【創作長編小説】天風の剣 第61話
第六章 渦巻きの旋律
― 第61話 時が変われば、動くものもある ―
海水は、シトリンのひざの下辺りまできていた。
シトリンはスカートの裾を持ち上げ、明るく切り出した。
「そろそろ、行ってみよっかー」
「……どうして私を見ながら言うのです」
アンバーが、少し呆れたように呟く。
「えっ。だって、一緒に行くでしょ?」
さも当然、といった調子のシトリン。
「誰も一緒に行くなんて一言も言ってませんよ」
「ふうん? 行かないんだー?」
アンバーは、シトリンの問いに答えず、ただ微笑みを浮かべる。
「……命は、大切にしたほうがいいですよ」
「当たり前だよー! 私、強いから、ちゃんと逃げるタイミングも心得てるもん!」
「……あなたがたとまた、お会いできると信じております」
「うん! たぶんね!」
明るく言い放つシトリン。
「戦いだらけの生きかたの我らですが、また、こんな時間を持てたらいいですね」
アンバーの低く響く声が、ゆっくりと洞窟内に広がっていく。
シトリンは、じっとアンバーの顔を見つめた。
「……おじちゃんも、元気で」
「生き急いではいけませんよ。決して――!」
アンバーは、シトリンとキアラン、両方の目をしっかり見つめながら、はっきりとした口調でそう伝えた。その言葉には、押し寄せる波のような、静かな迫力と重みがあった。
「もちろん、無理はしないよー! いくら強くても、命は、ひとつしかないんだから!」
ばっ、と、シトリンは四枚の漆黒の翼を広げた。黒い翼、しかしそれは光を背にしているからそう見えるだけで、本当は神々しい姿なのではないか、そんな印象を感じさせるものがあった。
「……我が同胞、四天王シトリン」
アンバーが呟く。
「ん?」
「……ありがとう」
アンバーは、笑っていた。それは少し困ったような、照れたような笑顔だった。
シトリンは、なんのことか、ときょとんとした。
「……若い力を、もらったような気がします」
「やだなー。年寄りくさい!」
シトリンは、勢いよくアンバーの肩をばんばんと叩く。アンバーは、苦笑しながらもシトリンのされるがままになっていた。
「それから、キアランさん。あなたにもお礼を言わせてください」
「えっ……? 私に……?」
キアランもなんのことかわからず、戸惑う。
「懐かしいことを思い出させてくださいました。そして、今の私が改めて思うのは――」
アンバーは、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
「……あなたの父君と出会い、そして時を経てあなたと出会う。そのことは、非常に興味深く、そして、とても意味深い――」
波音が、洞窟内に響いていた。黒い波間に、きらきらと差し込んだ日の光が弾ける。
「……まあ、言葉にするのはやめておきましょう。時が変われば、動くものもある。ただ、それだけは白状しておきましょうか」
「アンバーさん……!」
「あなたは、父君にそっくりです。本当に……!」
「私が……、父に……!」
「あなたは誇り高き、偉大な四天王の息子です……!」
キアランは、言葉に詰まった。今まで恐れていた父。ずっと知りたい、そして同時に知りたくないと思っていた父のこと。眩しい、と思った。揺れる波の光が、目に染みる。激しく揺さぶられる心。父と似ていると称されたこと、それは、今のキアランにとって純粋な喜びと感動に他ならなかった。
キアランは口を手で覆い、あふれ出る感情を、嗚咽を隠した。
「じゃあ、もう行くよ!」
シトリンの声に、キアランは黙ってうなずいた。
シトリンは、アンバーと白銀、黒羽に向かって大きく手を振る。
「ばいばーい!」
アンバーは、ため息のような笑い声を漏らした。
「……ばいばい」
「ふふ! おじちゃん、白銀さん、黒羽さん! ばいばーい!」
「また、お会いしましょう……!」
アンバーが片手を挙げ、白銀と黒羽が頭を下げて挨拶を返す様子を目に映すと、シトリンはふたたびキアランを運び、洞窟を後にした。
「カナフ……! ヴァロ……! それは天風の剣じゃないか……!」
シルガーがいっときの沈黙を破り、声を上げた。
「はい……! 無事持ち出すことに成功しました……!」
状況が飲み込めず戸惑っていたカナフとヴァロだったが、シルガーの声を耳にして我に返り、笑顔でうなずき合う。
「それで、キアランさんは、どこに……?」
アマリアの問いに、翠と蒼井が挙手していた。
それから、翠が叫ぶ。
「時間がない! 私たちは一刻も早くシトリン様のもとへ駆けつけたい! 手短に説明させてくれ!」
「え……」
アマリアは、翠の勢いに押されてしまった。
「一切疑問を挟むな! よく聞くのだ!」
つい蒼井が命令口調になっていた。
「急に、どうした。翠。蒼井」
シルガーが、遠慮なく疑問を挟む。
「我々は急いでいると言っただろう!」
声を揃える翠と蒼井。
苛立つように叫んだあと、翠と蒼井は四聖を皆のそばへ戻るよう促す。ルーイやフレヤ、ニイロがそれぞれ改めて翠と蒼井に礼を述べようとしたが、翠と蒼井はそれを制した。
「礼はいらん!」
「え……。でも……」
「礼とか感想は、割愛しろ!」
翠と蒼井が言い放つ。
「我らがこれからするのは、説明のみだ!」
「すべて省略、すべて時短で行くぞ!」
割愛……。省略……。そして、「時短」って……?
