縁 (ゆかり)

大学生。定期的にエッセイを書いています。私の書く記事が、皆様の暇潰しになりますように。

縁 (ゆかり)

大学生。定期的にエッセイを書いています。私の書く記事が、皆様の暇潰しになりますように。

最近の記事

「情けは人のためならず」はあなたの隣に

「情けは人の為ためならず」という慣用句の意味を取り間違えている人は多いと思う。 「情けをかけると、その人のためにならない」という風に誤用されてこともあるが、本来は「人に対して情けをかけておけば,巡り巡って自分に良い報いが返ってくる」という意味がある。一体どれだけの日本人が、正しい意味を知っているだろうか。 鬼滅の刃に登場する時透兄弟の話でもこの慣用句が出てきたので、それで正しい意味を知ったという人も少なからずいるのではないか。 「一期一会」の次に、私が大事にしている言葉で

    • 号泣する準備ができるまで

      春は出会いと別れの季節だと、誰かが言っていた。 この1年間でずっとお世話になっていた1つ上の部活の先輩が、急に退部することになった。 突然のことだった。 2週間前の土曜日。LINEの個人チャットで連絡が来たのだ。 「幹部になったばかりなのに急にごめんね。色々あって、退部することになりました。あと2回は練習に来ます。また何かあったら連絡してね」 彼女からの長いメッセージは、要約するとこんな感じだった。 ずっと、変わらないと思っていた。 このままの日々が続いていくと。変

      • <逢いたくていま>が私の音楽

        私の日常は、音楽とともに成り立っている。 Youtubeや数年前に家族がダウンロードしてくれたSpotifyで音楽をかけて、私の一日はやっと始まったような気分になる。 大学の課題をしているときも。ぼんやりTwitterを見て暇つぶしをしているときも。noteを書いているときも。 ふとしたときに音楽が聴こえないと物足りない。 なぜ物足りないのか。なぜ音楽を聴きたくなるのか。 それは、親が運転していた車の中でかかっていた曲を聴いた思い出があるからだと思う。 日本にいた頃は、

        • 日本からの小さな大使が、海外の学校で学んだこと

          私は海外の学校に通う前日、両親から教えられたことがある。 1つ目は"Where is washroom?"という例文。 2つ目は「自分は日本の小さな大使であると常に意識ながら行動すること」だ。 前者はトイレに行けないと1番まずいから。後者は海外で過ごす上で日本人としての自覚を持たせるために伝えられたそうだ。 日本をよく知らない海外の人にとっては、あなたたちの言動すべてが日本のイメージに直結する。 だから、あなたたちは自分を小さな大使だと思って生活しなさい。日々の行動に気を

        「情けは人のためならず」はあなたの隣に

          今日をいい日にするのは、いつだって自分

          最近「今日もいい日だったな」と感じることが増えた。 それはきっと、何でも考え方次第では、いい方向に変わることを学んだからだと思う。 落ち込む出来事よりも、楽しかった出来事について考えて、気持ちを切り替えられるようになった。 悪いことも、実は自分を幸せにしてくれるヒントが隠されているのかもしれない。 それに、ささいな日常の出来事は、私の心を鮮やかにしてくれる。少し嫌なことがあっても、小さな幸せが私を励ましてくれる。 嫌なことで頭の中を埋めるよりも、嬉しかったことや好きな人の

          今日をいい日にするのは、いつだって自分

          あの日、私は魔法にかけられた。

          「ごめんね」 それが、私の幼い頃からの口癖だった。 私は「ありがとう」よりも「ごめんね」「ごめんなさい」と口にすることの方が、ずっと多い子どもだった。 その言葉は呪いのように私を蝕んで、何もかも自分が悪いのだと思い込むようになってしまった。 人に何かして貰ったとき、相手の機嫌を損ねてしまったと感じるとき、誰かと普通に話しているとき、独り言の中でも、私はいつも謝っていた。 父によく怒鳴られたからかもしれない。学校でクラスメイトから陰口を言われることも多かったのもあるだろう

          あの日、私は魔法にかけられた。

          縁を紡いでいきたくて

          私のペンネームである「縁(ゆかり)」は、本名とはまったく関係がない。 なぜ私がこのペンネームを付けたか。それは直前に縁と書いて「ゆかりちゃん」と読む女の子の話をネットの記事で見かけたから、というなんとも単純なものだ。 だけど、普段なら気にも留めないような情報を頭の片隅に入れていたのは、私が「縁」というものを信じているからなのだろう。 運命という言葉はあまり使わないけれど、「縁」はほんとうにあるんだと、ここ数年で強く思うようになった。 例えば、私が一生に一度は読むべきと

          縁を紡いでいきたくて

          無人島に本を1冊持っていくとしたら

          ものすごく悩む。それはもうめちゃくちゃに悩むだろう。 けれどほんとうは、この1冊しかないと知っている。 梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』だ。 この本との出会いは小学校4年生ぐらいだろうか。祖母がいくつか送ってくれた本の1冊だった。とても面白く、気が付くと あっという間に読み終えていたのを覚えている。 出会って以来、何度読み返しただろうか。 中学では、本作を題材に推薦文を書いたこともある。 そのときも数多くある本の内で、これしかないと思って選んだ。 「人はみんな幸

          無人島に本を1冊持っていくとしたら

          画面越しでしか会えないあなたへ

          私は、先生と実際にお会いしたことがない。なぜかというと、彼女は英語のオンライン家庭教師なので、今までskype越しでしかレッスンを受けたことがないからである。 先生に教えてもらって、もう早くも7年ほどが経っているが、私が彼女について知っていることは少ない。 講師名が下の名前であろうこと(これも定かではない)、彼女の輝かしい経歴、身長、家族構成ぐらいである。 ただ、先生とのたくさんの思い出の中で、気づいたこともある。 まず、先生はあまり表情筋が仕事をしない上に、口数が多く

          画面越しでしか会えないあなたへ

          母と、キッチンの記憶

          キッチンを見ると求めるのは、いつも母の姿だ。 母はあまりリビングにいなかった。今はそうでもないが、私が小さい頃はずっとキッチンで料理をしているか、他の家事に追われているかで休んでいる時間がなかった。リビングにあるソファに座ったのが1回しかない年もあったそうだ。 キッチンにいるときが、家族から解放される唯一の時間だったのだろう。家事をしていなくても、よくそこに1人でいた。 私はそれが嫌で、そんな母に話しかけたりしていた。母が消えて、どこかに遠くに行ってしまう気がしていたか

          母と、キッチンの記憶