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第一章 赤線の灯が消える⁉ ヤバイ、あの計画を!(後編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―横浜・永真カフェ―

「ねぇ、あんた知ってる?この商売もぼちぼちヤバイのよ」

 女たちの嬌声が通りから聞こえる二階の部屋で、お茶をすすりながら千秋が話しかけた。浜やんが怪訝な顔をした。

「なんでよ」

「詳しいことはわかんないけどさ、この商売を廃止にする動きがあるんだって」

「廃止?」

「うん、法律が出来るかも知れないってよ」

「ほんとかよ。…強制的に?」

「そうみたい」

「そんなもん出来たって闇でやってりゃ、わかりっこねえじゃんか」

「どうも、そうじゃないらしいんだ。この間来た役人が言ってたのよ。お店の人たちも何年か先に廃止になるって言ってたよ」

 千秋の話では近い将来、赤線は廃止に追い込まれるという。

 この時期、つまり昭和三十年から三十一年にかけて全国の赤線地域は千百七十カ所にも及び、業者は一万五千人余り。もぐりの青線を含めると約五十万人の女たちが春をひさいでいた。俗にいう赤線とは性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した『特殊飲食店』の集まった地域である。店が立ち並んだ一帯を警察の地図に赤い線で囲った為、そう呼ばれていた。赤線地帯の周辺で営業許可を受けずに売春行為を行なっていた地域を青線と言った。

 そうした一方で、女性の人権を擁護しようと婦人団体やキリスト教関連の団体などが廃娼運動を各地で広めていた。売春防止法の施行に向け国会での審議も行われ、赤線を廃止する世論が一段と高まっていた。

 そんな動きになっているとは、年中外航を繰り返している浜やん、全然知らない。

彼はもう一度千秋に聞いた。

「じゃあ店、やめちゃうの」

「いや、わかんない」

「廃止になる時期って、いつからよ」

「だから、そこがよくわかんないのよ。だけど、どうも近いらしいのよ」

「近いって言ったって…その話、役人から聞いたんだろう。だったらわかるじゃん」

「それが詳しく教えてくれないのよ。その人も細かいことはわかんないみたいよ」

「…ふぅん、そうか」

一瞬、浜やんが顔を曇らせた。

「どうしたの?あんた。店が閉鎖になるの、そんなに知りたいの。あーわかった。あたしと別れるのがつらいんでしょ。もしかして、あたしに惚れた」

 千秋がいたずらっぽく微笑み、浜やんの顔を覗き込んだ。

「ほぅら、顔に書いてある」

 千秋はそう言うと長襦袢を肩からずり下げ、あらわになった乳房を浜やんの顔にあてがった。そして乳房の付け根のあたりを両手で強く握り、クルンと上向きになった乳首の先端を浜やんの首筋から顎、そして顔全体にゆっくり這わせていった。

ゾクゾクする感触に包まれながら、彼は乳首を舌で転がし歯で軽く噛んだ。

「あぁ…」

 千秋は、かすかな嗚咽を漏らしながら浜やんにしなだれかかり耳元で囁いた。

「あたしらはね、蛍みたいなものよ。

 ♪ ほっ ほっ ほたるこい

  あっちのみずは にがいぞ

  こっちのみずは あまいぞ、って…


 お尻に小さな灯りをつけて、男の間を行ったり来たり…所詮、夜しか生きられない。真っ赤な輪の中でしか生きられないのよ。だから…店が看板下げたら、あたしたちの関係もそれで終わりよ」

 彼女はそう言うと更に乳房を押し付けた。

「もっと吸って…」

 千秋はこの夜も激しく求めた。

浜やんは千秋を抱きながら全く別のことを考えていた。

 ―赤線が廃止になる。

 困ったことを耳にした。先程からそのことが気になって仕方がない。だから千秋にしつこく尋ねたのだ。千秋は自分と別れるのが辛いので浜やんがしつこく聞いたと思い込んでいる。だが、それは違った。馴染みの女として何かと気が合うところはあったが、千秋は自分の女ではない。自分には惚れている堅気の女がいる。それよりも赤線街の店が閉鎖してしまったら…そっちの方がまずい。

 彼には船員を一年間だけ休み、一攫千金を狙って、ある賭けに打って出たい想いがあった。それには赤線街の店である特殊飲食店が営業していることが絶対条件だった。廃止になれば、その青写真が水の泡になってしまう。

 赤線街の店を狙ったある賭けー彼の中に潜んでいた詐欺師くずれの血がこの夜を境に急速に脈打ち始めた。

 ―やるなら、早いに超したことはねぇ。


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―湘南・江の島―(前編)

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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