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小説|腐った祝祭 第ニ章 26

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 目を覚ますと、ベッドの近くに置いた椅子でクラウルがうたた寝をしていた。
 サトルは体を起こして、ぼんやりと昨夜のことを思い出す。
 溜め息をついて、自嘲的に笑う。
 どうしてあんな気分になったのか判らなかった。
 クラウルの言う通りだ。
 それは無意味なことに違いなかった。
 ナオミは自殺したのじゃない。
 同じ場所にいけるわけがない。
 サトルはベッドから降りて、ひざ掛けを取ってきて、クラウルの脚にかけてやった。
 朝方になってやっと眠ったのだろうと思った。
 しばらくは起きないだろう。
 時計を見ると7時を過ぎていた。
 サトルは電話をして、ミリアにコーヒーを二つ持ってきてもらった。
 ミリアはこちらを窺うような表情をしていた。
 昨夜のことを既に知っているのだ。
「平気だよ」
 と、サトルが言うと、ミリアは軽く頷いた。
「そうだ、君は知ってるかな。どうして私が厨房に行った事が、あんなに早くばれたんだろう?」
 ミリアは一度クラウルに目をやってから、答えた。
「厨房の監視カメラは、常時監視小屋でチェックされてるんですわ。ナオミ様の事があってからは」
「そうだったのか」
 ミリアが出て行って、サトルは椅子にすわるとコーヒーを飲んだ。
 しばらくして、その香りに誘われるようにしてクラウルが目を覚ました。
 サトルが自分を眺めていることに気づいて、恥ずかしそうに咳払いをした。
「起こしてくださればよいのに」
「だって、悪いかなと思ってさ。コーヒー飲みなよ。まだ温かいよ」
 小さな丸テーブルの上から、クラウルは皿ごとカップを取った。
 そして一口飲み、遠慮がちに言った。
「ご機嫌はいかがですか?」
「悪くない。心配させて悪かったね。もうあんなことはしないよ」
「そう願います」
「でも、未だに判らないんだ。何でナオミがあんな事になったのか。何が原因だったのか。カレンに聞きたいけど、どうも、もう私と話す気がないらしいんだ」
「……カレンさんは、ただのお人でしょう」
「そうかな。でも、何でもいろいろ知ってるよ」
「調べて判る事ばかりだとおっしゃったじゃありませんか」
「それにしてもね。もしそうなら、相当金がかかってる筈だ。国では英語講師がそれほど儲かるのかな。それとも、占い師でぼろ儲けしてるのか」
「そうですとも」
 自信ありげにクラウルは言い、コーヒーを飲み干した。
「閣下。一つ言っていない事が。昨夜、寝ている閣下に鎮静剤の注射をしました」
「そう。いいよ」
「朝食は何時になさいますか?」
「昼でいいよ」
 サトルはそう言ったが、クラウルは朝食はとらなければ駄目だと説得して、コーヒーカップを持って部屋を出て行った。
 
 きちんと朝食をとり、いつも通りの仕事をした。
 警察から電話があったのは、昼食を終えた頃だ。
 カレンのパスポートを持ってきてくれるということだった。
 鑑定結果は白。
 どこも疑う余地のない正真の旅券だった。
 ホテルに電話をしたが、カレンがいなかったので伝言を頼んだ。
 そのうち警察がパスポートを持ってきてくれた。

 カレンから折り返し連絡があるまで暇になったので、サトルは裏庭を散歩した。
 散歩にはうってつけのいい天気だった。
 こんな日には、ナオミもよく散歩をしていたが、執務室からは裏庭が見えないので、今思うと残念でならない。
 暖かいこの季節に庭を見せられなかったことは、更に残念だった。
 庭師のジェイが芝生の上で芝刈り機を転がしている。
 手動なのでカタカタカタという牧歌的な音が響いている。
 サトルは近付いて声をかけた。
 彼は年を追うごとに耳が遠くなっていて、サトルがすぐ近くに来るまでそれに気付かなかった。
 驚いて、頭を下げる。
「あまり根を詰めないようにね」
「はいもうそりゃ、上手い事やっとりますよ。閣下が来たナと思って、手を動かし始めたんで」
 たった今気付いたばかりの癖に、ジェイはそう言って笑った。
「そうか。やられたな」
「へへへ」
 サトルは痛い顔を残して先に進んだ。
 少ししてカタカタカタという音が再開された。
 しばらく歩いていると、もう一人の老庭師がいた。
 毎日の手入れをしてくれる庭師はジェイと彼、トッドの二人で、どちらも同じくらいの年だ。
 こちらは大きな剪定バサミを持って生垣を揃えている。
 地面に麻のシートが広げられ、そこに落とした枝や葉が集っていた。
 トッドはサトルの足音に気付いて振り向いた。
 彼も愛想はいいが非常に無口な男だ。
 麦藁帽子を片手で上げ、笑顔で会釈をしてくれた。
 サトルは「ご苦労様」と言った。
「リラの花ももう終わるね」
 トッドは頷いて、ひょいと手を上げて一つの木を指差した。
 ヒメリンゴの木だった。
 サトルはその下に歩き、木を見上げる。
 よく見ると、小さな花がいくつか咲き始めていた。
「そうか。もう花が開いたのか。じゃあ、バラが咲くのも近いな」
 トッドを振り向くと、やはり頷いていた。
「おや、閣下だ」
 と、言う声がして、今度はそちらを振り向く。
 小さな手押し車を押して、屋敷の方向から歩いてきていた。
 若くはないが、庭師よりは若い掃除係の男だ。
 トッドの落とした枝葉を取りにきたのだ。
 男は帽子を上げて挨拶をする。
「ご苦労様。どうした?」
「ええ。さっき本館の方でクラウル様が探してらっしゃいましたよ」
「そうか。ありがとう」
 サトルは屋敷に戻った。

