【創作長編小説】天風の剣 第60話
第六章 渦巻きの旋律
― 第60話 え……。誰 ―
森の中は、静けさが戻っていた。
小鳥のさえずりや、虫の声が、それぞれの無事を確認し合うように、緑の中で遠慮がちに響き始める。
「さっきの異変は……、いったい……!?」
魔法の力を持たないソフィアにも、それは感じられた。
恐ろしい嵐が吹き荒れ、大地も揺れた。
そしてそれはほんのつかの間のことで、今ではなにごともなかったかのように晴天が広がっている。
通常の自然現象ではなく、なにか――、特別な恐ろしい力が働いているのだとソフィアは理解していた。
アマリア、ダン、ライネ、そして魔導師オリヴィアは、青ざめた顔をして呆然と立ち尽くしている。
「ねえ! あなたたち、なんか知ってるんでしょ!? 今の、なに!? まさかフレヤたちと関係あるの……!?」
ソフィアの濡れた髪から、雨粒がひとしずく落ちる。ソフィアの問いは、森の中にこだまするだけで返事がない。
「ねえ……! 教えてよ! そんな怖い顔をして、なにか感じてるんでしょ!?」
ソフィアは、アマリアの細い肩を掴み揺らした。ソフィア自身が不安で、誰かの言葉がないと今にも心が押しつぶされそうだったのだ。
「ソフィアさん……。おそらく、先ほどのエネルギーの奔流は、フレヤさんやルーイ君たちとは関係ないと思われます」
「本当に!?」
「はい。本当です。ただ――」
アマリアの硬い表情とかすかに震える唇が、事態がとても深刻であることを告げていた。
「なに!? なにが起こっているというの!? ちゃんと、わかるように教えて――!」
一刻も早く、心を落ち着かせたかった。足元には、たくさんの緑の葉や折れた枝。根の浅い木の中には、倒れているものもあった。目の端に捉えた、走る小さな生き物。隠れ家を探し、逃げていく一匹のトカゲ――。
「どうやら、高次の存在とたぶん――、四天王、かな? そいつらがやり合ったみたいだな」
ライネが、アマリアに代わって重い口を開いた。
「え」
「まずいことになった」
深いため息とともに、ダンが呟く。
「ダン……! まずいことって、いったいなんなの……!?」
「空が、荒れている」
ソフィアには、ただの青空にしか見えない。
「エネルギーの爆発の後、生きているのは四天王のほう――」
遠い地に広がる不気味な黒い影を、魔法の力を持つ彼らは敏感に感じ取っていた。
「来る……!」
魔導師オリヴィアは、空の一点を見上げ短く叫んだ。
「え? その四天王がこちらに来てるの!?」
なにも感じ取れないソフィアが聞き返す。オリヴィアは輝く耳飾りを揺らし、優しく首を振った。オリヴィアの口元には、花のような微笑みさえ浮かんでいた。
「いいえ……! 四聖たちです……!」
「え! フレヤやルーイ君が!?」
雲間から日の光が差し込むように、ソフィアの顔いっぱいに喜びの色が広がる。
不安から一転して訪れた、大きな希望だった。
「ええ! 今から私たちを覆っていた守りの魔法をときます……!」
しゅっ、しゅっ、とオリヴィアの腕が空を切る。相変わらずソフィアにはなにがどうなっているのかわからないが、今の動作はオリヴィアが今までかけていた強力な魔法を解除するものだということだけはわかった。
「これで、彼らもこちらがわかると思います」
「彼ら?」
ソフィアは、きょとんとした。そもそも、空からどうやってフレヤやルーイ、キアランが来るのかと疑問に思う。
気を失っている間、皆から聞いた話では、四天王アンバーがフレヤとルーイを連れ去り、四天王シトリンがキアランを連れてそれを追いかけていった、それから、シトリンの従者の蒼井と翠がアンバーの従者たちと戦っていたらしい、ということ。そして、どうやらシトリンたちは四聖を守るためにこちらに加勢してくれているようだった、とのことだった。
しかし、シトリンは以前フレヤとルーイをさらった張本人である。どうして、こちらに向かって来ているのか疑問だった。四聖が欲しいだけなら、こちらに戻る必要はない。そして、キアラン。キアランも無事なのか――。
キアランには、言いたいことがあった。完全に意識を失う少し前、自分を抱え上げ助けてくれたのはキアランだったのだとソフィアは感じていた。なぜ、一瞬の隙が命取りになるような戦いの中、倒れた自分を助けようとしたのか。その行動がなければ、もしかしたらフレヤとルーイを救えたのかもしれないのに、と。
もっとも、ソフィアを助けようとしなくても、事態は変わらなかったのかもしれない。恩人ともいえるキアランに怒りをぶつけるのはお角違いだと自分でもわかっている。
でも、あいつには一言言ってやらなきゃ……! あたしなんてほっといて、自分本来の役目をちゃんと果たしなさいってね……! ほんと、甘ちゃんなんだから……!
