【創作長編小説】天風の剣 第82話
第七章 襲撃
― 第82話 吊り橋での再会 ―
切り立った崖と崖を、簡素な吊り橋が繋いでいる。
「ここが近道なのか? フェリックス」
フェリックスはキアランの質問に答えるように、たてがみを揺らしながら一声いななく。それから、狭い吊り橋を臆することなく渡り始めた。今にも降り出しそうな曇天の空の下、フェリックスの蹄の音がテンポよく響く。
「そうみたいですね。道としては少し心もとないですが」
キアランと共にフェリックスの背に乗っている、アマリアがうなずく。
「この馬、大したもんだねえ」
花紺青は両手を頭の後ろで組みつつ、あえて吊り橋の手すりの細い綱の上、器用にバランスを取って歩いていた。
「花紺青。お前、空は飛べるか?」
キアランは、楽しそうに綱渡りをしている花紺青に尋ねる。
「魔の者にも、飛ぶ能力、空にいられる能力のあるやつと、そうでないやつがいる。僕は飛べないよ」
「じゃあ、橋の上を歩け。いくら魔の者だって、危ないだろう」
「己を鍛えてるんだよ。これも立派な力を高める鍛錬のひとつさ」
綱の上をくるりと一回転し、満面の笑顔の花紺青。口元には、小さな牙がいたずらっぽく覗いている。どう見ても、遊んでいるとしか思えない。
「キアランも、やってみたら」
鍛錬、と聞いてキアランは真剣な顔になる。
「……やってみるか」
キアランは、花紺青の言葉を真に受け、フェリックスの背から降りようとしていた。
「無駄なことは、やめてください!」
すかさずアマリアがたしなめた。
はるか下には、ごうごうと音を立て、大きな川が流れていた。
頬に当たる風が冷たい。
吊り橋の半ばを過ぎた、そのときだった。
キアランは、かすかな耳鳴りを感じた。
これは……?
キアランは神経を研ぎ澄ませた。背筋に、氷を押しあてたような感覚が走る。
「まずい……!」
キアランは、フェリックスの手綱を強く握りしめた。
キアランの全身が、迫りくる危険を察知していた。
「走れ! フェリックス!」
ただならぬ様子のキアランに続き、花紺青の表情も厳しいものとなる。
「アマリアおねーさん! 防御の魔法を……!」
キアラン、花紺青に遅れて、アマリアもようやく事態を察する。
「これは、四天王……!」
シトリンの魔法の杖を手にして以来、アマリアの感覚もより鋭いものとなっていた。
「川を渡る風よ、悪しき力から我らを守り給え……!」
アマリアの呪文と共に、魔法の杖が金色の光を放つ。
フェリックスは勢いよく駆け出していた。吊り橋が激しく揺れる。
ドッ……!
「うわっ……!」
稲妻のような光が吊り橋の、キアランたちが今までいた部分を直撃した。
木の板と綱が砕け散る。支えを失ったキアランとアマリアは、フェリックスごと宙に投げ出される――。
「アマリアさん! 僕の力で木の板と綱を動かす! 魔法でフェリックスを上昇させて!」
切れた吊り橋の綱の端に掴まった花紺青が叫ぶ。
花紺青の青い目が強い光を放つと、落下していく木の板と綱が、独自の動きを見せ始めた。そして、木の板と綱は元通りの姿のように繋がり合う。それからその板と綱は重力に反して持ち上がり、あっという間に宙に浮かぶ橋となった。
川面が、キアランたちの眼前に迫る――。
「吹き渡る風、天空へと我らを運び給え……!」
アマリアが呪文を発すると、風がうねり、まるで白い龍のようにキアランたちの元へ飛んできた。龍のような風はキアランたちをすくいあげ、フェリックスごと押し上げ始めた。
「僕も手伝うっ!」
花紺青が叫ぶ。
浮かんだ状態の吊り橋に、フェリックスの脚があと少しで届く――。
「えいっ!」
花紺青の力の後押しで、キアランとアマリアを乗せたフェリックスの筋肉は躍動し、無事吊り橋に着地していた。
「おや……。ただ逃げ回るだけだったのに、いつの間にそんな芸当ができるように……?」
宙に浮かぶ吊り橋の向こう、崖の上にその四天王は立っていた。
「オニキス……!」
黒髪と金の瞳の四天王、オニキスだった。
オニキスは少し首を傾げ、笑みを浮かべていた。
「……新しい力や、新しい味方をつけたようだな」
オニキスは腕組みをし、値踏みするようにキアランたちを眺めた。
シルガーは!? シルガーはどこに……!
