【創作長編小説】天風の剣 第121話
第九章 海の王
― 第121話 あと何秒 ―
どす黒い液体が四天王パールの足首から流れ落ち、ゆっくりと大地に染み込んでいく。
足元から伸びる黒い影が、一層濃密な闇をまとう。
四天王パールは、ふふっ、と軽く笑い声をたてた。そして、自分の足元に目をやりつつ、かすかに顔をしかめた。
「浅い傷でも、やっぱり急所は痛いなあ」
ダンが、愛馬バディの背の上で魔法の杖を構える。集中し、強い魔法を唱えようとしていた。
人間の力でも、もしかしたら四天王を倒せるかもしれない。
おそらく、長い歴史の中でも前例はない。しかし、急所である足首から、血が流れ出ている。ダンは、かすかな希望にかけた。
「大地の精霊、魔を――」
ザッ……!
ダンは、ハッとした。
距離があったはずのパールの顔が、まばたき一つの間に目と鼻の先、愛馬バディの前にあったのだ。
まずい――。
「風よ、魔を払えっ!」
ライネが素早く呪文を唱えた。刃のような突風が吹き、パールの右半身を直撃する。しかし、パールの体はびくともしない。先ほど強い魔法を放ったばかり、そのうえ、集中しきれないままのとっさの呪文のため、魔法の効力が薄くなっていたようだった。
パールの牙が、鋭い爪が、ダンの愛馬バディもろともダンに襲いかかる――。
ガッ……!
パールが食らいついたのは、ダンの魔法の杖だった。ダンが、樹木の幹のような魔法の杖を横にし、突き出して防御したのだ。
急に我に返ったようにバディが暴れる。ダンは、落馬しないようしっかり両足に力を入れバランスを取りつつ、両腕を目いっぱい伸ばし、パールが食らいついたままの魔法の杖を掲げ続けた。
魔法の杖は緑色の光を放つ。パールの金の髪が波打ち、白い肌に緑の光が走る。魔法の杖に噛み付いたままのパールの鼻に、皺が寄る。魔法の杖の放つエネルギーが攻撃の作用をしているようだ。ダンはそのまま思いきり力を込め、パールを押し続けようとしたが、その前にパールは離れた。
どこへ……!
パールの姿が消えていた。
ハッとし、ダンはパールの姿を探す。
いつの間にか、体を高く上昇させ、パールはダンの真上にいた。
パールは、頭を下に、顔をダンに向けて破顔した。
「まず、君を抱きしめてあげるね」
四枚の漆黒の翼の下、広げる両腕。災厄の洞穴のように真っ黒に見える口の中からのぞく、光る牙と赤い舌――。
ああ。本当に、だめかもしれない――。
魅入られたように、ダンはパールを見上げ続けた。ダンの魔法の杖を持つ右手に、電流が走る。魔法の杖が、ダンが戦うよう鼓舞している。
ライネの呪文が耳に届く。パールの体が、ライネの呪文が発動するたび、光り、爆発が生じ、火花が散る。しかし、いずれの攻撃もかすり傷程度で、深い傷を負わせることは叶わない。急所を狙った攻撃も、すべて当たる直前にかわされているようだった。
「ヒヒーン!」
バディがいななき、たてがみを震わす。主人を乗せ、一刻も早く遠くへ駆け出そうとしていた。
ダンは、足を乗せている鐙で、両方同時にバディの腹を打った。早駆けの合図だ。バディが駆け出すやいなや――、ダンはバディから飛び降りた。
「ダンッ!」
驚いたライネの叫び声が耳に届く。ダンは、土埃にまみれながら、魔法の杖を使って身を起こす。バディの蹄の音が遠ざかる。恐怖とパニックの中走るバディは、どうして急に身が軽くなったのか、まだ気付いていないに違いない。
きっと、時間稼ぎになるだろうと思った。バディも、ライネもライネの愛馬グローリーも、これで逃げる時間ができるだろうと思った。
「四天王パール、黙って食われる私ではないぞ!」
ダンは立ち上がり、打撃の武器のように魔法の杖を構え直す。
「へえ……?」
パールの瞳に、好奇の色がよぎったのを、ダンは見逃さなかった。
非力なはずの人間が、魔法を使うのを止め、力で戦おうとする、それはきっと新鮮に映るに違いない、そうダンは考えていた。
わずかな時間でも、改めて私一人に関心が注がれる……! とはいえ、私もむざむざ命を捨てるわけではない! 最後まで、戦ってみせる……!