 カレンから電話があったのだろうと思ったのだが、公邸を抜けて中庭に出ると、そこにカレンがいた。
 小路の途中で庭を眺めていた。
 サトルに気付くと、こちらに体を向けた。
 薄紫色のワンピースに、濃い紫のバッグを持っていた。
「連絡してくれたら、私が持って行ってもよかったんだよ」
 サトルが言うと、カレンは首を振る。
 そしてバッグを軽く上にあげた。
「クラウルからもう返してもらったわ」
「そう」
 言ったそばから、クラウルが本館の窓から顔をひょっこり突き出してサトルを呼んだ。
 サトルは「判ったよ」と、手を振る。
 カレンに言う。
「お茶でも飲もうか」
 カレンは再び首を振った。
 冷めたような目でサトルを見ていた。
「私の顔に何か付いてるかい?」
「いいえ。ただ、あなたが生きてるから、がっかりしてるだけよ。答えは見つからなかったみたいね」
「いや。見つけたんだよ。夜中に目が冷めて、君が言う通りに動いてしまった」
「それなら、どうして生きてるの?」
「人に見つかって、止められた」
「いい部下を持ってるのね」
「ああ。お陰さまでね。でも、あれは私にとっては答えではなかったみたいだ。どうして君は、私にあんなことを言った?」
「決まってるわ。あなたを憎んでるから」
「どうして?私は個人的に、君を知らない。恨みを買う覚えはないよ」
「あなたにはなくても、私にはあるの。でも、負けたわ。あなたなんか死んじゃえばいいと思っていたけど、上手くいかないものね」
「教えてくれよ。君は誰なの?」
 カレンは三歩、サトルに歩み寄り、右手を上げた。
 手首に、深い緑の鰐革を使った腕時計をはめていた。

 サトルの目に力が入るのに、数秒もかからなかった。
 それは確かに、太陽と月の腕時計だった。
 ナオミにプレゼントして、両親が持ち帰ったものだ。
「占い師なんて嘘に決まってるわ。すごい演技力だったでしょう?だってこんな所まで来たんだもの、熱演もするわよ。あなたを殺したかった」
「君は」
「カレンだと言ってるでしょう。ナオミは私の名前さえあなたに話したことがなかったのね。こんな事ってあるかしら。でも、いいの。ここに来て納得したわ。ここはナオミの理想みたいな国よ。あなたの事なんかどうでもいい。帰りたくない気持ちは判った。この時計はナオミのパパからもらったの。あなたからのプレゼントですってね。形見にもらってくれって言われたのよ。親友だから」
「ナオミの友達だったのか?どうして初めから言ってくれなかったんだ」
「憎かったからよ。ナオミをそそのかして、私から奪った。形見にもらったのはこれだけじゃないわ。指輪ももらったの。ナオミが帰ってきた時にはめていた婚約指輪よ。でもお生憎ね。あんなもの、売っちゃったわ。そのお金で散々あなたやあなたの周囲を調べた。上手く行ったでしょう?私の言うこと信じたでしょう?でも、あなたの勝ちよ」
 カレンはバッグを開け、中から白い封筒を取り出した。
 かなり厚みのある、大振りのものだった。
「ミカに頼んで読ませてもらった手紙よ。その中からこれだけもらったの。あなたに見せる気はなかったけど、勝者には何かご褒美をあげなきゃいけないものね。あげるわ。おめでとう、サトル」
「君は……」
 サトルは、恐れながら封筒を受け取る。
「ナオミの恋人よ。愛してたの。だけどナオミはあなたを選んだ。口惜しいけど、認めるわ。さようなら」
 カレンの瞳は潤んでいたが、それがこぼれださないうちにサトルに背中を向け、正門への小路を歩いて行った。
 サトルは封筒を見つめたままだった。
 顔を上げた時には、既にカレンの姿は見えなかった。

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