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【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第31話

第31話 吊り橋と祝福

 びゅう、と湿った風が吹き上げてきた。

「吊り橋が、落っこちてるじゃん!」

 剣士アルーンが、前方を指差し叫ぶ。
 断崖絶壁。はるか下には、大きな川が流れている。
 ここに吊り橋があったという印の二本の木の柱が残っているが、ロープは垂れ下がり、続く橋板も岸壁に沿うように垂れていた。

「ほう。人間は、こっちの崖から向こうの崖へ渡れるように細工していたのか」

 青年の姿に変身している鬼のダルデマは、ひょいっとロープを引っ張り上げ、橋板をまじまじと見つめた。

「ふむ。なるほど。すごいな。人間の知恵と技術は」

「残念。この川を渡って森を抜けると、村があるらしいんだけどなあ。遠回りするしかないか」

 アルーンは広げた地図に目を走らせつつ、ため息をついた。

「遠回り? さほど急ぐ旅でもあるまいし。ここを通れなくても別にいいんじゃないか? なんなら、崖を降りて川を渡り、向こうの崖を登ってもいいぞ」

「ダルデマ! あんたはそれで構わないだろうけど。俺らは――」

 アルーンがそう言いかけたとき、魔法使いレイオルと魔法使いケイトは、切り立った崖の下をのぞきこんでいた。

「どうして吊り橋が落ちたんだろうな」

 と、レイオルが言う。

「崖の下から、異様な気配が――」

 と、ケイト。

「怪物! 怪物がいるんだあ!」

 小鬼のレイも叫んでいた。元精霊のルミは、少し怯えてレイに寄り添うようにしていた。
 ダルデマは、ロープから手を離す。がたたん、たん、と音を立て、切れた吊り橋は崖を這い落ちる。
 皆の顔を見渡し、ダルデマは心の中で呟く。

 人間の軍勢ではなく、現れたのは年若いこの者たちだけだった。肩透かしをくらった気分だったが、しかし伝説の怪物との戦闘においては統率や連携もとりやすく、かえって好都合のような気もしていた。改めて見てみると――。

 鋭い金の瞳は、探る。ダルデマには、それぞれの現在の能力がそれぞれの姿に覆いかぶさるように、揺れる炎の形で見えていた。

 桁違いのレイオル。未知数のレイ。神秘のルミ。ケイトとアルーンは、まあそこそこ、といった感じか。

 レイとルミは、その場になると能力が跳ね上がるタイプとみた。まあ、レイオルもその可能性があるかもしれない、と心の中で付け足す。レイオルに関しては、長年魔のエネルギーを取り込んでいるとのこと、測りきれないような異質さを感じた。

 残念ながら、レイオル以外は俺でも楽に倒せるな。

 まだ足りない、と思った。強くなりたい、アルーンはそう言っていたが、生きる可能性を高めるためには、確かに修行の必要があると思った。

 人間が、修行とやらでどこまで己を伸ばせるのか。それは俺もあずかり知らぬところ――。

 そこまで思いが及んだとき、ふと自分の手のひらの感触を思い出す。吊り橋のロープの手触り。編み上げた、頑丈な縄は自然由来のものと思えた。
 断崖と断崖を結ぶ吊り橋。自分やのちに渡るであろう者のための、橋。自分と自分以外の誰かのために、それを創り上げてしまう人間という生き物――。もしかしたら、とダルデマは思う。

 人間は、怪物の目を持ってもわからない、大切ななにかを持っているのかもしれない。

 そしてそれこそ、怪物に立ち向かえる大きな武器なのではないか――。

先見の婆さきみのばあ」には、それが大きな力に見えたのかもしれない、そんなことを考えていた。

「ダルデマ。なにを今更品定めをしている」

 ダルデマの考えを見透かしたように、レイオルが面と向かって言い放つ。

「おや。ばれたか。少し、お前たちの能力を見させてもらった」

「能力を見るなら、そこは崖下の怪物に対して、だろう」

 崖に背を向けて立つレイオルは、あごで崖のほうを指し示しつつ、笑っていた。

「たいしたことのない相手を、わざわざ見る必要はない」

「まあな」

 がさがさがさっ!

 崖の下のほうから、不気味な音がした。

「怪物か!」

 剣を構えるアルーン。

「ダルデマとレイオルが、余計なこと言うからーっ!」

 ちょっと涙目のレイ。ダルデマとレイオルの会話が、怪物の気に障ってしまったのだ、と抗議したいようだ。隣のルミは、胸の前で指を組み、一生懸命祈っている。ケイトは魔法の杖を掲げ、なにか呪文を唱えようとしていた。

「まあ、言葉が通じなくても、結構言霊の力で通じてしまうからな」

 レイオルがレイに言葉を返したそのとき――、レイオルは黒い影に覆われていた。

 ざあっ。

 崖から、飛び上がる怪物。勢いよく空中に浮かんだ姿は、真っ黒の球形の胴体らしきところを中心に、人間のような白い腕だけが何本も生えている、といったものだった。胴を支えているのは無数の手だけで、頭も足もない。おそらく、人間のような手で、崖を素早く駆け上がり、そのままの勢いで空中に飛び上がったのだろう。
 球形の胴体が、ぱっくりと割れる。そしてそこから、鋭い牙がぞろりと並んだ大きな口が、出現した――。
 レイオルの手には、青く光る剣。レイオルの長い髪が揺れ、剣を持つしなやかな腕を、覆いかぶさろうとする怪物に向かって振り上げようとしたそのとき、

