【創作長編小説】天風の剣 第109話
第九章 海の王
― 第109話 私の美学 ――
「ああ……! 君は、あのときの……!」
パールは、アンバーに美しい微笑みを送る。
広大な空に浮かぶ、笑み。それは、空の上という舞台、そのパールの体の異様な大きさと姿形、そして今までの恐ろしい所業と因縁を知らなければ、懐かしい友とのあたたかな再会の一幕に見えるものだった。
パールの笑顔には、邪気がなかった。晴れ渡る空のように、透明で、輝いていて――。それがかえって捉えどころのない不気味さ、禍々しさとして見る者を圧倒する。
同じ四天王であるアンバー、アンバーの従者である白銀と黒羽、そして高次の存在の中でも特別な存在であるシリウスでさえ、四天王パールの醸し出す異様な迫力に一瞬のまれそうになる。
「……あなたは、だいぶ風貌も大きさも変わったようですね。よりいっそう、醜悪に」
アンバーの言葉に、パールは、少し首を傾げた。
「しゅうあく? それは価値観の問題かな? 美しいと醜い、どちらもどちらに簡単に転ぶ、光の当てかたによっても気分によってもころころ変わるような、線引きがあいまいで、本当はとても近いものだと思うけど?」
アンバーの眉が、ぴくりと動く。
パールは、アンバーの表情の変化も構わず、歌うように言葉を続ける。
「僕は、どちらも好きだよ。同じだと思ってる。だから、そんな分けかたは無意味だと思うな。僕の場合、成長した、もしくは成熟期を迎えた、そう表現してもらいたいなあ」
アンバーはうなずき、そして微笑みを返す。
「なるほど。あなたの考えかたが、少しわかった気がします」
「うん? 君は、僕の素晴らしい成長を認めてくれるのかな?」
「私の美学とは相容れない、つまり、私とあなたは相容れない存在である、それだけははっきりとわかりました」
ドガッ……!
アンバーの翼が鋭く風を切り裂き、パールの尾の先端部分に回り込み、そして尾のつけ根に向け衝撃波を放つ。
しかしパールは尾を大きく振り、衝撃波はただ空を突き抜け雲を散らすのみとなる。
パールが声を弾ませた。
「君は、不意打ちが得意のようだね」
アンバーは、冷めた声で返す。
「残念ながら、外しましたけど」
パールの硬い鱗に覆われた尾が、うなりをあげつつアンバーに迫る。アンバーはひらりとそれをかわし、飛び続ける。
ドッ!
アンバーの従者、白銀から繰り出された力強い拳の一突きが、パールの右目を狙う。
パールは右手で白銀を跳ね飛ばそうとしたが、白銀はすでにパールの腕の軌道から離れていた。
「皮膚よ、裂け! その血を、肉を、骨を、あらわに!」
黒羽の強力な呪文が、呪いの攻撃としてパールに降り注ぐ。
パールは、目を大きく見開いた。
「へえ。そんな攻撃法も、あるんだ」
次の瞬間、パールの首元が、深くパッと裂け、黒い血がほとばしった。
「すぐに修復できると思うけど。君の戦法、魔の者として変わってるね。まるで、人間みたいだ」
パールが呟いた、次の瞬間。
「ぎゃっ!」
黒羽の短い悲鳴。パールは、黒羽を右手でしっかりと掴んでいた。
「黒羽!」
パールの尾の辺りにいたアンバーが、急ぎ黒羽のもとへ向かう。
鈍い音がした。
白銀が、パールの手の中にいる黒羽を救い出そうと、攻撃を繰り返していた。
「白銀!」
アンバーがパールの上半身のほうへ回り込んだときには、白銀はパールに左手で振り払われ、勢いよく弾き飛ばされていた。
「まずは、このレディから味わうことにしようか」
パールの口が、大きく開く。黒羽を持った右手が、尖った牙へと近付いていく――。
「やめなさい……!」
シリウスが叫ぶ。シリウスは、「魔の者を固める」という技を出そうとしていた。しかし、それは普通の魔の者と違う四天王クラスの魔の者にかけるためには、シリウスだけの力では足りず、他の大勢の高次の存在の力の結集が必要となるものだった。通常の四天王よりはるかに大きな力を持ってしまったパールには、効き目があるかどうかさえ疑問だった。
そのうえ、技の対価として激しいエネルギーの消耗が伴う。先ほど、見えない壁を支え続け消耗し続けたシリウスにとって、パールに対するその技は、シリウス自身の生命の危機に及ぶ危険性があった。
しかし、シリウスは試みた。一時的でも、一瞬でも、パールを止められることを願った。
そして、その一瞬に、状況を打開する奇跡が起きると信じて――。
「戦いは、専門外だって言ったでしょう! あなたは、高次の存在らしく場の調整だけなさるがいい!」
アンバーが、一喝した。シリウスの周りに集まる巨大なエネルギーを察し、シリウスがなにか大きな技を出すつもりだと感じたのだ。そして、轟音。
アンバーが、シリウスを一喝すると同時にパールに対し衝撃波を放っていた。
「うっ……!」
