「日々是実践、親身の指導」だった。

ある朝、教室に入り、座った机にこんな落書きがしてあった。

「日々是欠銭、辛身の非道 ○○○ゼニトール」

ここに通った先輩が書いたものらしく、文字もかすれていたが、僕は、”なんてセンスがいいんだろう、さすが東京は違うな”と感心したものだ。

同校の講師陣は超一流で、「大学受験ラジオ講座」でおなじみの、伝説の講師・勝浦捨造先生(数学)もご健在だった。漢文の多久(たく)先生の授業はたいへん面白かった。中国滞在が長かったそうで、授業中に、馬賊に襲われた話なども聞かされたりした。

(若い人たちへ。ごめんね。全然わからないですよね。興味があったら、ネットで調べてくださいね。)

ちなみに、上記の落書きとは違って、僕にとっては、すこぶるいい学び舎だった。定期的に行われる模試も志望校ごとの合格可能性が%で示され、励みになった。遊んでばかりいた僕が、次の年、見事志望校に合格できたのは、ここに通ったおかげだと思っている。

代々木駅前の交番近くに、「ティファニー」という名の喫茶店があり、友人と一緒に足繁く通った。そこでモーニングサービスの恩恵にあずかりながら、「ティファニーで朝食を」と言って喜んでいた。

ウン十年前の竹下通り、よく遊んだ雀荘やパチンコ店など、予備校周辺にまつわる面白いお話はたくさんある。またの機会にご紹介したいと思う。

舎人の話ふたたび
さて、本題に戻ろう。僕が舎人に住んだ5年あまりの間に、そこで触れ合った人々や、出来事についてご紹介してみたい。

○○ランドリーのこと
僕たちが住んだ下宿の近所にあった洗濯屋さん。
ここのご主人がとってもいい人で、我々貧乏学生は、大層お世話になった。
 なぜか僕のことを気に入ってくれたようで、お宅で酒をご馳走になったり、飲み屋さんに誘っていただいたり、家族のように接してくださった。

”つぶらな瞳をした勝新太郎”みたいな風貌で、おなかが少し出ていて、豪放磊落、よく食べ、よく飲み、よくしゃべる人だった。麻雀とカラオケ、ジョークが大好きで、しかもすべて一流の域にあった。
 僕が舎人を出た後も、ご主人からハガキをもらい、一緒に後楽園球場で野球を見に行ったりした。

本当にお世話になった人だったが、ごく最近になって、風の便りで既に他界されていることを知った。お元気なうちに一目お会いしてひとことお礼が言いたかった・・・。

noteの場をお借りして、心からご冥福をお祈り申し上げます。

そう。この〇〇ランドリーも、今はもうない。

(つづく。・・・ここまで読んでいただきありがとうございます!ごめんなさい、まだまだ続くんです。よかったら、是非またお立ち寄りください!)

・・・次回は僕の恋愛物語をご紹介します。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?