【創作長編小説】謎姫、世界を救うっ! 第7話
第7話 闇の姫と希望の姫
風にそよぐ長い黒髪。そして、九郎を乗せて飛ぶイヌクマも、美しい毛並みそのままだった。
九郎……! イヌクマ……! 本当に無事だった……!
陽菜の口から、思わず安堵のため息がもれた。
「封印を破ったのは、静月ではない!」
九郎はバーレッドに向かって叫び、イヌクマから飛び降りた。
「証拠はあるのか。ただやつを信じたいから信じる、お前らがいいように思い込んでいるだけなんじゃないのか」
バーレッドの、冷ややかな声が響き渡る。
「立場をわきまえろ! バーレッド! 若殿様に向かい、そのような物言い、断じて許さんぞ!」
バーレッドに槍の先を向けながら、時雨が叫んでいた。
「ふん。今更」
吐き捨てるように言い、バーレッドは笑う。
「ガキのころからの縁じゃねーか。あのころは、まさかお前らが権力の膿の中、腐っちまうなんて思わなかったけどよ」
「バーレッド……! 私と時雨は――」
九郎が首を振り、叫ぶ。
「バーレッド、覚悟っ!」
その瞬間、時雨の槍がふたたびバーレッドに振り下ろされる。バーレッドは、剣で槍を受けた。金属音が響く。
「九郎様、早く、陽菜殿をっ」
時雨が叫ぶ。時雨が叫ぶと同時に、陽菜も九郎へ向かって急いで駆け出していた。戦う時雨とバーレッドを背に、駆け出すのは怖かった。しかし、今しかない、と思った。
バーレッドから、詳しい話を聞こうとした。しかし、真実はきっと、九郎と時雨にあると思った。
九郎……!
伸ばす手と手。陽菜と九郎は互いに向かって手を伸ばし――、そして手を、繋いだ。
私は、九郎を信じる……!
突然、眩しさに襲われる。
え……。
光。強い光が、陽菜と九郎を包み込んでいた。
気が付けば――、陽菜は、どこか巨大な建物らしき中にいた。
「あれ……。ここは……?」
突然変わった風景に、陽菜は戸惑う。
目に映るものが、やたらと、大きい。大きすぎて、全容が掴めない。見上げれば、とんでもなく高い天井。
大きい、というか――。なんか、目線が、変……?
どうなっているの、と焦りながら、手を繋いだ先を見ると、陽菜は悲鳴を上げそうになった。
「なんで!? 巨大な、ネズミ……!」
「陽菜、落ち着いて、聞いてほしい」
ネズミから聞こえてきたのは、なぜか九郎の声だった。
「なんで、ネズミが――」
言いかけ、さらなる衝撃が襲う。
私の手……! 手が……!
「これは、一時的な変身だ。すぐに解くから――」
九郎は落ち着いた声色だったが、耐えきれず陽菜は叫ぶ。己の身に起きた、信じらない変化。
「手が、体が、毛むくじゃらなんですけどーっ!」
自分の手も足も、まるで、今の九郎そっくりだった。つまり、ネズミ……。
私が! ネズミ……!
気が遠くなりそうだった。しかし、気絶する前に、ぎゅん、と視界が変わる。まるで、ジェットコースターの上昇したときのよう。
それも、一瞬だった。景色が、また変わる。
「あ、あれ……」
呆気にとられる陽菜。
「大丈夫。戻っただろう」
目の前で微笑んでいるのは――、九郎。ネズミではない。
おそるおそる自分の姿も確認する。
毛むくじゃらじゃ、ない……。服も、来てるし、ついでにいえば、刀も持ってる。
そして――、今自分がいるのは、自分のよく知っている空間だと気付く。
「わっ。ここ、私の部屋だ」
「すまない、驚かせて」
「お、驚くなんてもんじゃないよっ!」
陽菜は、抗議した。ネズミはそんなに嫌いじゃないけど、好きでもないしたとえ好きでもなりたいものではないでしょ、などと一気にまくし立てた。
「空間移動のため、小動物に変身する必要があったのだ」
「空間移動……?」
九郎はうなずく。
「異世界との間には、見えない壁がある。それは壁、というより、空間を隔てる網みたいな感じだ。そこをくぐって行き来するわけなのだが、陽菜のいる世界と私たちのいる世界は、圧が違う。こちらからあちらに行くのは容易なのだが、あちらからこちらに来るには、壁の抵抗が強く、小さな姿にならなければならないのだ」
着ていた服ごと変身していた、と九郎は説明する。ちなみに、陽菜はそこまで気が回らなかったが、持っていた刀も小さくなっていたらしい。
「術をかけて小さくしても、ものの本質は変わらない」
小さな姿――、あっ、もしかして。
「あのときのカエルは、時雨だ」
あのカエル、やっぱり……!
