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今日一日を新たに生きていく3-2

秋晴が気持ちいい。そんな日がやって来た。だが実際は朝の冷え込み未だ半袖と短パンで過ごしている俺には辛い季節。衣替えをしようにも暑い日がたまにあってやる気が起きない。相変わらずやらない理由を拵えるのは得意だ。秋から冬へ向かう天気に抵抗なんてやめてソレらしい格好をしよう、そう思いながら日々を生きている。

〈前回のあらすじ〉
薬を使い続け、家に帰らず、仕事をほったらかしにし、狂気の真っ最中。
自身の状況がどんどん悪化して行くのを自覚するが、狂気の進行は凄まじいく、すぐにまた薬を求めて出歩く始末。そんな時、『自分の人生がどうにもならなくなったこを認める』そんなきっかけとなる出会いを果たす、そんな雑記。

前回からの続き。薬が入った状態でSEXをする相手を求めて移動してきたはずなのに、俺の状態を話すと、出会った彼から『もう薬を使わない方がいい』と諭され、ある文献を見せられる。
そこに書いてあった文言のどれもが自分に当てはまる。まさに現実を突きつけられた瞬間であった。

自分勝手な俺への誘い

手渡された冊子を読み耽る俺。何を書いているのかさっぱり分からない事もあったのだが、なぜか俺は書かれている文章に従う必要を感じた。
聞く所によると、彼も薬物を使っていた経験のある人で、今は使っていないということだった。

その話を聞いた時、俺は『失敗した』と思ってしまった。
見せられた冊子に惹かれるものがあるのだが、元々の目的は薬とセックス。快楽に溺れる事だったので、まさか出会った人が薬物を止めている人だとは思わなかった。

さぁこれからやるぜ!という所でこんな形で出鼻を挫かれることなんてあるだろうか。
とことん自分勝手なやつだと思う。彼の話を聞きながらどうやってこの場から去ろうか、そんな事ばかり考えていた。

その様子、その考えを見通していたのだろうか。その彼は冊子の解説をしながら俺にある誘いを持ちかけてきた。

与えられた正気の一時間

今でもその彼の言葉はよく覚えている。そしてこの言葉のおかげで俺の運命は大きく変わった。

『貴方の1時間を私にくれませんか?』
その言葉はとても紳士的で、誠実さに溢れていて、至極真当、謙虚の極みであった。

この場合『断れなかった』という表現は適切ではないだろう。
彼のこの言葉に狂気の最中の俺に一抹の【正気】が与えられたのではないだろうか。
もしくは正しい判断などきちんと出来なかったのだろうか?正直にいうとその日の宿を確保したいという邪な気持ちが確かにあったので、導かれることに決めたのである。

彼と落ち合った場所からバスへのり揺られる事10分ほどか、その場所へ行く前にご飯をご馳走になり、近くだからと歩いて進む。

たどり着いたのは教会だった。大きいが少し古さを感じる雰囲気。
俺は再び『失敗した』と感じる。この人はキリスト系の信者だったのか、と。何を隠そう、俺は昔から【無神論者】であった。諸々の経緯は割愛するが、神や仏が本当にいるなら『なぜ俺は生きているんだ』と嘆いた事がある程に信じる気持ちを持ち合わせていなかった。

そんな俺の気持ちを察したのかは分からないが、彼は「ここは教会だけど、キリスト教の集まりではない」と言う。だったらなんの集まりなんだと訝しげながら彼の後ろをついていく。

中に入ると大勢とまではいかないが、それなりの人数が教会の一室に集まっていた。
確かに信者の集まりではなさそうだ。俺はその光景を見て思う。
凝り固まった偏見の現れであるし、失礼な話なのではあるが、俺のイメージの信者とは程遠い。何なら仏教系だと言われる方がまだ信じられる。
そんな年齢層や見た目の集まりだった。