翠と蒼井の気迫に押されつつ、どんだけ急いでいるんだ、と一同目を丸くした。
「まず、これらはシトリン様からの貴重な預かりものだ!」
翠と蒼井は同時にそう叫び、それぞれ手にした棒状のものを掲げた。
「これらを、お前ら人間にやる! 強い人間が持て! 時間があれば、それを使う者を私たちが指名してやってもいいが、時間が惜しい! そちらで勝手に決めるがいい……!」
「あ。お前らも、作ったのか」
シルガーには、その棒状の物体が、一目で自分の作った「炎の剣」に相当するものだとわかった。
「シルガー! 言葉を挟むなって言っただろう!」
「なんでそこで喧嘩腰なんだ」
最初の会話のときに喧嘩腰なら話がわかるが、といった様子でシルガーは首をかしげる。
「それから、これだ!」
翠と蒼井はまた同時にそれぞれ、棒状のものを掲げた。
「これは我らが作りしもの……! 当然のことながら、シトリン様のお作りになった先ほどの品よりは劣るもの……! しかし、必ず役立つものと心得よ……! 先程と同様、所有する者は自分たちで選べ……!」
「ああ。確かにさっきのよりは弱いな」
「そこ! シルガー! 口を挟むなと言ったろう!」
翠と蒼井はシルガーを指差し、声を揃えた。
弱い、という率直な感想より口を挟んだことだけを翠と蒼井は注意した。
「そういう時間のほうが、無駄な気がするが」
「だから、黙って聞けというのだ!」
「で、キアランはどうした」
「これから言うのだ!」
急ぐあまりに、意味なく偉そうになってしまった翠と蒼井。
「キアランはシトリン様と共に行動している……! そして、我らもシトリン様のもとへ向かうのだ! 今からな!」
「なに……? シトリン……? そういえば、さっきからお前らが言ってるシトリンって、誰だ?」
「我らが主だ……!」
「ああ。四天王か」
一瞬、翠と蒼井は顔を見合せた。主の名を、軽々しく大勢の者たち、特に、自分たちと激闘を繰り広げたシルガーに教えてしまってよかったのだろうか、と問題に思ったようだった。しかし、先ほどからすでに連呼してしまっている。それに、不特定の人間に手製の武器を渡すように命じられている。この際、問題ないだろう、そう拡大解釈することにした。
「説明はした! 我らの任務は完了した! 以上! では解散……!」
「え? 任務完了……?」
「そこ! 疑問を挟むなーっ!」
翠と蒼井はまたシルガーを指差す。
アマリアが、いてもたってもいられず尋ねていた。
「キアランさんは……!」
「知りたければ、お前らも来るがいいーっ!」
「ただし、それは強いやつだけにしておくのだーっ!」
そして叫びながら、あっという間に翠と蒼井は空高く消えていった。
「解散って……。なんなんだ……?」
「あれで、説明……、完了してたのか……?」
びゅう。
吹き抜ける、一陣の風。
シルガーも皆も、呆気にとられ、呆然とただ青空を見上げていた。
「キアランさん……」
アマリアは、シトリンの作った金色の棒状のもの――剣にも魔法の杖にもなりうる武器――を、胸に抱きしめていた。
それは、自分で自分を強いと思ったからではない。キアランを想う気持ちの強さ、皆を守りたい思いの強さ、そして戦うことへの覚悟が、彼女を前へ前へと突き動かしていた。
翠と蒼井は空を移動する。
「使命は果たしたな。蒼井」
「うむ。四聖は無事引き渡したし、武器も渡した。説明もすべてした。我らは、よい仕事をした」
「うむ。実に見事であった」
翠と蒼井は、互いに称え合う。
青い空が、心地よい。
翠と蒼井は、滞りなく仕事を終えた、清々しい達成感に包まれていた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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