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日本に来て初めて「ネットが使える携帯」を持った話

日本の携帯電話は早い段階からiモードなどインターネットが使えるものがほとんどだったと聞いている。
「ドイツはいつまでも使えるようにならないだろ、これ」
日本の事情を聞いて羨ましがっていた。

ドイツの携帯電話とインターネット

私が本帰国する頃は、私の持っていた携帯電話には間違いなくインターネットにつながるボタンがあったがそれは「決して押してはいけないボタン」だった。なぜなら1押ししただけで突然25ユーロ引き落としがかかるからである。もちろん定額制ではない。

以下動画チャンネルはドイツARDとZDFというテレビ局によるfunkというネットワークが運営するもので、ドイツのネットワーク環境の問題点を指摘したものである。

基本的な話として、ドイツのインターネットは早くない。モバイルのインターネットの平均速度は2023年6月現在、世界ランキングで55.30Mbp/sで40位と言う位置にある。ちなみにブロードバンドに至っては85.86Mbp/sで55位である。(Speedtest Global Index – Internet Speed around the world – Speedtest Global Index

第二の問題点として、価格が高いことにある。オランダはフラットレート300Mbit/s、海外でも使えて32,50ユーロ(https://www.odido.nl/mobiel-abonnement/sim-only?shop=product&ch=es&cc=con&sc=acq&dr=24&pr=MAR01,MAP07,27606114)、フランスでは5Gの250GBプランが20ユーロ(Free is increasing the data allowance included in its Free Mobile Plan to 250GB/month – and still at no extra cost)、そしてドイツは40GBの5Gプランが破格の59,95ユーロ(Handytarife: MagentaMobil Smartphone-Tarife | Telekom)である。誰が使うんだ。いや、使うしかないので払うのだが。

そして現在は改善されていると信じたいのがだが、私の知る限り高速鉄道や高速道路、街と街の境目などに行けば圏外になるのが一般的だ。人が住んでいる所だけにネットがあればいいという謎の考え方であった。せいぜい2Gにしかならない地域もあると聞く。Googleマップもびっくりである。

ドイツで自社で回線を持っているのはTelecom, Vodafone, Telefonica/O2の3社。

時代は2010年代に遡る。
2010に国営の電波オークションのようなものがあり、上記3社は2016年までに90%の家庭にLTEを提供するようにしろ、と命じられた。しかし、この90%とはは各社ではなく3社全体。Telefonica/O2は住宅密集地へ、Telecom, Vodafone,は市街地へ重点的に営業をかけた。結果、場所によって通信会社がバラバラになってしまった。しかも家のあるところにしかインターネットはないという事態になった。上記の通り、街から離れると当然圏外になり、長距離列車で動画を見ることも、高速道路でGoogleマップを使うこともできない状況になった。

2015年に電波オークションが開催され、その際は2020年までに98%の家庭と可能な範囲で主要道路/線路にLTE(4G)を提供するようにすることが要求された。この時、Telefonica/O2とAldiTalkのようなMVNOは2G/3Gはあるが、まさかの4Gがなかった。4Gを使いたければ従来のキャリアと契約するしかなく、そうすると何が起こるかといえば価格の高騰だ。競争率が下がってしまうからである。

するとTelecomが「LTEがない地域の人連絡ください!当選したら基地局立てます!」という謎のキャンペーンを開始する。いや当選ってなんやねん…必要なんやから立てろや…というツッコミは一旦置いておこう。

ドイツの基地局はほとんど光回線ではなく銅線だった。5Gは無理だろうと言われていた。しかも当時の人の多くは3Gを利用中(Understanding why so many German smartphone users are still 3G-only | Opensignal)で「4G/5G普及させたい」と考えた国は「3G廃止計画」を立てた。結果として低品質なインターネット回線か高額な回線に強制的に契約させられる形となった。

日本に来て

私が本帰国した頃、ちょうどiPhoneが普及し始める頃だったが、まだまだガラケー社会だった。
でも一応日本の「ケータイ」はインターネットに接続することができて、既に地図を見ることもできたし、乗り換え案内もあったように記憶している。日本の「ケータイ」のインターネット接続は定額制だった。
外に出るのが怖かった不安障害だった私にとってこれは革命だった。ネットに繋いで現在地が見れれば私も何も怖くなかった。

しかも暇な時間にはテレビが観れると来た。これは日本のテレビがケーブルテレビではなく電波放送であることから実現している側面があり、私はテレビのインフラにも感謝した。

私が学生の頃「イケてる」とされていたのは圧倒的にNOKIA 8210で、できることは電話、SMS、あとはゲームのSnakeくらいだった気がする。しかしこれが確かかなり高額なモデルで大人やいい家の子はみんなこれを持っていた。あの電源を入れた時の人が手を差し出すような絵が出て来て画面下部にでっかく"NOKIA"と表示される画面は今でも忘れることができない。

日本人の女の子たちはみんな「パカパカケータイ」に憧れていた。日本人コミュニティに入るとさほど立たないうちに私もその思想に染まった。私が初めて手にしたのは現地で唯一存在していたサムスンのパカパカケータイ。あれは革命だった。
カラーディスプレイで、なんとストラップが付けられるようになっていた。当時日本で流行った受発信すると光る「アンテナリング」をつけることもできた。あとは革新的だったのが例の「決して押してはいけない突然25ユーロ引き落としがかかるボタン」が搭載されていたこと。

帰国前、最後に使っていたのはSony EricssonのWalkman付きの携帯電話で、その頃にはSMS以外にも通信料がべらぼうに高いMMSまで送れるようになっていた。Walkman付きと言うことで取り込んだ音楽を着信音に設定できた。ストラップホールがあるところも日本の会社みがあってプラスポイントだ。

世界中がスマホに

日本で1台目のガラケーを使い倒したあとはiPhoneを買ってもらった。その頃にはiPhoneも日本では比較的メジャーになって来ていた。ちなみに地元では「iPhoneは過去の携帯電話よりも多く電磁波を発している!あれで電話をするのは電磁波を頭に近づけるため健康リスクがある!」と騒がれていた。もう頭にアルミホイルでも巻いておけばいいんじゃないだろうか。

電磁波云々は置いておいて、私にとってiPhoneは救世主だった。GPSが付いていてGoogle Mapで居場所がわかるし、道案内もしてくれる。乗換案内アプリもあって、複雑な日本の鉄道に迷わず乗ることもできるようになった。電話はもちろん、SMSもMMSも送れる。しかも全部定額で。着信音もMacに繋げば自分で設定できて、音楽だって入れて聞くことができる。精神障害というハンディキャップを負った私には大革命だった。車椅子ユーザーにとってのエレベーターレベルである。

今振り返ると、「技術は社会を良くする」と確信する。近年SDGsとカジュアルに騒がれているが、あれは簡潔にいうと「誰も取りこぼさない社会を作ろう」という話であって、そのためには技術力は必要だし、その技術を受け入れる心構えも必要なのだと思った。そして最初はその技術が未熟なものだとしても、社会がそれにフィードバックを与え、改善させていくところまでがSDGsなんじゃないか。そんな気がする。

正直、ドイツの電波事情を紹介するだけのつもりだったのだが無駄に壮大なテーマで終わってしまいました。最後まで読んでくださりありがとうございます。

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