思わず、パールは握る手を緩める。弾き飛ばされ、ダメージを負いながらも駆け付けた白銀の手助けもあり、黒羽はその隙を逃さずパールの指の間から抜け出す。
今度のアンバーの衝撃波は、パールの尾のつけ根近く、急所近くに命中していた。
噴き出した黒い血が、地上へと落ちていく。
「な、なぜ……」
「前にいるから、後ろに当てられない、そんなことはありませんよ。私の衝撃波は、直線だけではないんです」
「そんなことが――」
「私の衝撃波は、ある程度思念通りに曲げられるのです。少しの計算と、今までのあなたの動きのくせからの予測、それと想像力であなたの尾の位置を当てました。まあ、それはつまり、平たく言えば――」
アンバーは、少し首を傾げ、微笑んだ。
「当てずっぽう、というやつです。あなたが巨大過ぎるので、そのぶん的が大きいから、そう難しくないことですけどね」
「くっ……」
パールの口から、息が漏れる。それは、急所近くを直撃された悔しさからくるものだと思われた――。
「あははははは!」
パールは、笑っていた。
哄笑。大気が震えた。
「面白いね! 君たちは、本当に……!」
パールの青い目は不気味に光り輝き、金の長い髪がざわざわと波打つ。
「僕が再会を待ち焦がれていた時間は、本物だったんだね。僕の期待を上回る、素敵な時間と体験をありがとう……!」
パールは、舌なめずりをした。赤い舌が、ゆっくりとパールの唇を這う。
「君たちは極上の食材だ。一滴の血も無駄にせず、じっくり料理して食べてあげるね――」
アンバーは、ふう、とため息をつく。
「つくづく、私の美学と相容れませんね」
そして、パールを正面から睨みつけた。アンバーの深紅の瞳が燃える。
「出会ったこと、たっぷり後悔させてあげましょう……!」
木漏れ日が躍る。川のせせらぎや小鳥の声が耳に心地よい。
蒼井の髪を、三つ編みにしては、ほどく。翠の頭も、後からつけた左側頭部の髪の長い部分を結ったり編んだりする。四天王シトリンは、このところそうやっていたずらに時間を過ごしていた。
蒼井も翠も、シトリンの好きなようにさせていた。
四天王パールの復活は、シトリンも気付いていた。
しかし、シトリンは立ち上がらなかった。
足元の、花が咲く。虫が、葉っぱを食べる。鳥が、虫を捕まえ飛んで行く。おそらく、大切な雛たちへ届けるために。
シトリンは、髪を編む。朝が来て、夜になる。生き物が生まれ、死んでいく。
シトリンは、ただ自然の循環の中で、同じことを繰り返し静かに過ごしていた。
蒼井も翠も、そんなシトリンを黙って見守り続けた。
「あ……」
またひとつ、異変があった。
パールよりもっとこの地に近い場所で、動きがあることにシトリンは気付く。
深い緑の森から、なにかが飛び立つ。
「もうひとつの、四天王――」
自らの気配を消すことが得意な四天王だが、シトリンにはわかった。
『殺意や破壊しようとする意識、そういったものはとても強い波動を出す。だから、そういう相手は追いやすい。厄介なのは、そういう思いを持たないもの、あるいはたとえ持っていても巧妙に隠せるものだ』
その四天王には、強烈な波動があった。それは、その四天王の中に四聖を見つけようとする、それから天風の剣を欲する強い意思。シトリンには、とりわけわかりやすかったのかもしれない。
「行かなきゃ」
ついに、シトリンは立ち上がる。
四天王シトリンは、神経を研ぎ澄ませた。
「四聖のみんなや、キアランおにーちゃんを、守らなきゃ……!」
シトリンは、小さな手のひらをぎゅっと結んだ。
空の窓が開くのがもうすぐだから、というだけではないだろうとシトリンは思った。
きっと、その緑の森から飛び去った四天王は、パールの活動の影響を受けたのかもしれない、そうシトリンは感じていた。パールの驚異的な力の波動を察し、早く四聖の力を我が物にしようと考えたのではないか、そんなふうに感じたのだ。
念のため、パールのいるであろう方向へも感覚を伸ばし、なにか変化はないか探ってみる。
「アンバーのおじちゃんは、あっちにいるのか……!」
アンバーがパールと戦おうとしている、そうわかった。
空へ意識を集中したところ、独特の、強い波動がそちらに向かっているのも感じられた。シルガーだ、そうシトリンは思う。たぶん、シルガーもパールのほうへ向かっているのだ、と感じた。
「アンバーのおじちゃん……。シルガー……」
シトリンは、ちょっと迷ったようだったが、きっ、と顔を上げる。
「私は、四聖たちのほうへ行く……!」
漆黒の四枚の翼は、力強く羽ばたく。日の光を受け、虹色の輝きをはらみながら――。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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