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【暴論考察】日本のネットの歴史を僕の肌感で雑に振り返ってみる


はじめに

なんとなく振り返ってみたくなった

Windows98が僕の最初のWindows

高校1年の頃だったかな。
両親がPCを買ってみた。
案の定、全く使える感じはしない。
僕らのおもちゃとなった。

そのころのインターネットはダイヤルアップ接続といって
電話回線でつないでたんだけど、毎回接続にパスワードを要求されてた気がする。
まぁそれは良いとして、当然ながらその頃すでにインターネットは存在した。

まぁとにかく重いんだよね。
画像1枚表示させるのに15分とか下手すれば30分くらい待つ
こともあったな。
なんか上の方からライン状にビーって印刷されるように表示されてくの。
言語化が難しいからまぁいいや。
とにかく重かった。

98年ころのインターネッツ

主に最初はYahoo!Japan見てたな。
それは今でもあんま変わんないと思う。
で、大体占いと天気予報見てた。
そのうち、Yahoo!知恵袋見に行くようになったけど、
初めてそこで今でいうネトウヨとか嫌韓と呼ばれる人を見て
衝撃を受けたことを覚えている。
なぜなら僕の両親は教師で割と左翼的思想を持っていたからだ。
だから最初はかなりの嫌悪感があったけど、
そのうち少し面白くなってきた。
あとは小林よしりん「ゴーマニズム宣言」ブームなんかも
相まって、まだ世間の陽の目を浴びなかったネット界隈及び
ネットユーザは、ここぞとばかりにネット空間で反世間的な
言説を振りかざしていたと思う。
これは是非を話してるんじゃなくて、当時の割とありのままを
語っているつもりだ。

あとは当時、いろんな掲示板が勃興していて、
僕は特にバラエティ番組の「ガチンコファイトクラブ」
掲示板に入り浸っていた。
そこで初めて荒らしという存在と出会う。
掲示板のあちこちに裸のおじさんの画像が貼られまくっていて
掲示板が機能しなくなっていた。
思い出してほしい。
画像1枚の表示に30分かかるのだから。

2000年代初頭のインターネッツ

2ちゃん登場

正確にはいつ頃に「あめぞう」が終わって「2ちゃん」になったか
覚えていない。
僕の最初の2ちゃんとの接触は2000年だったと思う。
あれ、バスジャック事件のネオ麦茶はすでに2ちゃんだったよな?
とにかく、ゴミの掃き溜めみたいな場所だなと思った。
と、同時に学校生活に馴染めなかった僕としては、
そんな掃き溜めが妙に居心地がよかったことを覚えている。
僕らはキレる17歳世代とかいうクソダサ代名詞を貰っていた。
かの酒鬼薔薇聖斗も同級にあたる。
世間の偽善的な倫理観とプロパガンダ的建前に押しつぶされそうだった
人の闇が活き活きと蠢いている感じがした。
「そうだよな、そうなんだよな!」って愛すべきクソども
有象無象、思い思いの言説をウンウン頷きながら見ていたかな。
いまではお茶の間のダークアイドルひろゆきの
「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という迷言が飛び出したのもバスジャック事件関連だったと思う。

大学に入ってからも独りぼっちだった僕はずっと2ちゃんに没頭していた。
clubのイベント情報を漁ったり、大学生活板孤独な大学生活みたいなスレッドを毎日のように眺めては、同じ境遇の大学生と傷を舐めあっていた。

一躍2ちゃんが有名になった、あの電車男も当時リアルタイムで見ていた。
ネットスラング(ネット界隈で使われる蔑称や造語)やAA(記号で絵を表現するアスキーアートと呼ばれるもの)が盛んに使われていて、僕は何度麻呂の顔を見ただろうか。

また、社会現象となる「引きこもり」の増加とともに
ネットの暗部はよりその黒さを濃く深くしていったのだった。

国産のSNS、mixiの登場

2004年、ひょんなことから2ちゃんでリア友になった人より
mixiに招待してもらった。
これが僕の初めてのSNS体験となった。
当時はまだ招待制だったので、凄く特別感があったのを覚えている。
今振り返ると割とよくできたSNSだったのでmixi民に戻ってもいいなぁなんて考えているけど。
そのすぐ後にGREEなんかが出てきたのかな?
mixiもGREEもそのうちオンラインゲームが主流になっていくんだけどさ。
僕の友達も何人かGREEに就職した。

mixiはいろんな業界の人や違う学校の人どボーダレスに繋がれて楽しかった。
そこから沢山の友達ができた。
今だから言えるけれど元カノの1人もmixiでの出会いを通じてできた。
インターネットに新しい風を感じた瞬間だった。

ところがだ、ボーダレス、シームレスなんて幻想だということを知るようになる。
次第次第に共通の趣味や同じ業界同士で人は固まるようになり、
排他的な態度をとるような集団が増えてきた。
他のコミュニティの人間は身の程知らずで邪魔者といった感じだ。
いつの時代もどのような文明の利器が開発されても
人間の様態というものは簡単には変わらないものである。

その傾向は今のSNS文化にも脈々と継承されて行っているのではないかな?