それこそ、自分のような人間とは対局の世界で生きてきたであろう、入れ墨全開の人がちらほらいるし、見た目が厳つい人々がいるのもまた必然。
俺の目には異様な光景としか言い様がなかった。
もちろん厳ついとは遠い人もいるのだが、その事実がまた俺の頭を混乱させる。

俺の矮小な世界の常識では、一室の中にあんな多種多様な人々が一緒に存在していることに驚きであり、ありえない光景と言ってよかった。

俺を連れてきてくれた彼が色んな人に俺を紹介してくれるのだが、俺は情報量が多すぎる空間に処理が追いつかず、ペコペコと頭を下げるだけで、大抵の人から握手を求められ、それに返すのが精一杯だった。

当然のことながら例の厳つい方々にも紹介され握手をし、緊張で色んな汗をかいていた事だろう。
今となっては物凄く良い思い出なのだが、当時の自分は訳がわからないままされるがままだった。

ミーティングーなぜ私たちはここにいるのかー

ひとしきりの挨拶を終え、席に促されると、会場の責任者(会場係)の方から色々な説明を聞かされる。
平たく言うと【薬物を止めたい人たちが集まる場所】である。ということだそうだ。

※俺のこの一連の話の中では直接的に団体名を出すことはあまりしたくないので、【自助グループ】とさせていただく。
【自助グループ】とはなんぞや?については軽くではあるがこの記事に書いているので、併せて読んでいただけると幸いである。

会場によりけりではあるが、一時間の間にテーマに沿った分かち合いを行うというもの。
そして、誰かが話をしている間は、口を挟まず黙って聞いているだけ。また自分が話をする場合は、自身の話をし、周りはそれを聞いているだけ。というスタイルを用いている。

自身が過去薬物によってどんな影響があったのか、そして今はどうか、これからどうしていきたいか、という経験と希望と力を持った話をするのだという。

そして、初めて来た人に渡すものがあると言われ、彼から見せられたあの白い冊子と白い【キータック】なるものを渡された。
そしてこのキータックは白いキータックをもらった日を起点に、アルコールを含めた薬物を使わない日が30日、60日、90日、半年、9ヶ月、1年と経過する毎に色の違うキータックが貰えるのだそうだ。

会場係の人の長々とした説明や渡された物の事は、薬の入った状態の俺にすんなりと入ることなどなかったが、キータックを渡された時には『これを気に薬と縁を切らないといけないんだな』という小さな、微かな決心のようなものが湧き上がったのを覚えている。

その一時間、自分は自己紹介だけして、その場にいる人達の話を聞いていたのだと思うが、その時みんながどんな話をしていたのかは全く覚えていない。仲間たちは自身の経験と希望と強さの話をしていたのだと思うのだが、ミーティングが始まる前の自己紹介と自助グループの説明でお腹いっぱいの状態だった。薬が入った状態だったこともあり、残りの時間は恐らくボーッとしていたのだろう。

一時間があっという間だったのかも、長く感じたのかも覚えていない。
終わった後は、どっと疲れがこみ上げてきたのは覚えている。その日の夜はミーティングに連れてきてくれた彼の家に泊めてもらうことになっていたので、一刻も早く休みたい、そんな変わらぬ自分勝手な思いに苛まれていた。

つづく

しかし、確かにあの一時間は俺にとってのかけがえのない【ターニングポイント】になったことは間違いない。
彼が俺に言った『貴方の1時間を私にくれませんか?』この魔法の言葉に俺は救われることになる。

残念なことに、あの日、初めて自助グループの扉を背中を押されて、開けたその日から救われた訳ではない。
本当の意味で救われ始めるのはもう少し先なのである。

SNSで彼と出会い、自助グループを教えてもらった事は感謝してもし尽くせない。
しかし、前途はまだまだ多難であり、あの時はまだ誰かに【感謝】するとは程遠い所に自分がいたように感じる…

【狼蓮】





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