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母と、キッチンの記憶

キッチンを見ると求めるのは、いつも母の姿だ。


母はあまりリビングにいなかった。今はそうでもないが、私が小さい頃はずっとキッチンで料理をしているか、他の家事に追われているかで休んでいる時間がなかった。リビングにあるソファに座ったのが1回しかない年もあったそうだ。

キッチンにいるときが、家族から解放される唯一の時間だったのだろう。家事をしていなくても、よくそこに1人でいた。

私はそれが嫌で、そんな母に話しかけたりしていた。母が消えて、どこかに遠くに行ってしまう気がしていたから。私の言葉は、どこか空回りしていた。

父が怒鳴っていたときも、私たち子どもが反抗したときも、疲れてしまったときも、辛いことが重なって落ち込んだときも、母はいつもキッチンにいた。私は母の背中を見ていることしかできなかった。

だから私は、ずっとキッチンが好きになれなかった。

そこが母を閉じ込めているように感じたから。母を救い出せなかったのは、私の方なのに。



キッチンへのそんな暗い感情が変わったのは、最近のことだ。

父と離れて住んでから、キッチンは母だけのテリトリーではなくなった。

私も自由にそこに入れるようになった。一緒に料理だってする。キッチンで休む母の後ろ姿は、もう暗くない。

あの頃はあまり感じられなかったけど、母が料理をするときの、キッチンから漂う匂いが大好きになった。

なんだ、そんな簡単なことだったのか。

母に対して心苦しかった気持ちが、すっとなくなっていくのを感じた。

いつしか私にとって、キッチンは暗い思い出と悲しみの場所ではなく、明るさと温かさの象徴となった。



今、母を見かけるのはキッチンよりもリビングの方が圧倒的に多くなっている。私はそれがたまらなく嬉しくもあり、少し寂しくもある。

私が家を出る頃には、母がキッチンにいることはほとんどなくなるのかもしれない。

それでも、あの頃の母も、苦い感情を持っていた私のことも覚えていたい。

いつかこの記憶は、薄れてなくなってしまう。
だけど、確かに存在していたのだから。

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