「ダン! なにを……!」
「ライネ! 私の思いを、無駄にするなよ!」
ダンは、駆け出した。ライネとは反対の方向へ。人間の足では、たかが知れているだろうが、少しでもライネから離れるように。
「人間って、面白いね」
パールは笑っていた。
ダンは、もう数秒、うまくいけば数十秒は時間が稼げると思っていた。しかし――。
「じゃあ、ちょっとだけ力比べでもやってみる?」
パールの微笑みが、すぐ目の前にあった。
ドッ!
ダンは、魔法の杖でパールの胸元を激しく突いた。
翠の魔法の杖、まさかお前もこんな使われかたをするとは思わなかっただろうな――。
古城の前で、翠と力比べをしたときのことが、ふとダンの頭によぎる。
あのときは、まさかのちのち翠が力になってくれるなどと、夢にも思わなかったな――。
パールの微笑みは消えない。
何秒、稼げるのだろう。
ダンは、魔法の杖を振り上げ、パールの頭部を激しく打つ。ライネの呪文が聞こえる。急所への攻撃はかわされているようだ。
途切れることなくダンは魔法の杖で打ち続けた。魔法の杖は明滅し、ダンの打撃の破壊力を増加させているようだった。
あと、何秒? 早く、早くライネ、ここを離れろ――!
パールは、楽しそうに笑っている。血まみれになりながら、微笑みを絶やさない。
ダンは、パールの急所、足首に向かって呪文を発動させた。
当たれ……!
魔法の杖の先が、光と風を生む。
打撃からの突然の近距離の魔法攻撃。もしかしたら、うまくいくかもしれない、ダンは淡い希望を抱く。
それは、淡い希望だった。ダン自身も信じてはいなかった。
金の長い髪が躍る。パールは、空中を舞っていた。背後の岩が、ダンの魔法攻撃で砕け散った。
あと、何秒――。
パールが、ダンに向き直る。ライネの爆撃のような魔法攻撃の中、ゆっくりと歩いてくる。
ダンは、たまらず叫んだ。
「ライネ! 頼む! 逃げてくれ――!」
ダンは、ライネが逃げてくれることを祈った。ライネのいる気配は変わらない。ライネから返事はなく、代わりに望まぬ相手、恐れていた言葉がやってきた。
「そろそろ、僕の番でも構わない……?」
パールが、にい、と笑う。したたる血の間から、光る青い瞳――。
ああ。これで、しまいか――。
ふっ、と、力が抜ける。亡くなった両親や親族の姿が心に浮かぶ。
結構、頑張ったほうじゃないか、ダンは心の中で、自分で自分にねぎらいの言葉を送る。
ごめん。今から、私も――。
空が、割れた。ぱっくりと、パールの背後の空中に穴らしきものが開く。
なんだ……?
ダンは、思わず目を見開く。
光る、軌道。
それは、パールの足元をなぎ払うように――。
「まったく、みんな、不意打ちが大好きなんだね」
パールはその場から大きく飛びのき、ため息をつく。
「まあ、いいけど」
パールは、さして困ったふうでもなく笑う。
「四天王パール。ずいぶん、コンパクトになったな」
光る軌道は、天風の剣。
ダンの視線の先には、天風の剣を構えた、キアランがいた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?