@えいちゃん

専門はホテル業です。現在は芸術系大学で文学の学び直しをしています。主な趣味はギター&ボ…

@えいちゃん

専門はホテル業です。現在は芸術系大学で文学の学び直しをしています。主な趣味はギター&ボーカルですが、なかでも作詞歴が長く作品が多数あります。 長らく趣味としてエッセイや短編を書いていますが、只今ブラッシュアップ中!!

最近の記事

【エッセイ集】⑫「みなせん」での一夜の出来事

 北千住からJRで一駅、南千住の街に降り立った。 「きたせん」にはよく行くのに、「みなせん」へはまったく行ったことがなかった。 駅の改札口をでてガードをくぐり抜け東方向に進むと正面に大きな鉄門が見えた――それはかつて横須賀でみた米軍基地の入口門のごとくとても大きな、見る者を圧倒する迫力で侵入者を拒んでいる。その巨大な門構えには「隅田川駅」と書かれた大きなJRの看板があった――「隅田川駅?」 はじめて聞く名だ。その奥には何重にもひかれた線路が見える――「引き込み線かあ」と彼女

    • 29日【肉の日】に290円でステーキを食す!

       今日は5月29日、世間的には語呂合わせで『肉の日』だ。 わたしはこの日に度々、上野へ出かける。ひとつの目的はステーキを食べること――肉の日にかけて、なんと290円にてステーキやハンバーグを食べることが叶う日なのだ。 さらにカレーライスも同額であり、ステーキとカレーライスを食しても580円とほぼワンコインに近いのである。 この物価高にもかかわらず信念を貫いている店側の心意気には敬意しかない――頭が下がる思いだ。しかしながら、食す方もそれなりの覚悟をもって望まなくてはならな

      • 【エッセイ集】⑪鬼怒川のおばあさん

         幼少の頃、鬼怒川にあった「おばあさん」の家に遊びに行くのがとても楽しみだった。 「おばあさん」といっても、わたしのおばあさんではない。正式にはわたしのおばあさんの姉にあたる人であり、わたしのおばあさん――つまりわたしの母の母上は、宇都宮に住んでいた。 鬼怒川のおばあさんは四人兄弟の長女で、巨漢でありアメリカ映画に出てくる「ビッグ・ファット・ママ」のような貫禄をそなえていた。宇都宮のおばあさんは次女であり、若かりし頃は「原節子」似と言われてかなりモテモテだったらしい。三女が

        • 【エッセイ集】⑩レストラン*ミクニ

           大人になってからの誕生日は普遍的で、あまり記憶の奥に折りたたまれるものは少ない。今から思えばすばらしく華やかで豪華なものではなかったのかもしれないが、幼少の頃の誕生日の記憶はセピア色の思い出の中で、脳裏に焼き付いている。 我が家では兄弟二人の誕生日とクリスマスには決まって食事に出かけたレストランがあった。自宅から子供の足で歩いて二十分近くもかかった――まだ小さかった私にはとてつもなく遠い場所にあるレストランだったはずだが、なぜか、ここへいく時の心の高揚や父母と手をつないで

        【エッセイ集】⑫「みなせん」での一夜の出来事

          【エッセイ集】⑨京都・河原町通

           川に沿ってすすむ道が好きだ。鴨川と寺町通に挟まれた南北にのびた道――北は鴨川デルタの近く葵橋を渡る。ここは川の合流手前なのでまだ「賀茂川」だ。その少し先には出町橋がかかっている。通り沿いすぐのところには、いつも行列が並んでいる「出町ふたば」がある。ここの豆大福は絶品であるが、市内には甘味の絶品は数多くあるのであげれば切りがない。商店街の入口に近いこの場所は、活気のある雑踏と様々な食品の匂いが入り交じるが、それを鴨川からの川風が爽やかに入れ替えてくれる。 高野川と合流し、は