キアランは、シルガーの気配を探す。オニキスと一緒に消えたシルガー。しかし、シルガーの気配は、感じ取れなかった。
キアランはフェリックスから飛び降り、天風の剣を抜く。
「オニキス! 貴様、シルガーをどうした……!」
ふう、とけだるそうにオニキスはため息をつく。
「さあ。死んだんじゃないか」
「貴様……!」
オニキスはそのとき、キアランではなく花紺青を見ていた。
「……小僧。どこかで見たことがあるな」
「オニキスッ! ゴールデンベリル様の仇っ!」
花紺青の全身から、怒りがほとばしる。
「そうか。ゴールデンベリルの、従者か。生き残りがいたとはな」
キアランと花紺青は、同時に駆け出していた。憎き四天王、オニキス目がけ――。
天風の剣が、風を切る。花紺青が、走る。疾風のごとく。
「む……!」
天風の剣の剣先が到達する寸前、花紺青の鋭い爪が届く寸前、オニキスの姿が、消えた。
「空だ!」
花紺青の叫び声で、キアランは上を見上げる。
オニキスは、空にいた。
あ……!
オニキスが、右手を高く上げていた。
あれが振り下ろされたとき、さっきの稲妻のようなものが……!
オニキスの口には、冷ややかな笑みが浮かぶ。
まずい……!
キアランは息をのむ。
風が止まる。世界の音が、消えてしまったような気がした。
閃光。辺りは強い光に包まれた。
光の後、轟音。そして衝撃波――。
「うっ……!」
かすかなうめき声が上がる。
しかしそれは、キアランでも花紺青でも、アマリアのものでもなかった。
「やれやれ。誰が死んだって……?」
それは、そこに居合わせた者たちとは違う声だった。
キアランはその声を耳にし、目を見張る。
あれは……!
今まで、探していた気配がそこにあった。ずっと、待ち望んでいたものだった。聞きたいと思っていた、声だった。
キアランの顔に、喜びが広がっていく。
キアランの視線の先にいるのは、空に立つ、長い銀の髪の――。
「シルガー!」
先程の衝撃は、シルガーがオニキスに与えたものだった。
「生きて……、いたのか……!」
オニキスは、シルガーを睨みつける。
「まあな」
「まったく、しぶといやつ……!」
吐き捨てるようにオニキスは呟く。
「ふふ。もっともあのとき、キアランが炎の剣を投げてくれなかったら、危ないところだったが」
キアランはシルガーがなにを言っているのか、ピンと来ないでいた。
私が投げた、炎の剣が……?
シルガーは、驚きの表情を浮かべつつ自分を見上げるキアランに、視線を落とす。
「助かったよ。キアラン」
シルガーは、微笑みを浮かべ礼を述べた。
「あのとき、あの炎の剣のおかげで一瞬の隙ができた。それで、その隙に乗じてオニキスを遠くへ弾き飛ばすことができた。新しく空間を創り、そこに放り込んでから適当に飛ばしたのだ。もっとも、やつの反撃もあって、私も相当吹き飛ばされてしまったのだがな」
「それであのあと、気配が消えていたのか……!」
シルガーの姿を改めて見て、キアランはある大きな違いに気付く。
「シルガー! お前、右足……!」
シルガーの右足が、膝あたりから異様な形をしていた。人の脚の形状とは違い、まるで四つ足の動物のように反対側に曲がってから突き出ている。そしてさらには――、足の先に大きな蹄がついていた。
「なくなったから、つけた。翠と蒼井の真似をしてみたのだ」
「な、なんだって……!」
キアランは、絶句した。
シルガーは、こともなげに笑う。
「さらに、男前になっただろう……?」
前髪をかき上げ、胸を張って満足そうに目を細める。本人は気に入っているらしい。
フェリックスだけが、うなずいていた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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