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私が『障がい者』ではなく『障害者』と書く理由 ~ 生きづらさを減らす社会を目指して ~

近頃は『障害者』と書かず、「障碍者」や「障がい者」と書く風潮があります。
その人に「害」があるように見えるので『障害者』と書くべきではないという考えで、「障碍者」と書くのが正しいとする主張です。
この主張をする方の中には、役所や企業にも「障がい者」と書くようにクレームを入れる人もいます。

私はこの考えには真っ向から反対します。考えの前提がおかしいからです。
「障害」があるのは、その人ではありません。「障害」があるのは「個人」ではなく「社会」です。

私は『バリアフリー』の信念を持つため、『障害者』と書くようにしています。「社会」はその人に「障害」をもたらしているのをきちんと認識すべきだと考えます。「障がい」という曖昧な認識で、「社会」が「個人」に対して「害」を与えている現状から目を背けようとしていることを、私は許しません。

「社会」が「障害」を与えていると認識した「個人」に対しては、経済的・物理的・精神的な支援を行うべきだと考えます。現実的には、障害年金や障害者手帳による認定で、支援対象者である『障害者』を認識しています。

障害者差別解消法により、役所や企業には『障害者』に対する「合理的な配慮」を行うことが求められています。例えば、資格試験では、視覚障害のある方への配慮として点字の問題を用意したり、聴覚障害のある方の配慮として補聴器の利用を認めたり、別室を用意する等の対応がされています。飲食店の利用においても、ペットの持ち込みが禁止されている店の場合でも、「盲導犬」の持ち込みは問題なく許されます。

「社会」が『バリアフリー』の理念を持って少しでも「障害」《生きづらさ》を減らしていくために、どんな言葉狩りや批判をされようが、私は『障害者』と書き続けます。
年金や手帳を与えるだけで「社会」が何も「障害」を減らす努力をしないのはおかしいと、私は思います。意識を怠らないように、具体的な「障害」を認識し続けるべきだと考えます。

社会的に評価される障害者支援関係の資格は、福祉系の大学や専門学校を出た人に限られるのが現状です(社会福祉士等)。私は社会人向けの障害者支援関係の資格があればいいなと思います。
障害者差別解消法により企業側が『障害者』への「合理的な配慮」を行わなければならない中で、障害者支援への正しい知識が必要であり、専門職ではなくても履歴書に書ける資格のニーズがあるのではないかと思います。「障害」の特性を知らず、やるべき「配慮」をしなかったり、「配慮」のやり方を間違えてしまうと、苦情対応等の業務負荷が増えるリスクがあると思うからです。
もしこういった資格ができたら、「簿記」や「秘書検定」や「ITパスポート」等のように、就活生に人気のある資格になればいいなと思います。

この記事の見出し画像を「初音ミク」にしたのは理由があります。
私は、もし自分が言語障害を負って声を出せなくなれば、iPadを使って私の代わりに「初音ミク」や「琴葉茜」に声を出してもらおうと考えています。

声を出せない障害を負った人がコミュニケーションをとるには手話や筆談しかないと学生の頃は思い込んでいました。
しかし、社会人になり仕事をする中で、iPadで言語読み上げソフト(専用アプリ)を使って会話し、コミュニケーションをとる人に出会いました。
私が「エンタメ」としか見ていなかった「ボカロ」や「ボイロ」といった技術が、『障害者』の日常生活の役に立っていたことに、私は衝撃を受けました(あとiPadを使いこなしていたのが、とてもカッコいいと思いました)。

科学技術が発展して、「社会」に色々な楽しい物や便利な物が増える中で、具体的な「障害」についての知識や意識がある人が多くいれば、もしかしたらブレイクスルーが起こって『障害者』が直面する「障害」を減らすことに繋がるかもしれないと、私は考えています。

私は『枯れた技術の水平思考』が好きです。
『枯れた技術の水平思考』とは「ゲームボーイ」を作った横井軍平さんが唱えたものです。仕事道具である「電卓」(安価に普及した商品=「枯れた技術」)から、遊び道具である「ゲームボーイ」(大ヒット商品)が生まれるに至る思考法です。
こういったブレイクスルーが障害者支援の世界(福祉用具やサービス等)でも起こらないかなと思っています。

「日本」という国は『バリアフリー』(《生きづらさ》からの解放)を少しずつでも確実に達成していく「社会」であればいいなと、私は思います。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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