          【エッセイ集】⑨京都・河原町通

          【エッセイ集】⑧ハミングバードのアコースティックギター

           私とギターとの出会いは小学校に入って間もなくの頃まで遡る。正確には生家には父のクラシックギターがかつてよりあったが、それは壁に掛かって「ほこり」をまとっており、まだ小さかった私には「それはいつもそこにある単なる静物」としか認識していなかった。 私はその頃、八歳になっていた――ある日、祖父が大きなギターケースを抱えて帰ってきた。私の生家は父方の祖父母と長男である父、私の母、兄と出戻りの父の妹とその娘姉妹の九人家族の大所帯であり、更に週末ともなるとその「本家」に父の妹弟たち六

          【エッセイ集】⑧ハミングバードのアコースティックギター

          【エッセイ集】⑦二〇一八年頃の京都・左京区、私とカラオケとバンド

           今、私は五十八歳のクリスマスを迎える直前にこのエッセイを書いている。このごろは、月日がまるでリニアのように、とんでもないスピード感で過ぎ去っていく。この話は私が二〇一七年春から二〇一九年春にかけて過ごした京都での出来事だ。 京都で暮らすのは二度目だった。最初は、一九八九年四月の山科だった。大学を卒業して新入社員で入社したデベロッパー会社は希望どおりホテル・リゾート部門に配属された。新人研修先は河原町三条にあったシティホテルで、ここの各セクションでホテルでのノウハウをまずは

          【エッセイ集】⑦二〇一八年頃の京都・左京区、私とカラオケとバンド

          『エッセイ集』⑥ 1980年

           1980年、ヤンキーの全盛期だった。 原宿では「タケノコ族」から「ローラー族」へと移り変わっていく頃だ。ローラー族を知らない世代は「ローラースケートを履いた集団」をイメージしてしまうかもしれないが、それは「光GENJI」であり、正式には「ロックン・ローラー族」である。真夏でも革ジャン・リーゼントできめた暑苦しい集団で、代々木公園を本拠地にカセットデッキで50年代~60年代のアメリカのロックン・ロールや、キャロルやクールスといった当時の日本のロックン・ロールバンドの音楽に乗せ

          『エッセイ集』⑥ 1980年

          『忌野清志郎〜君が僕を知ってる』アコースティック・バージョンが最高にいい

          最初に見た時、二人のこのシチュエーションと演奏がとても好きになりました。 この場所はどこでしょうか? どこかの高原でしょうか? そしてアコのみでのストレートで自然な表現がたまらなくいい……何度も何度も繰り返し見ました。 チャボの間奏ソロが神がかってます……アコならではの良さが十二分に引き出されています。 今までしてきた悪いことだけで 僕が明日、有名になっても どうってことないぜ まるで気にしない 君が僕を知ってる 〜何から何まで君が わかっていてくれる 僕のことすべて

          『忌野清志郎〜君が僕を知ってる』アコースティック・バージョンが最高にいい

          【エッセイ集】⑤映画ってすばらしすぎる

           好きな映画のタイトルは?と聞かれて、誰しもひとつやふたつくらいはどこかで見たシーンを思い出すのではないか。それは映画のワンシーンそのものが心に刺さるものだったり、映画そのものよりもシュチュエーション――たとえば彼女との初デートでの緊張した中で見た思い出の映画だったりと人さまざまだと思う。 私の心に刺さる……きっと永遠に刺さったままの三つの映画の話しをしよう。  一作目は「ジョン・トラボルタ」「オリビア・ニュートン=ジョン」主演、1978年パラマウント映画配給の『GREASE