なるほど、そうだったのか、と納得すると同時に、陽菜の心に不安が押し寄せる。
「時雨は? また時雨がいないけど……! あの男と戦って、時雨は――! 大丈夫、なの……?」
バーレッドは、前田さんの姿をしていた恐ろしい怪物を、一撃で倒したようだった。強敵であることは間違いなさそうだった。
強敵――。でも、九郎たちとバーレッドは、子どものころからの、知り合い……?
九郎の顔に、暗い影がよぎる。九郎の握った拳が、流れる黒髪のかかる肩が、かすかに震えているように見えた。
「きっと、大丈夫だ。バーレッドは、人を殺すような男ではない。私に攻撃をしたときも――」
深い、ため息。
「手加減していた。私とイヌクマを糸で縛った、あの魔族への攻撃の威力とは違っていた」
糸で縛る、だからあのとき、九郎とイヌクマは動けなかったのだ、と陽菜は理解した。
「大丈夫だ。時雨は」
九郎は、自分に言い聞かせるように言う。
きっと、大丈夫、だよね……? 時雨……。
バーレッドの、笑顔を思い出す。陽菜は、バーレッドが悪者であるとは思えなかった。九郎たちとは、きっと、なにかのすれ違い。戦ったとしても、どちらも無事である、そう信じようと思った。
「魔族――」
陽菜の声が、震える。
糸を操る、恐ろしい怪物。私の腕も、もぎ取ろうとした――。あれは、前田さんじゃ、ないよね……?
「あの魔族――。陽菜の近くにいた人間だったのだろう?」
九郎の問いに、陽菜はうなずく。
「あの魔族は、おそらく狙った人間に接触し、その人物の姿と記憶の断片を写し取れる能力のあるもの」
「じゃあ、前田さんは……!」
陽菜の顔が、明るく輝く。
「ああ。写し取られる際、大幅に気力と体力を奪われ一時的に体調を崩したと思うが、こちらでなにも知らず、いつも通り生活していると思う」
陽菜は、全身の力が抜けるようだった。もし、もし前田さんの身になにかあったら、と不安だったのだ。
「『魔族』って、そんなこともできるの?」
「やつらは、様々な能力を持つ。個体によって、能力は違うが」
陽菜の頭に、浮かぶ疑問。
「でもどうして、前田さんだったんだろう。どうして、狙われちゃったんだろう」
「おそらく――」
「おそらく?」
九郎は微笑み、それから、首を左右に振った。
「いや。なんでもない。憶測でしかないからな」
九郎は口を閉ざす。
陽菜は、九郎を見上げる。美しい黒い瞳を、見つめる。
「教えて。九郎。私まだ全然なにも知らない。あの男にも聞こうとした。でも、まだなにも聞いてない。いったい、なにが起こっているの……?」
そして陽菜は、刀に目を落とす。「魔族」しか斬れないという不思議な刀。
「バーレッドも、私を『姫』と呼んだ。どうして……? 私は、いったい――」
「陽菜」
九郎の、陽菜を見つめ返す揺るぎない瞳。九郎は、真実を告げようとしていた。
「陽菜は、希望だ。あちらの世界とこちらの世界。そして、他の世界においても――」
希望……? 私が……?
「陽菜。そなたには、飛蟲姫を滅ぼす、その力があるのだ」
飛蟲姫を滅ぼす、力……?
陽菜の胸の中、どくん、と一つ大きな鼓動が聞こえた気がした。陽菜は恐れながらも、九郎の次の言葉を待った。
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