【創作長編小説】天風の剣 第83話
第七章 襲撃
― 第83話 剣の重み ―
四天王オニキスは、笑う。
「まあ、いい……。まとめて皆、始末してやろう……」
オニキスの周りに、黒いもやが集まり始めた。
「キアラン! これに乗って……!」
キアランが振り返ると、花紺青の前に、吊り橋の板のひとつが浮かんでいた。
そして花紺青が、さっ、と腕を振ると、その板は宙を飛びキアランの目の前で止まった。
「わかった! ありがとう、花紺青!」
キアランは躊躇なく板の上に飛び乗った。すると、板はキアランを乗せ、空を飛んだ。
「光よ、風よ、聖なる加護を……!」
凛としたアマリアの呪文が、耳に届く。
それとほぼ同時に大気を斬り裂くような音。
オニキスの稲妻のような攻撃が放たれていた。
視界が金色に染まる。キアランは息をのみ、襲い来るであろう衝撃を覚悟した。
きらきらと降り注ぐ金の光。まるで、金色のガラスが砕かれたような――。
「キアラン! 臆せず進め! アマリアと私が、援護する!」
シルガーが叫んでいた。
そうか……! 今のは、オニキスの攻撃が無効化されたということか……!
キアランは思い出す。初めてオニキスの襲撃を受けた際、皆の魔法の防御に加え、シルガーの力でオニキスの攻撃の被害を免れたことを。
花紺青の操る板が、オニキスへ向かって突進していく。風が、容赦なくキアランの体を打ち付ける。キアランは重心を落としバランスを取り、暴風に抗い進む板の上に乗り続けた。
キアランは天風の剣を握りしめる。
いくつもの光が視界に飛び込んできた。強い衝撃波がキアランとキアランを乗せた板を翻弄した。オニキスの攻撃と、アマリア、シルガーの防御の魔法がぶつかり合っているのだ、キアランは板に乗り続けることに集中しながらそう理解した。
「あっ」
板が、大きく一回転した。キアランはバランスを崩し、落下する。
まずい……!
さあっ、と全身の血が引く。このままでは地面に激突する、そう考えた瞬間、キアランの目の前にふたたび板が現れた。
「ありがとう! 花紺青!」
キアランは空中で体をひねり、板の上に乗った。板はキアランを乗せると、すぐに勢いよく空へと上昇する。
光と風の嵐は続く。オニキスは、あたり構わず攻撃のエネルギーをぶつけているようで、アマリアとシルガーはその衝撃を必死で食い止めているようだった。
オニキス……!
キアランの瞳は、オニキスをまっすぐ捉えていた。キアランには、オニキスが止まって見えた。
「父と母の仇! 天風の剣を、その身に受けよ……!」
キアランは叫ぶ。エネルギーとエネルギーがぶつかり合う轟音にかき消されることなく、その叫び声はオニキスに届いたはず――。
オニキスは、キアランを睨み続けたまま、静かに人差し指をキアランに突き出した。それは、いかにも自然で優雅ささえ感じる動きだった。
う……!
金縛りにあったように、キアランの動きは止まった。斬りつけようとした軌道のまま腕は止まり、花紺青が動かしている板の動きも止められた。
「お前が――。人間との混血のお前が、四天王の私に一撃でも浴びせられると思ったか……?」
オニキスの、冷たく整った彫像のような顔に浮かぶ薄笑い。
「くっ……!」
キアランは、力を込め全身の筋肉を動かそうとするが、思うように動けない。ただわずかに体が震えるだけだった。
浴びせられる……! 私だって……! アンバーの指を跳ね飛ばし、さらには急所さえ深く傷を負わせることができたじゃないか……!
動きを封じられ、声の出せないキアランは、心の中で叫ぶ。額から、冷たい汗が流れ落ちた。
天風の剣を、握る手が痺れる。足も、まるで凍ってしまっているように痺れたまま固まっている。
キアランを射抜く、金の瞳。オニキスの姿が、ゆらゆらと揺れて見える。
耳鳴りが激しく頭の中をかき乱す。
衝撃音が聞こえない。キアランだけが聞こえていないのか、皆の動きも止まっているのか、それすらもわからなかった。
気が、遠くなる――。
「キアラン! 大丈夫だよ! 常盤の力を、思い出して!」
花紺青の声が、耳に飛び込んできた。
常盤の、力……。
「オニキスなんかに負けない力が、キアランにはあるんだ……!」
一瞬、常盤の微笑む顔が見えた気がした。春のあたたかさに包まれるような気がした。
どくん、どくん……。
キアランの血が、流れ始めた。熱い血が、全身をくまなく巡る――。
キアランは、声を振り絞った。
「私は、四天王ゴールデンベリルの息子、キアラン……!」
キアランの中の「時」が、動き出した。
板を蹴って飛ぶ。天風の剣を、高く振り上げて。
光が、放たれる。目もくらむ光の中、キアランが目を閉じることはなかった。
このままこの身が砕け散っても構わない……! 一撃でも、浴びせられることができたら――!
痛みも衝撃も感じられなかった。きっと、アマリアとシルガーの力に守られているおかげだ、そうキアランは思う。
光の中、オニキスの気配が、薄れる。
逃げる気か……!
キアランが、歯を食いしばった瞬間。
ごっ。
鈍い音がした。
え?