その頃にはいわゆるアンチだったり、ネット上での陰口だったり、
ブロックされたりということに良く出くわすようになっていった。
あれから20年。僕らの一体何が変わったというのだろう?

2006年という画期的な年

Twitterスタート

日本法人はまだ先の話だったけれども、
アメリカではこの年にスタートをして、
流行に敏感なネットユーザの間では
早くもTwitterブームがきていた。
僕も登録はしてみたものの、短い文章のやり取りが
そこまで好きに慣れず放置していた。
まさか日本でここまで根付くなんて、その時は思いもしていなかった。

youtubeに触れる

サービス自体は2005年12月だったものの、
殆ど誤差といってもいいくらいの差で
2006年にはyoutubeにハマるようになる。
当時は日本語表記も対応もなくて、検索するのにも
英語で検索をしなくてはならなかった。
ユーチューバーなんて当時は存在していなかったけど
それなりに面白いクリエイターは存在していて、
伝説のラッパー「ノリアキ」なんかはその最たる例だったと思う。
当時はGoogleの傘下じゃなかったから規約ゆるゆるでエロ系とかも
転がっていた気がする。
今みたいにテンプレなんてなかったから自由で面白かったな。

正直、今のネット社会のひな型は
この年にほぼ完成していたといっても過言ではないと思う。
あとはその延長上にあったりとかアレンジしてできたサービスばかりな
気がする。

スマホの登場とネットユーザーの爆発的拡大

上述したようにコンテンツやプラットフォーム自体に真新しさはない。

Facebookが日本語サービスを始めたり、
2010年代の最初の方にインスタが始まったりと
それなりに話題にはなったが、2006年代までに登場した
サービスのフォーカスポイントを変えたり
拡大版だったりといったところだ。

どちらかといえば、
その後はインターネットに接続できるデバイスの小型化、
いわゆるスマホの登場と、それに伴うネットユーザーの
爆発的な広がりの方が社会に対するインパクトが大きかった気がする。

今までどちらかといえばマイノリティに属していたネットユーザーが
だれでも手軽にインターネットに接続できるようになったことから
その性質を大きく変えていった。
それまで暗黙の了解、もしくは脈々と受け継がれてきたネット文化が
大挙して押し寄せた人の波に少しずつ浸食されてゆくのだった。
その善し悪しは別として…。

そして、スマホのカメラを通じて相互監視社会となりつつある今、
良くも悪くも拡散、炎上といった事象が起きているし、
大衆心理はとても操作されやすい状況にある。
扇情的な情報が意図してか意図せずか溢れる世の中になった。
Twitterのような短いセンテンスのテキストはその出所や真偽を確かめる暇もなく拡散され、当事者はともかく関係のない第三者の個人情報までが特定され晒される。
TikTokやYouTube、インスタのリールやストーリーズなんかは
このTwitterの動画版だと思えばいいだろう。
前後の文脈はカットされ、切り抜かれたセンセーショナルな情報だけが
ばら撒かれる。
そしてインターネットがワールドワイドに繋がれている意識のない人間が
身内の悪ふざけをアップロードしてしまい、大火事をおこしてしまう。
良くも悪くもネットを使い慣れていないことと、ネット文化をしらないこと、所謂ネットリテラシー不足が招いた顛末だともいえる。
しかし、それは致し方ないことであって、テクノロジーの発展は往々にして人の意識を置き去りにするものだ。
我々の意識が変わらなければ、ハサミもスマホもそんなには変わらないのだ。
ようは使いよう。

まとめるンゴ

とりあえず、ざっくりと振り返った。
もっと書くべきことはあるのかもしれないが、
これは暴論考察であり雑なのが売りなので、
そのノリを楽しめる人は楽しんでくれたらいいと思う。
ムカついた人はそっ閉じしましょう。

以上。


説明しよう!
「暴論考察シリーズ」とは、雑すぎる考察により、殆ど暴論に近い結論をブチかます、読むだけ無駄な考察記事のことである!!

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