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【創作長編小説】天風の剣 第18話

第二章 それは、守るために
― 第18話 手のひらにある希望 ―

 そんなつもりはなかったのだが、すっかり、眠り込んでしまった。
 夢もない、泥のような眠りだった。

「キアラン! 馬を買うぞ!」

「えっ!」

 キアランは、慌てて飛び起きる。最初、自分がどこにいるのか、よくわからなかった。

「飯、食えるだろ?」

 ライネのいたずらっぽい笑顔が、そこにあった。

「あ、ああ――」

 まだ頭がよく回らない。清潔な布団、質素だが整頓された、日の光の入る明るい部屋。ライネの家の一室だった。

「実は、もう昼に近い時刻だ」

「えっ!」

 まだ、ライネの話が頭の中でうまく繋がらない。「馬を買う」、「飯を食えるか」、「昼に近い時刻」――。ライネの言葉は、唐突で断片的過ぎた。

「飯を食ったら、出発だ。出発したらまず馬だ。ルーイは誰かの馬に乗るとして、俺と、キアランの分、二頭必要だな」

「昼――! もうそんな時刻になるのか……!」

 アマリアさんは、ルーイは、とキアランは尋ねようとした。

「アマリアさんもルーイも、朝飯は済ませた。今は、庭にある薬草や、家にある魔法に有効な石なんかを集めてもらってる。俺の家には、長旅に使えそうなものが売りに出せるほどあるからな」

 実際、薬草や不思議な力を持つ石を必要な人に安く販売もしているんだ、小さな村で拝み屋の需要が少なくても、食うには困らない、ライネは笑って付け足す。

「そ、そうか……。私一人寝てしまって――、すまない」

「いや。必要な眠りだ。体調は――、大丈夫そうだな」

 ライネは、医師のようにキアランの目を開かせて覗き込んだり、舌や口の中の様子を見たり、机の引き出しから道具を取り出してきて、脈をとったり胸の音を聴いたりした。

「診療もできるのか」

「いや、医者とは違って、自分の魔法の感覚メインの自己流だ。だから、医療行為はやってない。でも、おおよその見立てはできる」

 キアランは、自分の胸元を見た。使い魔の赤い印がそこにはっきりとある。

 私の体は――、どうなっていくのだろう――。

 ライネに尋ねたかった。シルガーの血を飲んだことで、どう変わったのか。そして今後どう変わっていくのか。疑問は喉元まで出かかったが、それを理性が止めていた。

 知らないほうが、いいのかもしれない。

 ライネだって、そこまではわからないのかもしれない。もしライネがなにか感じていたとしても、それを知ったところで事態は変わらない。それなら、いたずらに質問して心に追い打ちをかけないほうがいいのではないか――、考えれば考えるほど、恐れや不安がキアランを苛む。

「手、震えているな」

「えっ?」

 自分でも気付かないうちに、手が震えていた。

「キアラン」

 ライネは、まっすぐキアランの瞳を覗き込んだ。

「大丈夫だ。アマリアさんの言った通り、お前は大丈夫なんだからな」

「ライネ――、私の体はこれから――」

 喉がかすれて、うまく声が出ない。口の中も、からからだった。

「変わんねえよ」

「でも――」

「そうだな、たぶん傷の治りは格段に早くなるだろうな」

 悪い変化はないのか、キアランは本当に知りたいことを訊くか訊くまいか、迷う。

 私の金の瞳を見て、人々が後ろ指を指し影で囁くようなばけものに、本当になってしまうのではないか――。

「キアラン」

 ライネは、キアランの両肩を掴んだ。そしてまたキアランを揺さぶらんばかりの勢いで叫んだ。

「飯を食う! 出発する! 馬を買う! お前が今気にすべき点は、この三点だ!」

「え」

 飯を食う、出発する、馬を買う……?