ザンッ……!
手応えがあった。
「おとなしく、素直に一度くらいは斬られてろ」
は?
飛び散る鮮血。キアランの目の前に、顔を歪めたまま消えていくオニキスの姿があった。
落下していくキアランの足下に、迎え入れるように板が飛んできた。
「オニキスは……!?」
オニキスの姿はもうない。キアランが見上げると、そこにはオニキスに代わり、蹄の付いた右足を上げているシルガーの姿。
「シルガー! いつの間にそこに!?」
黙ってニヤリと笑うシルガー。
その場から消え去ろうとするオニキスを、背後からシルガーが蹴っていたのだ。
「やつらが来た。私たちも移動するか」
シルガーは、空の一点を見つめていた。キアランもそちらに顔を向ける。
「高次の存在……!」
エネルギーの激しい衝突を察知した高次の存在たちが、こちらに向かって飛んでくるのが見えた。
「そうか……。オニキスは、高次の存在が近付いて来るのを察知して、逃げたのか。私から逃れるためではなく――」
キアランは、深いため息を吐く。天風の剣から、血が滴り落ちる。手ごたえはあった。急所を傷つけることはできなかったとは思うが、傷を負わせることはできた。しかし、キアランは落胆していた。
冷たい風が体をすり抜ける。オニキスを倒すまたとないチャンスが消えていってしまった。そしてそれだけではなく、そもそも、オニキスにとって自分は脅威ではなく歯牙にもかからないような小さな存在なのではないか――、そんな思いがキアランの心を支配していた。
「……私がやつの背後に回れたのは、完全にやつが気を取られていたからだ。キアラン。お前に、な」
シルガーは、キアランの瞳を真正面から見つめてそう告げた。
「気を取られていた、というより、お前の気迫にのまれていたのかな?」
「え……」
シルガーは、ふっ、と笑った。
「キアラン。お前の気迫、そしてその動き。お前は短時間で目を見張るような成長を遂げたな」
「シルガー……!」
シルガーは、静かにうなずく。キアランの心に、ゆっくりとシルガーの声がしみわたり、広がっていく。
一撃でも浴びせることができたのは、シルガーのおかげだった。アマリアの防御の魔法のおかげだった。そして、運んでくれた花紺青の力のおかげだった。動けたのは、常盤のおかげだった。それから、遠い距離を移動できたのは、フェリックスのおかげでもあった。
皆のおかげで戦えた。自分の力はちっぽけなものだ、そうキアランは思う。
しかし、どうだろう。キアランを見つめる、シルガーの目。認めてくれているような、たたえてくれているような、まっすぐな眼差し――。
私は――。
握りしめた天風の剣の重み。皆のおかげで一歩ずつ進んでいく。皆の支えで命を繋ぎ続けている。
それで、いいじゃないか。
シルガーの銀の瞳は、そう告げていた。
空を飛ぶ板の上ではあったが、自分の足で立っている、そんな確かな感覚にキアランは包まれていた。
「大丈夫だ。あの小僧が言ったように、お前はあいつと戦える力をすでにその身につけている。そして、心配しなくても、嫌でもあいつと対峙する機会はやってくる」
そうだ……。これで終わりじゃない……!
キアランは、強く拳を握りしめる。
「オニキス……。今度こそ……!」
キアランは、天風の剣を掲げる。天風の剣は、厚い雲を切り開くような鋭い光をたたえていた。
「ところで」
言いかけて、少しシルガーは首を傾けた。
「あの小僧はなんだ? 妙な連れを見つけたな?」
どんっ。
板の端に、勢いよくシルガーが乗った。そのはずみで、キアランはバランスを崩しそうになる。
「そして、なんだこれは? 興味深いな」
「シ、シルガー! そこで飛び跳ねるな……!」
びよん、びよん、と板が揺れた。
「こらー! 遊ぶなーっ! 操縦する僕のことも考えろーっ」
花紺青の叫び声が聞こえてきた。
「高次の存在が面倒、とお前らは言うが、どう面倒なんだ?」
アマリアと共にフェリックスの背に揺られつつ、キアランがシルガーに尋ねる。シルガーと花紺青は、花紺青が操る板の上に乗って、フェリックスと並走していた。シルガーは自分で飛べるから板に乗る必要はまったくないのだが、すっかり気に入ってしまったらしい。
「下手をすると、固められる」
「え」
「生えている木のように、その場の風景のひとつにされる。まあ、そんなに長い時間ではないし、力のある者ならすぐに解ける技だが、疲労が大きい。そして、なにより――」
「なにより……?」
「非常に屈辱的で不愉快だ」
シルガーが、吐き捨てるように呟く。経験者らしい。
「キアランーッ! アマリアさんーっ! フェリックスーッ!」
森を抜けると、元気な声が聞こえてきた。
「ライネ……!」
ついに、ライネたちと合流した。
「あれ? シルガーと、そのちびっこは、誰?」
ライネは板に乗って飛んでいるふたりを見つけ、明るい笑顔を浮かべつつ尋ねる。
「僕は、ちびっこじゃないーっ!」
「なんだ、自覚があるじゃん。ちびっこ」
ライネが花紺青の頭をわしわしと撫で、花紺青のドロップキックが披露されるのは初対面から五秒後のことだった。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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