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じいじ 保育士を目指す! 未来

自分の未来は

 もう人生の半分以上を過ぎて、未来について考えてもたかが知れているのだが。。。

 それでもこれからの子ども達を育むという専門職で、そういう学問領域を学びながら、保育をどうすれば前進させられるのか(もちろん、自分の力もやれる事も)限られた中で、どう実現するか模索中というのが今だ。

 限られた時間という第一の制約と、自分の経済的制限という第二の制約が存在している。自分の夢は、究極は自園を開いて自園で実践する保育を広く世に問う事。世の中に発信していく事だけど、おいそれと自園を設立する事はできない。

 単純に、設立するだけで数千万円単位では足りない。億単位の金額が必要になるし、志す保育者を集めて事業経営を成立させていくという保育園経営という別の問題も発生してくる。

 では、どうするか?大学院で学べば学ぶだけ、保育の可能性や豊かさと現実の問題との乖離(実現可能性)ははっきりしてくるし、経営という側面で見れば少子化は当然大きな影響を与える訳で、理想的園を作るのとその実践を持続可能なモノとしていく事の厳しい現実が存在してくる。

 自分の立ち位置さえ虚ろになっている。迷いではなく、どの方向を進めば自分の思いが最適かつ有効な形で保育の世界と関わっていけるのかという自問自答を繰り返す日々。もちろん、保育士試験を受ける時から全て迷いながら進んで来た今だけど。大学院の学業の煩雑さ忙しさで一瞬忘れていても、この自問は常に私に重く伸し掛かる。

 今の私は、若い時の未来への不安と期待とは違って夢を実現可能とする事に制約解が強くて本当に解があるの?と考えてしまう(考えざるを得ない)。この姿勢が既に若い時の自分とは違っている。つまり、保守化している訳だ。

 保育学を志す気持ちは強くあるし、実践の中で研究を進めるアクションリサーチに強く心を惹かれる。

 こういう学問領域を切り拓く事を考えているから、実践領域と切り離した領域は考えられない。更に現実を言えば、私に残された時間は限りなく短い。

 ちょっと、現実を直視すれば最近よく目にする蝉の死骸。そう終わりを意識させる象徴的な世代を生きる者としての時間という認識。もちろん、そもそもの能力の限界もあるのだが。。。

悩めるお年頃なのである(苦笑)

さて、今日はこの辺で。



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