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第ニ章 奇想天外! 仲間を集め"重大発表"(前編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―湘南・江の島―

 目の前に横たわる江の島の影を映して、深い緑色がかった海が遥かに広がっている。照りつける太陽に肌を晒し、砂浜を埋め尽くす人々の姿は殆どない。湘南、片瀬の夏も終わろうとしていた。江の島に続く弁天橋を連れの女たちとふざけ合い、時折、歌を口ずさみながら島に向かって歩いている男がいる。
浜やんである。白いダブルのスーツで決め、肩を怒らせながら少しがに股で歩く姿は、どこぞのチンピラと思われても不思議はない。

「オー!海がおいらを呼んでるぜ~」

両手を広げ大袈裟に見得を切る浜やんに、女たち二人はクスクス笑っている。大好きな海と、女たちを従えて、彼はまんざらでもなさそうだ。すっかりお調子モンの顔になっている。

 彼はつい一週間前、船員を辞めた。というかクビになってしまったのだ。海は彼を呼んでなかった。クビの原因は女である。船が神戸港から外航に出る朝、恋人のマリと旅館で寝過ごして出航に遅れ、船長の怒りを買ってしまったのだ。久しぶりの逢瀬で前の晩つい夜更かしをしてしまったのが仇となった。しかし、転んでもただでは起きない浜やんは横浜の船会社に掛け合い、雇い止め手当として十万円をせしめて来た。いわゆる退職金である。その十万円をスーツのポケットにねじ込み、江の島に来たのである。この金を元手にかねてから考えていた計画を実行に移すのだ。
浜やんに職を失った暗さはみじんもない。

 連れの女たち二人は、その計画になんとしても必要だ。一人は恋人のマリである。流行のマンボズボンを粋にはきこなし、ポニーテールに束ねた髪が妙に愛くるしい。むっちりした体つきに整った目鼻立ちはアメリカ映画「白熱」で汚れ役を演じ、西部劇などでも活躍した演技派女優、ヴァージニア・メイヨに似ていた。すれ違いざま男たちが振り向くほどの美人だ。浜やんもマリが神戸の喫茶店で女給をしていた時に初めて知り合い、一目惚れしてしまったのだ。

 もう一人はマリの友達のちか子である。ちか子は頬がりんごのようにうっすらと赤く、愛嬌のある顔立ちが田舎臭い雰囲気を漂わせている。紺のスカートの留め金が今にも外れそうで。ウエストは見事にくびれていない。ズン胴なのだ。駄菓子が大好きで、年中ポリポリかじっている。特にあんこ系には目がない。饅頭は一度に五個ぐらい食べてもケロッとしていた。仲間たちからはあずきの本場、十勝をもじって「十勝」とか「りんごちゃん」とか呼ばれていた。

 ちか子は東京の蕎麦屋で働いていたが、マリの誘いで店を辞め、この”旅”に加わった。店の主人は働き者のちか子にもっと店にいてもらいたかったのだが、浜やんが主人を脅して強引に連れて来た。マリもちか子も長野の中学校を卒業し、都会で働いていた。高度成長期を控え、農村から都会へ若者たちの流出が始まっていた。

”金の卵”と、もてはやされる若い労働者たちである。
浜やんにとっても二人は"金の卵"だった。

「さぁて、これから重大な発表をする」

 ひと風呂浴びた江の島の旅館で新たな旅立ちを祝う豪華な祝宴が始まった。箸をつつきながら浜やんがマリたちに切り出した

「俺たちは今、失業中だ。だけど若さが命だ。これからは火の玉になって金をつくるからな。大丈夫、地獄の一丁目には行かねえから心配すんな。だから俺が言ったことはちゃんと守るんだぞ。それが基本だ」

 何事にもオーバーな表現をするのがこの男のクセと言うか身上だ。だが、マリたちには何をやるのかさっぱりわからない。

「何よ、いきなり…もったいぶってないで早く教えてよ。一体何やんのよ」

 ちか子も箸を止め、浜やんの次の言葉を待っている。

「とにかく、強盗じゃないことは間違いねえ。これからは遊郭っていうものが流行る時代なんだ」

 ちか子が浜やんに聞き返した。

「ゆ・う・か・く…?」

「そうだ。世の中、女がいれば男がいる。遊郭って知ってるだろ、おまえら」

「う、うん。なんとなく…」

「女郎と寝る為に一晩いくらで買うところよ。昔は遊郭って言ったけど、今は赤線っていうんだ、そういうとこ。そこで働いている女たちは店からなかなか抜け出せねえような仕組みになってるんだ。可哀想なんだから…稼いだ金も経営者に相当ピンハネされちゃってよ」 

 赤線で働く女たちと店側の利益配分は、店側が六~六・五分で女たちが三・五~四分。その中から女たちは電話料や寝具、衛生器具代、中には食費や部屋代まで差し引かれ、稼ぎが少ないとそれが食い込んで借金になって残る。手元に金が残るケースは少なく、殆どの女は出入りの商人に外借金を抱えていた。なぜ、そんなに借金が膨れ上がるかというと着物や化粧品、履物から下着などを特定の商人を通じて買わされていたのである。女たちは、その借金の為身を粉にして働いていたのだ。
 浜やんは、そのことを知っていたので、マリたちにこう誘い水をかけた。

「だから、そういう女郎屋からお金を頂いちゃうんだ。悪いことをやっているんだから」

 女たち二人はびっくりした様子で顔を見合わせ、浜やんに次々と質問を浴びせた。

「お金を頂いちゃうって、どうやってやるのよ」

「襲うの?」

「ちょっと待て、それじゃ、強盗になっちゃうじゃん。そんなヤバイことはやらない。

俺はこう見えても用意周到なんだ。確実に金になることしか絶対にやらない。いいか、よぉく聞け君たち…」

 浜やん、調子に乗っていつの間にか二人を〝君たち〟と呼んでいる。

「この計画には俺とマリとちか子、そしてもう一人、男のパートナーが必要なんだ」

「男のパートナー?」

「そう、助っ人だ。大丈夫、アテはあるから」

「だから、どうすんのよ」

 浜やんのもったいぶった言い方にマリたちはしびれを切らしている。その頃合いを見計らって、彼は二人をジッと見据えて言った。

「君たちを売るんだよ」

「エー!」

 二人は旅館中に響くような大声を上げた。


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―湘南・江の島―(後編)

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。


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