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詩、夢、象徴性のちから


先月、投稿した「ユングの小路」で触れたイタリアの「イル・ポスティーノ」の映画に関して、最近、histaroh358さんが詩、メタファーの働きとからめてnoteに投稿されており、その共時性に改めて驚いた。

「イル・ポスティーノ」という映画は、30年前に制作された映画であるにも
かかわらず、私が投稿したすぐ後のタイミングで、メタファーに言及されて語られていたためである。
不器用で口下手なこの映画の主人公の姿は、何故か私自身にも重なるものがあり、改めてとても親近感を感じた。

私もまた、仕事の重圧を感じていた時期に俳句を通して俳句の詩形、季語を
主体とするメタファーを日常の中で意識するということで何とか正気を保ってきたので、histaroh358さんの投稿内容がすとんとお腹に落ちるものがあった。

ユングの小路|junchan|note

人生それ自体が詩 ~ 「イル・ポスティーノ(Il Postino)」 (イタリア映画)|hisataroh358|note


また、先日、奈良に俳句仲間と吟行に行った。年配で足腰が調子の悪い方もおられたのでならまち周辺を少し歩いて終わりというイメージでいたが、急遽、奈良在住の俳句仲間が当日参加することになり、彼のガイドで、やや強行軍であったが、奈良公園の萬葉植物園付近まで歩いた。
茶屋で休んでいるときに、何か萬葉植物園のことが気になり、帰り際も植物園の入り口付近をじっと見つめていた。
帰宅してから家内に確認してみると、家内と出会った30年前にこの植物園には二人で入ったとのこと。私はすっかり忘れてしまっていた。

このことも、ただそれだけと思えばそれだけであるが、私も家内も出会って30年が経過し、サターンリターンを経て、今まで隠していたものが表面に現れてきたとしか思えないような出来事が続く中、お互いが出会った頃の新鮮な感じが失われつつあった。

そんな私に30年前の二人がまだ結婚する間に行った場所に、その頃の純粋な気持ちを思い出させるかのように導いてくれたのではと受け止めた。

私のネイタルチャートの7室乙女座に月と冥王星が、家内も7室乙女座に冥王星と天王星、冥王星は射手座火星、金星、水星とスクエアとかなり強く影響し合っている。
この7室乙女座冥王星の影響というものはなかなか意識できていないが、いろんな出来事の背景に影のように働いてきたのではと思う。

7室月乙女座で、在宅勤務の際は、居間や台所の整理、洗濯をついつい気になってやってしまう。仕事よりも家事に先ず身体が動いてしまうという感じである。月乙女であるために目に見える範囲で整理、掃除すればそれで気がすむ感じであるが、たまに家内から整理の出来栄え等に文句が出ると7室月乙女が強く発動して感情的になりがちである。


また、先日、大きな書店に立ち寄って、占星術、俳句、心理学の書架の歩いていたときに以前、読んだ中井久夫氏のNHKの100分DE名著の近くに河合隼雄氏の同じシリーズが置いてあり、ぱらぱらとめくってみた。既に読んでいるユング心理学入門や神話と日本人の心等5冊の本をまとめた内容であり、読んだ内容もあった。その第4項に夢が映す生き方ー「明恵 夢を生きる」
という内容があり、この本は読んだことがなかったので、該当する書架に行ってみたらすぐに見つかったため、この2冊をまとめて購入した。
「明恵 夢を生きる」は河合隼雄先生が、かなり長い期間、準備されて執筆された本で、明恵という鎌倉時代初期の僧の夢とともに生きた姿を神話に惹かれ、ユングを学んだ日本の心理学者の立場か書かれている。その明恵も春日大社とご縁があったという一節があり、先日のたまたま春日大社を訪れた流れともまた重なった。「明恵 夢を生きる」に関してはまだ読み切れておらず、改めて考察したいと思う。

昨年11月中旬から松村潔先生の「ムーンダイヤリー」に夢の場面、キーワードを残してきた。河合隼雄先生がユング心理学入門の夢分析で語られているが、先ずは夢を見たひとの意識の状態(その人の考えや感じていることに照らし合わせる)を知ることが大切であること、そして夢を一つではなく継列的にみていくことが大切と語られている。

夢の記憶を残しはじめたときは、1つ1つの夢で登場してきたものや場面から判断する、夢占い的な視点で分析していた。
このことは、まさに西洋占星術を占いとして単に自分の将来や選択する判断として活用するという視点と重なるのではと感じた。

既に何度か語ってきたが、西洋占星術は占いではなく意識の学問とした場合は、そこに自分自身の意識の変化に向けた象徴性が働く要素が含んでいると思う。
夢においても、まさに単に夢占いではなく、夢が私自身の無意識の象徴として、味わうことで、意識を働かせている現実への補完性として働いていく。

このことは、西洋占星術の向き合うサイン、ハウスの補完性の考え方とも相似象である。
例えば、私の太陽牡牛座は反転する蠍座海王星、木星との連動し合うことでバランスが保たれていることが西洋占星術の学びや星読めの仲間との定期的なお話会を通して確かなものなってきたように思う。

俳句も象徴性の高い季語が置かれ、それと対応する形で語句が置かれて成立する短い詩型である。従い、この短い詩型で大きく立ち上がるものが生まれることもあれば、単に報告調、又は、どこかで見たことがある既視感のある所謂、月並みなものになってしまう。
そこには知識や理屈ではない、象徴性の季語と響き合い、読み手に普遍的なイメージが伝わっていくかが問われている。

俳句のメンバー同士においても、ふだんは親しくしていなくとも、季語という象徴性の深い存在を通して言葉の余白を感じ合う座であるために、お互い、親しく付き合えるのかもと最近、感じている。




浅春の扉を押せばビバルディ


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