          【エッセイ集】⑤映画ってすばらしすぎる

          【エッセイ集】④やくざの宴席で正座をさせられる〜ホテルマンの体験記

           私がホテルでの仕事をはじめた、まだ駆け出しの頃のことである。 ある30名ほどの団体の宴席で、その団体が特殊な集団(やくざと呼んでいいのかは微妙な感じは受けたが、右翼かそれに近いところの方々の集団であるのは間違いない)であるのは「○○会」という宴席名と、見るからに殺気をそこかしこから感じる男性のみの集団から私は読み解いていた。  宴会場は畳の座敷に長テーブルを二列並べ、座布団を各席に配置した、いわゆる温泉旅館での宴会席のような配置だった。宴会がはじまり、ビールの追加にとにか

          【エッセイ集】④やくざの宴席で正座をさせられる〜ホテルマンの体験記

          【エッセイ集】③錦糸町の夜はそうやって更けていく

           ある日の夜、仕事を終えて京都から新幹線で東京へと向かった。 久しぶりにとることができた連休での帰省を兼ねた帰京だ。でも今回の目的はほかにあった。  東京駅から各駅に乗り換えて向かった先は錦糸町にあるライブ・バー――ここで、今晩開催されるセッションに参加するためだ。時計はそろそろ21時を差すところだった――「間に合わないかなあ」 駅からは愛用の「VOXティアドロップ」のギターを抱えて、小走りにむかった。  会場となっているそこは南口を出て四ツ目通りを真っ直ぐに銀行のある先を

          【エッセイ集】③錦糸町の夜はそうやって更けていく

          【エッセイ集】②祖父と私とへら鮒釣り

           祖父は「へら鮒釣り師」だった 私が幼少の頃になる。度々、祖父に手をひかれて釣り堀にいった。都バスを乗り継いでいったのだから、いま思えばさほど遠くはなかったように思うが、家の庭から半径50メートルほどが遊び場だったその頃の私には、途方もなく遠い場所に連れていかれるような、半ば恐怖をおぼえるほどの冒険だった。そんな私に祖父は常に笑顔で話しかけ、「つぎ止まります」のブザーを押したくて仕方ない私の右手の人差し指を、日頃、鍛冶の仕事でがちがちに固くなった、そのゴツいひびわれた大きな手

          【エッセイ集】②祖父と私とへら鮒釣り

          【エッセイ集】①島のみえる海岸の街

           私たち家族は毎年、夏になると千葉・内房にある海岸から大きな島のみえる街へと出かけた。東京からは千葉駅で内房線に乗り換えて2時間ほどの場所にあった。昭和40年代の当時は、海水浴に向かう家族連れなどで車内は混み合い、座りきれないものだから床に新聞紙を広げて通路にまで座り込む光景など普通だった。その混雑に拍車をかけるように、子供達は海に着くまで待ちきれないものだから、車内で浮き輪やビーチボールを膨らませたから、ただでさえ狭くなっている車内はいっそう膨れ上がった。  駅に着くと数

          【エッセイ集】①島のみえる海岸の街

          【短編】原宿 Strange days

           今から振り返り思い出すと1980年は奇妙な日々の連続だった。 15歳という大人でも子供でもない年齢を、当時の自分はめいっぱい背伸びして大人になりきろうとしていた。 仲間たちとのたまり場は総武線沿いのとある駅の近くだった。歩いて10分ほどのところにある先輩の親が所有していたマンションの一室で、リビングルームにキッチンと、たしか洋間が二つに和室があったと思う。 先輩の親はいつもいない……どこか他に住んでいるらしい。事実上の無法地帯と化していた。 部屋の中は煙草の吸い殻のたまった

          【短編】原宿 Strange days

          作詞【二人の理由】

          【二人の理由】 君といると ずるくて悪い 自分が消えて いつの間にか 優しい気持ちになってる いつも僕のたわいの無い 話を聞いてくれる 君がいること 本当は 意地が悪くて 少し卑怯で 物怖じする愛せない自分 あなたといると素直になれる自分がいた 何倍も何倍も(楽しかった) 何倍も何倍も(美味しかった) 何倍も何倍も 愛おしい ただ君に会いたい これ以上は何もいらない ただ君と話していたい それが毎日の僕の願い

          作詞【二人の理由】