「なに色の馬がいい? そして名前はどうする? 俺はいっとう目のきれいな子にしようと思ってる!」

「え……」

 ライネは笑う。

「今のこと、楽しみなこと、それだけ考えろ!」

 あ、それから、と思い出したようにライネは膝を打つ。

「まず、風呂だな! 体洗って、それから飯だ! キアラン、忙しいぞ! ぼうっと考えてる暇なんかないんだからな!」

 さあ、風呂場へ行った、行った、とライネはまくし立てる。

「嫌いな食いもんはねえんだろ? まあ、あっても俺が許さねえけどな!」

 風呂場へ案内すると、ライネはばたばたと廊下を駆けていく。キアランの朝食兼昼食、そして皆の昼食を準備するため、台所へ向かったのだ。

「体調があるんだから、長湯すんなよー!」

 手を大げさに振りながらそう付け足し、ライネは廊下の角を曲がっていった。キアランに考える隙、質問する隙を与えなかった。

「私が、不安に飲み込まれないようにするため……、か」

 キアランは、言われるままに風呂を借りた。
 少し熱いくらいの湯。温泉のようだ。目を落とすと、湯船の中で、使い魔の印が揺らいで見える。
 全身を包む薬湯の心地よさ。自分は確かに生きている、そんな全身の感覚が蘇ってくる。キアランは、手のひらで湯をすくってみる。指の間から、たちまちこぼれ落ちていく。しかし、すくいあげた湯は少し手の中に残っていた。ほんの少し、でも確かにそれは自分の手の中にあり、光を受けきらきらと輝く。
 キアランは、少し不器用だが素朴なライネの優しさを思い返していた。
 疲れも不安も、すべて湯の中でほぐれていくような気がした。

 

 ライネの家とは反対の方角の村の外れの牧場で、馬を販売しているという。
 牧場に着くと、旅に使う馬、農耕馬、競走馬と様々な馬がいた。
 キアランは、引き寄せられたように一頭の馬に目が行く。
 それは、たてがみと尾、そして四肢が艶やかな漆黒の色をし、その他の部分は薄くぼやけた墨のような色の、薄墨毛の立派な体躯の馬だった。

「私は、この馬にする……!」

 ライネに言われていた通り、キアランはいくつか名前の候補を考えていた。そして実際目にしてみて、キアランの心の中ですぐに名前が決まった。
 キアランは薄墨毛の馬を優しく撫でてやりながら、命名する。
 
「お前の名前は、フェリックスだ……!」

 それは、「幸運」を意味する名だった。

 ライネは美しい月毛の馬を選ぶ。優しい茶色の大きな目をしていた。

「よしよし。お前が俺の相棒だ! 名は、グローリーにしよう」

 ライネは月毛の馬に、「栄光」という意味の名を付ける。

「すごいね! フェリックスもグローリーも、とってもかっこいい! あ、もちろんバームスもかっこいいけどね!」

 ルーイが、顔を輝かせながら叫ぶ。
 キアランは、ルーイをフェリックスの背に乗せてから、自分もひらりと、フェリックスの背に乗った。

「キアラン。馬に乗れないわけじゃなかったのか」

 からかうようにライネが呟く。ライネもグローリーの背に飛び乗った。

「あのときは、体がうまく動かなかっただけだ」

「ああ、そうか。イノシシにしか乗ったことがないのかと思った」

「イノシシに乗るほうが難しいだろう!」

「イノシシに乗る姿、似合いそうだけどな」

「ライネ、あんたのほうが合うんじゃないのか」

「それだったら、俺は乗るより食うほうが、興味あるよ」

 他愛ないことを言い合いながら、キアランとライネは笑った。
 フェリックスもグローリーも、新しい主人、新しい仲間を気に入ったようでご機嫌な様子だった。

「ここから少し北の町へ行きましょう」

 アマリアが提案した。

「そこで、兄さんたちと、落ち合えるはずです……!」

 皆、うなずき合った。新たな仲間との出会いが待っていた。

「行こう……!」

 ルーイを、四聖よんせいを、そして世界を守るために……!

 キアランたちは、馬を走らせた。力強い蹄の音が響き渡る。
 空。
 もうすぐ、日が落ちようとしていた。
 茜空に、一点の黒い影。
 一枚の、黒い羽根が舞い降りる。
 それは、己の気配を隠すことができた。
 強い神秘の力を持つ、アマリアとライネさえも、なにも感じられない。
 巧妙に己の力を隠す。己の放つ波動を空気に乗せることなく、静かに空を飛ぶ。
 その存在はおそらく、魔の者シルガーでさえ、よほど神経を研ぎ澄ませなければ感じ取れない。
 それだけの強力な力を持つ者が、密かに飛行していた。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

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