そう思うことで、本当はただ安心したかっただけなのかもしれない。キアランが無事戻り、しっかり文句をぶつけられる、そう信じていたかったのかもしれない。
「キアランは――」
「オリヴィアさん……! キアランさんは!? キアランさんについて、なにか感じ取れませんか……!?」
ソフィアが質問する前に、アマリアが叫んでいた。
「……今の段階で、私が感じ取れるのは、あの従者二体と、それから複数の四聖の波動――」
「え……!」
ヒュウッ……!
なにかが、風を切る。そして、皆の前に降り立つ。
「魔導師とやら。探しやすいよう、術をといてくれたのか。察しがいいな」
「あ……!」
一同、驚きの声を上げていた。
現れたのは、ルーイとフレヤを両腕と自らの長い髪で支えるようにして抱えた、蒼井。
「フレヤッ! ルーイ君……!」
ソフィアの歓喜の叫び声と共に、わっ、とその場に大きな喜びが溢れた。
もう一つの、影が降り立つ。
大きな影。
それは、がっしりとした体躯の魔の者――、翠。そしてその腕に抱えられているのは、同じくたくましい体つきの青年――。
え……?
一瞬の沈黙。
「誰!?」
思わず、皆一様に驚く。
「ニイロだ」
皆と言葉の違うニイロに代わって、翠が律儀に紹介する。
「四聖が、増えた……!」
思わず、ライネが率直な驚きの声を上げる。
「どーゆーこと!? それで、キアラン……! お前ら、キアランはどーした……!」
ライネが翠と蒼井、ルーイ、フレヤ、そして初めて対面したニイロの顔をそれぞれ見比べるように見てから叫んだ。
そのときだった。
「本当だ……。キアランが、いないな――」
ライネの背後から、思いがけない声が聞こえてきた。
低い、ゆっくりとした声。
「え」
その声はまさか、と一同思う。
銀の、つむじ風ができていた。
風は、見る間にほどけていく。
「あ……!」
皆の目に映る、新たに登場した影。
それは、首をわずかにかたむけ、片頬で笑う、長い銀の髪の――。
「……変異が起きた。様子を見に外へ出たら、ここに様々なエネルギーを強く感じた。見慣れた連中が多いが――、キアランだけ留守か」
「シルガー!」
「え……。誰」
オリヴィアだけ、きょとんとしていた。
「今は、お前とやり合うつもりはないぞ」
蒼井が、シルガーに告げる。抑揚のない平坦な蒼井の口調からは、感情が感じ取れない。
「ふむ? お前も翠も、多少見た目を変えたようだな」
「誰のせいだと思っているんだ」
そう言う翠も、シルガーに対して感情の揺れは見られない。
「なかなかの男前になったな」
「よく言う」
「それより、なにがどうなっているんだ? 四聖の連中が、すっかりなついているようだが?」
「なついてない!」
思わずニイロが反論していた。もっとも、ニイロの反論の言葉は、ソフィアたちにはわからないけれど。
「なんなの……! この魔の者たちは……!」
ソフィアが、今の混乱しきった状況を整理しようとしたときだった。
バサバサバサ……!
突然、上空から大きな羽音が聞こえ、それと同時に金の光が差し込む。
え……。
皆――人間も魔の者も――、空を見上げた。
「キアランさん……! お待たせしました……!」
笑顔をいっぱいに浮かべた、ふたりの高次の存在が舞い降りてきた。
「カナフと――、ええと、確か、ヴァロ、だったかな――?」
「シルガーさん……!」
カナフとヴァロは驚き、顔を見合わせた。
四聖や、魔導師オリヴィア、それから翠と蒼井の波動をたよりに、シルガー、カナフ、ヴァロが集まっていた。
「キアランだけ、留守のようだぞ」
たちまち、賑やかになってしまった森の一角。
「なに、これ……?」
ソフィアが呟く。
たちまち高まる人口密度。いや、それは人間ばかりではなかったが。
全員、状況が飲み込めなかった。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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