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第一章 赤線の灯が消える⁉ ヤバイ、あの計画を!(前編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―横浜・永真カフェ―

 赤い長襦袢をだらしなく引っかけた女が、腰を突き出して椅子に座っている。両足は惜しげもなく開いたままだ。あらわになった白い太股が艶かしい姿態を晒している。

つい先程まで男を迎え入れ、何度も絶頂の波を味わった花芯が、まだ、かすかに息づいていた。その花芯を覗くような格好で男が椅子の前にかがみ込んでいる。女の茂みをちり紙でせっせと拭いているのだ。ひととおり拭き終えると男は、

「よし!」

と言って、女の片足を持ち上げ、ちょうどふくらはぎのあたりを自分の右肩にかけた。

その弾みで女の下半身が椅子を滑り、柔らかい尻が更にせり出した。女は恥じらうでもなく、タバコをうまそうにふかしている。

 男が側に置いてあったハサミと櫛を取り出した。下刈りをするのだ。茂みを丁寧に整え、ハサミで削いで綺麗に揃え始めた。

 三畳間程の狭い部屋にシャキシャキというハサミの音が響く。削いだ毛先が下に敷いてある新聞紙にサラサラと落ちていった。

突然、男が大きなクシャミをした。

「ハッ、ハッ、ハックション」

 削いだ毛が鼻に入ってしまったのだ。むずがゆい鼻をこすりながらクシャミを二、三度すると、新聞紙にうっすらとたまっていた恥毛が畳に飛んでしまった。

「あーあ、ヤバイなぁ。こんな細かい毛、なかなか見つかりませんよ。…これって、存在自体恥ずかしい毛ですからね。畳に隠れちゃってわかんねえや」

 男は畳に顔を押し付け、両手を這わしながら拾い集めている。その様子がおかしくて女は最初クスクス笑っていたが、男がいつまでも拾っているので、さすがに呆れ返っている。

「何やってんのよぉ、まったく」

「だって、飛んじゃったもの仕方がねえよ。客の体についたらチクチクしちゃって、かゆいぞ、これ」

「そんなもの後で掃いておくわよ」

 女は名を千秋と言った。年の頃は三十五、六といったところだ。横浜の赤線地帯・永真カフェ街にあるサロン「かもめ」の娼婦である。

 男は船乗りの浜やん。二十三才と若いが日焼けした浅黒い顔に港で鍛えた屈強な体つきは、実際の年よりかなり上に見える。ポマードで固めた流行のリーゼントヘアーが自慢だ。

 本名を浜野丈二という。仲間たちからは浜やんと呼ばれていた。彼は、ユーモア溢れる話しっぷりで絶えず笑いを振りまき、持ち前のひょうきんさで女たちにもモテた。軟派かというとそうではない。喧嘩がめっぽう強いのだ。何か理にかなわないことがあったりすると、どんな相手でも向かって行き、機先を制して叩きのめす。要するに口八丁手八丁の男なのだ。

 ―好きなものは、女と海よ。

 そんなキザなセリフを彼は照れもせず平然と言い放つ。実際、海で働くことは男としてのステータスを満たすのに十分だった。港には荒くれ船員たちが多く、腕に自信のある彼は喧嘩で名が売れた。その上、小さい頃から憧れていた外国にも行ける。

 彼は貨物船の操舵手としてアメリカやフィリピンなどへの外航を繰り返していた。

仕事はきつかったが汗を流した後、大海原で潮風をめいっぱい浴びる時などは無上の喜びを感じた。シケにはかなり航路を阻まれたが反面、朝焼けや夕焼けに輝く海は泣けるほど美しかった。

船乗りという職業は男のロマンと旅情を存分にかき立てた。長い航海を終えて港に着くと仲間も彼も競って女を買った。浜やんには馴染みの女があちこちにいた。なかでも千秋とは親しかった。

三年前、初めて千秋の客になって以来、彼の実家が永真カフェ街から三、四十分の場所だったこともあって「かもめ」には頻繁に遊びに来た。千秋には面倒を見てくれる旦那がいたが、浜やんをなぜか可愛がってくれた。セックスの手ほどきを受けた最初の女でもある。千秋自身、エクスタシーを味わうことに貪欲な女で、本能をむき出しにして息が詰まるような激しいセックスを求めた。

 浜やんは傷だらけの体で「かもめ」に来ることもあった。喧嘩っ早く親分肌の彼は、仲間が他の船の奴らに因縁をつけられた時などは一人で喧嘩を買い、逆にボコボコに殴られることもあった。その足で「かもめ」に来ると千秋は薬箱を持ち出し、丹念に傷の手当をしてくれた。その上、悔しがる浜やんを何かと慰めてくれたのだ。

「男はあんたみたいに一人でも勝負出来なきゃダメよ。そこだけはあんたはたいしたものよ」

 人の匂いを嗅ぎ分ける術は己の体ひとつ。そんなふうに生きている女に誉められることは彼もまんざらではなかった。

 既に「床付け」は済ませた。「床付け」とは、客を取った女が布団を敷いて先ずは一回、男に抱かれることをいう。その後、女は帳場に行って夜食をとったり、洗浄室で体を洗ったりして休憩するのが店の習わしだが、馴染みになれば、いろいろ融通が利いた。

 昭和三十年、横浜の真金町と隣接する永楽町界隈の赤線地帯・永真カフェ街には百九十軒前後の店が軒を連ね賑わっていた。
旧遊郭が赤線街になった永真カフェ街は、関東大震災、そして昭和二十年の横浜大空襲と二度焼失したが、男と女の火遊びは戦後、色街の復興を難なくした。

 夜の帳が下りるとネオンの華が煌めき、春を売る女たちが路地や店先で男たちの袖を引く。今宵の恋に身を焦がし、夢とうつつを行ったり来たり…寝床を共にする女たちの数は七百人余り。咲いて乱れて、花それぞれが艶を競っていた。男たちが群がる蜜の値段はそれぞれ店や地域によって違うが十五分程度の『ショート』、或いは『遊び』が平均四、五百円。『時間』というシステムは『ショート』の倍で千円前後。朝まで女と過ごしたい客には千数百円から二千五百円前後の『泊まり』があった。こうした相場は、この時期のデフレで年々安くなっており、店は夜の十二時で看板が原則だったが、それもなし崩しの状態で遅く店に入れば五百円程で泊まれるところもあった。


続き > 第一章 赤線の灯が消える⁉ ヤバイ、あの計画を!
―横浜・永真カフェ―(後編)

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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