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精神障害者が夢を持つこと

「本当はミュージシャンになりたかったんです。」

就活中に「どんな業界を目指していたの?」と各所から聞かれることがあるが、私は必ず上記のように答える。本当にそう思っていたからだ。

「私もねえ、若い時はバンドマンになりたいなんて思ったもんだけどねえ。」

会社説明会で話しかけてくださった人事担当の方、大学の就職課の職員さん、ハローワークの担当さん、みんなそう言うのだ。若気の至りだと。


芸能一家という呪い

この長ーい投稿でも書いたが、私の家族には芸術家がたくさんいる。元少女歌劇団のスターであった三味線と長唄の師範、ギタリストでもベーシストでもあり音楽プロデューサーの有名ミュージシャン、人気テレビ番組にレギュラー出演していた元モデル、とある有名グループでセンターを務めたこともあるアイドルが全員私の親戚。父も芸能活動こそしていないが多趣味で楽器をいろいろと弾く。学生時代は管楽器やらギターやらやっていたらしいが今はもっぱら古典音楽に夢中で多種多様な弦楽器を練習している。他にもいつだったかの準ミス日本もいる。ただ彼女も父同様目立ちたがらないので芸能活動はしていない。

この環境で、彼ら彼女らの昔話を聞かされては、将来は同じようになっていかなければいけないのかな、それが自分の務めなのかな、そう思っていた。

しかし私は一家で最も顔が冴えないし、スタイルも良くない。特別細くもない。

ましてや中学生にして病気で様子がおかしく、愛想もないから人から一切好かれない。努力するエネルギーも持ち合わせていないため、習ってきたクラシックバレエとピアノは続かなかった。エレキギターもちょっとコードを知っているくらいで「弾ける」とは程遠い。
しかしクラシックバレエで市内で最も歴史と伝統あるホールでの公演に端役で出演してからは一丁前にスポットライト症候群のようになったままだった。舞台に
立つことは好きだったし、学校の授業のプレゼンテーションさえも楽しかった。

自分の生まれた家庭環境は重荷になった。

父から、高級スポーツカーを指差して、「将来ミュージシャンになってあれ買ってよ」と笑いながら言われた時は正直ほんの少しだけ辛かった。

職業適性検査が叩き出すのはもはや悪口

高校生になると自ずと進路の話になる。職業適性試験を初めて受けさせられた。結果は「芸術家」だった。
実際に画家として活動していた美術の先生も私の感性を褒めちぎっていた。「君の作品は素晴らしい。腕を磨いて美術を続けるべきだ。」
他にも同級生には絵が上手い子達はたくさんいた。実際超有名美大に進学した子もいる。しかし先生は私だけに常々そう言っていた。もしかしたら本当に何かが違ったのかもしれないし、「芸術しかない」と思っていたのにそれでは他の人に勝てないと自暴自棄になっている私を励まそうとして言っていただけかもしれない。真意は今でもわからない。

「他にも何かあるんじゃないか」と思った私はネットで適職診断を探した。しかし
どのサイトも答えは同じ。

「リンジェさんは芸術家タイプです!」

私はこの意味を知っていた。「あなたは社会に適応できない人間です」と言っているんだと言うことを理解していた。

もはや悪口じゃないか。いい加減にしてくれ。

〇〇ができるならそれを仕事にすればいいじゃない

私が就職できそうにないと周りに知られると、親からは「ドイツ語の先生になるのは嫌なの?」と聞かれるようになった。遠縁の親戚にも仕事を聞かれた際は「今無職なんです」と答えると「でも、ドイツ語も英語もできて引く手数多で、ねえ?お仕事なんてすぐ決まるわよ」と言われた。就職課で「リンジェさんみたいにドイツ語も英語もできたらいろんなところ目指すんだけどなあ。羨ましいね」と言われたこともある。日本からやってきた先生たちには「日本とドイツの架け橋になってほしい」と数え切れないほど言われてきた。「通訳とか翻訳とかを仕事にしたいと思うものじゃないの?」と塾の先生に決めつけられたこともある。

いい加減なことを言うんじゃない。

私は好きでドイツ語や英語を話しているんじゃないし、それを活かした仕事なんて御免なのだ。日本でも、ドイツでも、語学力をいいように使われるのがオチだということを私は知っている。そもそも私はドイツ語に関しては上記の記事に書いたように苦い思い出が多いのだ。なぜトラウマをほじくり返しながら働かなければいけないのか。
そんなに夢溢れる話を語れるんだったら自分でやって見せてほしい。一からネイティブになるまで言語を習得して、周りの言い成りになって、通訳でも先生でもなんでも目指してみろ。そう思った。
そして今もそのスタンスは正直あまり変わっていない。

転換期は会社に利用されていた

以前テストエンジニアとして働いていたことがある。英語必須という現場で私が配属された。英語のプログラムをテストし英語で報告する、簡単な、だけど責任重大なお仕事。

特定の言語ができるということは「力」である。詳しくは別の投稿で話したいと思うが、翻訳はある種の「暴力」を伴う側面があって、できる言語が多いだけ良くも悪くも「行使できる力が多い」ということなのだ。

やりがいは感じていた。品質管理チーム全体で英語ができるのは私しかいなかった。ただ、一歩間違えれば海外のデベロッパーとトラブルになりうるし、そうすればお客様の顔に泥を塗ることになると考えると責任は重かった。

しかし私は会社にいいように利用されていたのである。英語を使わない仕事に携わっていた時と時給が一緒なのだ。
私は不満だった。上長達は私のプレッシャーと英語力を評価していないのだと。

「簡単な英語でのやり取りなら仕事にしてもいいかな」
そう思わせてくれたという意味では大きな転換期だったのだが。

コロナ渦が呼び覚ました新しい夢

精神を患ったままコロナ渦に突入した頃だった。BLM(Black Lives Matter)運動が起こった。頭の中でいろんなことが駆け巡った。

肌が違うことは何を意味するのか?

差別とは何か?ヘイトはどこからやってくるのか?

世の中はこのままでいいのか?

私のように苦しんでいる人はたくさんいるんじゃないのか?

私の経験は人生の"loser"を減らすことができるか?誰かを救うことはできるか?

そして私はある結論にたどり着いた。
私の過去と現在をどこかに書き残して、生きた証にしよう。
もし似た境遇の人の目に止まれば参考に(なるかわからないが)してもらえるといいな。
いつかnoteを始めることを決めた。

「自分の経験を書き残し、どこかの誰かに届くことを願う」という新しい夢ができた。

就活においても「お客様を楽しませるお手伝いをしたい」とエンタメ業界を志望するようになった。

精神障害者は電気ギターの夢を見るか?

それでも私は生涯言い続けるであろう。

「本当はミュージシャンになりたかったんです。」

どんなに本気だと思ってもらえなくても。
どんなに家庭環境が私を勘違いさせ、その勘違いが私を苦しめたか理解してもらえなくても。

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