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小説|腐った祝祭 第ニ章 25

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 サトルは真夜中に目を覚ました。
 窓の外には月が出ていた。
 寒くもなく、暑くもない。
 心地良く、静かな夜だ。
 広いベッドの上では、ナオミの呼吸も聞こえない。
 それでも、サトルの頭の隣には、三日前にミリアがセットしてくれた枕カバーがあった。
 サトルのものも、昨日の朝にミリアからお揃いのものに交換されていた。
 きっと朝になれば、ミリアが両方とも持っていってしまうだろう。
 サトルはベッドを降りて、部屋を出た。

 手すりに手を滑らせながら階段を降りた。
 ゆっくり厨房に歩いていく。
 それは、カレンの言葉に従っているというより、ごく自然な行為のようにサトルには感じられた。
 厨房のドアを開け、明かりをつけて、調理道具の棚に向う。
 一番上の、左から三番目の引き出しを開けた。
 カレンの言う答えがそこにある筈だった。
 その平たい引き出しには、いろんな形のナイフが整然と並べられていた。
 よく手入れされていて、銀色が輝いている。
 サトルは手頃な大きさの物を選んで手に取った。

 どこを切ろうか?
 手首では目を覚ます確率が高いと聞いたことがあった。
 首かな?
 腕はもういい。
 腹だと、あとが大変だな。
 ああ、そうか。

 サトルはナイフを持って、流し台の前に移動した。
 厨房を血で汚すのも、あまりスマートではないと思った。
 でも、上手いこと流れて行くだろうか?
 切った時、意外に血が飛ぶかもしれない。
 あの時はどうだったかな。

 サトルはタオルかナプキンが必要だと思い当たり、いろんな引き出しを開けてそれを見つけると、再び流しの前に戻ってくる。

 少し考えて、少し笑った。
 なるほどね。
 手首を切る理由が判った。
 結局ここが一番切りやすいんだ。

 サトルはナイフの背に布をあてた。
 布の上からこれを持てば、血飛沫が防げそうだった。
 厨房のドアがいきなり開いて、「閣下!」というリックの叫び声が聞こえた。
 サトルは驚いて、そちらへ目をやる。
「急に大きな声を出して、びっくりするじゃないか」
「閣下。やめてください」
「でも、どうやらこれが答えらしいんだ。あ、近付かないでくれよ。もみ合いになって、君が傷付いたりするのは困るから」
「ナイフを、カウンターに、置いてください」
 リックは親切な男だった。
 サトルが聞き逃さないように、丁寧に一言ずつ発音してくれた。
 ドアからまた一人警備員が入ってきて、リックの後ろで慌てて立ち止まる。
 息を切らして、肩を上下させている。
 その後ろからクラウルまでやってきた。
「困ったな。見世物じゃないんだけどな」
 サトルはこれ以上見物人が増えないうちにと、手を動かした。
 しかし、元ボクサーの動きは素早かった。
 数秒後には、リックがナイフの持ち主になっていた。
 サトルは少しうんざりした。
「師匠には敵わないな。でも、私は君の主人だったよね。返してくれ。それが使いやすそうなんだ。私にパン切り包丁でも使わせたいのか?」
 リックは言うことを聞かず、手を後ろに伸ばして、ナイフを二番目の男に手渡した。
「仕方ないな」
 もう、何でもいいや。
 サトルはリックに背を向け、その辺りの引き出しを開け始める。
 後ろからリックに羽交い絞めにされたが、上手い具合にフォークをつかむことができた。
「閣下、しっかりして下さい」
 リックに再びフォークを取り上げられそうになる。
「やめてくれよ、リック。5分で済むから」
 手首をねじり上げられる。
 身長は少しサトルの方が高かった。
 身を反転させて、リックと向かい合う。
「頼むよ、リック」
「駄目です」
 リックはサトルを睨んで言った。
 リックに睨まれるのは初めてのことだった。
「お願いです、閣下。やめてください」
 そう言う彼の後ろの男が、やっと気付いたように駆け寄ってきて、サトルの体を後ろからつかまえた。
「ずるいぞ!」
 泣いて抗議したが、卑怯にもクラウルまで加勢を始めた。
 サトルは髪を振り乱して抵抗する。
 フォークの手を高く天井に向ける。
「閣下、落ち着いてください!」
「落ち着いてるよ。頼むよ。だってこれしかないだろう?ナオミと一緒にいたいんだよ!」
「そんなことして、ナオミ様と一緒になれる訳がないでしょう!」
 クラウルが叫び、続いて鈍い音がした。
 そしてサトルの手からフォークが滑り落ち、床でカランと弾けた。
 それを境に、急に辺りが静かになった。
 サトルは力をなくして、リックにだらりともたれかかる。
 クラウルともう一人がリックを見た。
 リックは鼻をすすって言った。
「大丈夫です」
 リックは、薄い絹に包まれた無防備なみぞおちから拳を離した。


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