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宗教や信仰についての雑記 #86

◯科学技術と信仰

先日、科学技術と信仰とについて考える機会がありました。
信仰とか宗教とかいったものは、科学や技術が未発達だった時代のもので、現代においてはその存在意義は薄くなった、あるいは無くなったという意見をよく耳にします。

そのような意見はある面では正しいのでしょう。
様々な科学技術によって救われた人は膨大な数に上るでしょう。
ですからむやみに科学技術を否定して、神頼みばかりし、露骨な現世利益を謳う宗教には警戒感を覚えます。

でも科学技術も人の営みである以上、完全ではありません。
例えば1000件あった事故が技術の進歩によって1件に減ったとしても、その1件の事故に遭った人にとってはそれがすべてであり、事故件数を減らした技術の功績は何の慰めにもなりません。
その事故に遭うのがなぜ自分(あるいは自分の家族)でなければなかったのか?という問いには、科学技術は答えることができません。

また、科学技術の基盤となる現代の経済は人間の欲望を原動力としているため、そこには歪みが生じます。その歪みの被害に遭った人には、科学技術の進歩への疑問が残るでしょう。

それでも日々過酷な環境で、血の滲むような努力をされている技術者の方もいらっしゃいます。その人たちの努力を誰も否定はできないでしょう。

おそらくそこには、科学や技術は対象となる物事を数値化することで成り立ちますが、人間の人生や実存みたいな事柄は数値化できないという違いがあるのだと思います。
それはどちらが良いか悪いかということではなく、それらは次元の異なるものであるのでしょう。そして、科学技術と信仰とか論じられるとき、その次元の違いがあまり意識されないことが多いような気がします。

それには、宗教や信仰をヒューマニズムの視点から理解することが関わっわているような気がします。
そのことについては、また次回にしたいと思います。

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