「すまん、つい先に出た」

 すでに大地を蹴り上げ空中にいたダルデマの繰り出す逞しい腕が、怪物めがけ振り下ろされていた。

「謝ることは、ない」

 レイオルは剣の軌道を修正し、ダルデマの腕に当たらないよう、怪物だけを真っ二つにしていた。
 ダルデマによって無残にもひしゃげた形となった怪物は、レイオルの剣によってとどめを刺され、抵抗する間もなく完全に息絶えた。

「ここに居ついた怪物が、吊り橋を渡る旅人を、たびたび襲って喰っていたのだろう。吊り橋まで落としたのは、おそらく旅人が抵抗した際などの偶発的なもの、怪物の意図するところではなかっただろうな。むしろ吊り橋があったほうが、怪物としては好都合だっただろう」

 旅人をたびたび、と思わずレイがレイオルの言葉をなぞって呟いたが、だじゃれみたいなことになったことを気に留めることなく、レイオルは、この怪物の魔のエネルギーも摂取していた。

「すまん。ルミ。怖かっただろう?」

 ダルデマは、ルミに謝罪した。ルミは、大急ぎで首を左右に振っていた。
 それから、ダルデマはレイオルのほうへ向き直る。

「そうやって、魔のエネルギーを取り入れていたのか」

 ああ、とレイオルはうなずく。

「私も少し、お前さんに近づいたかな?」

 レイオルは笑みを浮かべた。
 ダルデマの金の瞳は、レイオルを見据える。レイオルに重なって見える揺れる炎は、わずかに大きくなっているように思えた。
 ダルデマを見つめ返すレイオルの水色の瞳は、木立に守られひっそりと陽の光を受ける泉のように、不思議な色をたたえていた。
 それはきっと、いくつもの感情。鬼であるダルデマには読み取れない、レイオルが抱える繊細ななにか。

「いや」

 ダルデマは、呟いていた。自分でも知らず、言葉がこぼれ出ていた。

「お前の測り知れない部分は、人間である部分。魔のエネルギーも力になるが、お前の強みはたぶん違う。だから――」

 だから。

「怪物に染まることより、大切にすべきはお前の見ること感じること、だ」

「ふむ?」

 レイオルは腕組みをした。少々納得しかねる、といった感じだった。
 
「そんなことより。レイオル。ケイト。少し、力を貸せ」

 ダルデマは、レイオルとケイトの魔法の力を所望した。怪物を倒したのにどうして、とアルーンとレイ、ルミは顔を見合わせる。
 ダルデマは、はっきりと告げた。

「吊り橋を、直してやろうじゃないか。回り道もいいが、今まであったものは必要なもの。直したほうがいいだろう?」

 言い終えると、元の鬼の姿に戻った。それから、レイオルとケイトの魔法も使い、吊り橋の修復をすることにした。もちろん、アルーンやレイ、ルミも動き、おおいに手伝った。

「皆の知識のおかげで、構造をよく知らない俺でも橋の補修ができた。もとあったよりも、おそらく丈夫な橋ができたぞ」

 夕日が輝いている。金色に染まる、長い吊り橋。
 大きな鬼の姿となったダルデマと、レイオルとケイトの魔法の力、それから皆の手伝いのおかげで、日没前には頑丈な吊り橋が完成した。

「我々が、新しい吊り橋を渡る旅人の第一号だ」

 ダルデマはふたたび青年の姿に変身し、レイオルとケイトがもう一度ダルデマに変身のサポートの魔法をかけた。

「この吊り橋、あんま揺れないなあ」

 吊り橋を半分ほど渡り終えたころ、アルーンが感想を述べた。

「もしかして吊り橋として、つまんなくなっちゃった、かな?」

「旅人が、吊り橋に面白さなんて求めてないわよ」

 アルーンの言葉を、ケイトが一刀両断した。
 そのとき、はた、とアルーンがなにか思いついたようだった。

「ところでケイト、俺見てなにか思わないか?」

 自分の顔を指差し、ケイトに尋ねるアルーン。

「え? なに? 別に、なにも」

「ほうらやっぱり! 揺れないからだあ!」

 わはは、アルーンは笑う。

「吊り橋効果ってのがあってな、揺れる吊り橋のドキドキ感が、異性に恋と――」

 そこまで陽気に話してから、アルーンは急に口をつぐんだ。

「なに? 異性に……?」

 ケイトがアルーンを、じっと見つめる。
 アルーンは、視線を逸らす。それから、空を仰いだ。自分の軽口を悔やんでいるかのように。

「……なんでもねー」

「話し掛けといて、なんでもないって、なによ!?」

「いや、ごめん、なんか……」

「なにかって、なに!?」

「いや、そう、そうだ。忘れた! その続き、なんだったかなあ? ごめん、ちょっとその話、うろ覚えだった。ああ、それより……」

 アルーンはそれ以降、夜になる前に村に着くかなあ、とか、天気はどうかなあ、とか、急に当たり障りのないような話題に変えていた。ケイトは首を傾げながらも、新たな話題について返答をしていた。
 ダルデマには、アルーンが自分が振った話題を自分で変えていた理由はわからなかった。それは、ダルデマだけでなく、アルーン以外誰にもわからないことだったに違いない。
 ダルデマは、思う。

 共に旅をすることにして、本当によかった。人間の心は、わからないことばかりだが、興味深い。とても。

 とても――、得難い体験だ、ダルデマは微笑みを浮かべていた。
 皆の手で、しっかり繋がった吊り橋。
 一歩一歩確かめながら、それぞれの心に橋が架けられていく、そんな祝福について考えていた。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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