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【創作長編小説】天風の剣 第26話

第四章 四聖と四天王
― 第26話 湖に映る月 ―

 キアランたちは山を越え、川を渡り、ひたすら馬を走らせる。
 旅人が通る安全な道ではなく、道なき道を進む。村や集落、人のいる場所も避けた。
 四天王の襲撃を警戒してのことだった。
 そして、四天王に遭遇してから四日目の晩。美しい月夜だった。
 魔の者が入り込みにくい、清浄な森で、キアランたちは体を休める。
 月が高く昇るころ、キアランの隣でルーイは穏やかな寝息を立てていた。

 あれから、怖い夢は見ていないようだな……。

 キアランの顔に、自然と優しい笑みが浮かぶ。そういうキアランも、ライネのまじないが効いたのか、あれ以来悪夢は見ていない。
 キアランは、ルーイを起こさないよう、そっとテントを抜け出す。
 妙に眠れず、目がさえてしまっていた。
 
 四天王もシルガーも、回復にはどのくらい時間がかかるのだろう。

 いつまた襲ってくるかわからない。アマリアの魔法で、魔の者からルーイの存在がわかりにくいようにしてあるそうだが、再び嗅ぎ付けられるのは時間の問題だろうと思った。
 月明かりに導かれ、なんとはなしに歩く。

 四天王。魔の者の中の四つの頂点――。それぞれに、繋がりはあるのだろうか。

 耳を澄ませば、川の流れる音がする。日が沈む前、飲料水を汲んだり、体を洗ったりした川だ。皆のいるテントから遠く離れる気はなかったが、音に導かれるようにして歩く。
 不思議な気分だった。誰かに呼ばれているような気がした。
 月明かりと川の音に誘われるまま進むと――、キアランは、湖のほとりに出ていた。
 大きな湖だった。鏡のような湖面に、月が映っていた。

 少し歩くと、こんなに大きな湖があったのか。

 明日、皆に教えよう、そうキアランは思う。日の光に輝く広い湖を見たときの、ルーイの歓喜の表情が目に浮かぶようだった。

 きっと、ルーイは泳ぎたい、と言い出すだろうな。

 キアランの顔がほころぶ。

 今は暗いが、きっと、あちらこちらに野の花も咲いているのだろうな。

 キアランの思考は、水の流れのように移ろっていく。美しい風景を想像し、そしてキアランは思い浮かべた。アマリアと語らいながら、小鳥のさえずる湖のほとりをゆっくりと歩く様を。
 キアランは、急いで首を振り頭の中から想像を追い出した。思わず頬が赤くなる。なにを、考えているのだろう、そんな旅ではないのに、と。そして、自分とアマリアさんとはそんな仲ではないのに、と。
 不謹慎な気さえした。不真面目と思える空想を埋め合わせるように、想像の中にダンとライネも追加する。皆でこれからの対策について話し合う図を大急ぎで追加してみた。
 すると、そんな勝手な埋め合わせにダンとライネを使ったことが、今度は二人に申し訳なく思えてくる。

 なにを考えているんだ。私は。

 キアランは、ため息をつく。ますます眠れそうもないな、と一人呟く。
 森の中の静まり返った湖は、神秘的な美しさをたたえていた。

 でも、どうしてここに来たのだろう。自然と足が向いてここまで来たが、まるで、誘われて来たような、そんな気もする――。

 風が、頬を撫でた。湖面の月が揺らぐ。

 あ。

 水に映る月のゆらめきの上に、突然人影が現れた。

 白い、翼――!

 その人影には、一対の輝く純白の翼があった。
 湖上に立つ、有翼の人物。月明かりが、金色に照らす。不思議なことに、その光は次第に明るさを増していく。
 気が付けば、きらきらとした明るさにすっかり辺りは満たされていた。

「キアラン――」

 緩やかな金の巻き毛をした、翼を持つ人物が語りかける。

「! どうして、私の名を――!」

 キアランが驚いて目を見張ると、微笑みながら翼をゆっくりと羽ばたかせ、キアランの前に降り立つ。それはまるで羽が音もなく地面に舞い降りるような、優雅で優しい動作だった。

「私の名は、カナフです」

 吸い込まれるような、深い青の瞳。穏やかで美しいその声は、まるで天上の音楽を想像させるような、神秘的な響きがあった。そして、湖を満たす不思議な光の他に、カナフの周りには、放射線状の柔らかな金色の光が輝いている。

「もしかして、あなたが――! 高次の存在……!」

「ええ。そう呼ばれる者の、ひとりです」

 カナフは、清らかな微笑みでうなずく。

「なぜ、あなたが――」

 そこまで呟いて、キアランはハッとする。

「もしかしてあなたが、アマリアさんやダンさんたち、『四聖よんせいを守護する一族』と交流しているという『翼を持つ一族』――」

 カナフは微笑みながら、ゆっくりと首を左右に振った。

「いいえ。私は彼らとは違います」

「違う……?」

 キアランは意外に思った。自分の名を知っているということは、アマリアやダンの一族と交流している高次の存在なのだと思ったのだ。

「キアラン。私は、ずっとあなたを探していたんですよ」

「探していた……? なぜ私を!?」

 カナフは、包み込むような眼差しでキアランを見つめている。

「……来るのが遅くなって、本当に申し訳なく思います」

 カナフの視線は、キアランの瞳から天風の剣へと移る。

「……懐かしいですね」

「え!?」

 カナフは、天風の剣を見つめて目を細めた。その微笑みは、昔を懐かしむような、愛情と悲しみの混ざったような、複雑な笑みだった。
 そのとき、カナフの笑顔に応えるように、天風の剣が青い光を放った。

「アステール!?」

 キアランは驚いて天風の剣の名を呼ぶ。

「アステール、と名付けたのですね。いい名前です」

 カナフの顔が、どこか嬉しそうに輝く。

 どうして……? アステールと、いったいなにが――。
 
「カナフ、ええと、カナフ様……!」

 キアランは、高次の存在の名を自分が口に出していいのかとためらいつつ叫んだ。人との接触を避けているという高次の存在、それなのに、自分が――、魔の者の血が半分流れる自分が、軽々しく話しかけてもいいかどうか、迷いがあったのだ。
 カナフは、くすっ、と笑った。まるで、人間のような笑いかただった。

「カナフで、いいですよ」

「い、いえっ! まさか! そんな!」

 慌てるキアランに、カナフは親しみやすく、まるで人間のように肩をすくめた。

「『様』はやめてください。なんだか落ち着きません」

 キアランは、ためらいがちに呼びかける。

「ええと、じゃあ、カナフさん――」

「……どうして私があなたやアステールを知っているのか、それを尋ねたいのですね」

「は、はい……!」

 カナフは、じっとキアランの瞳を見つめた。
 透けるような金の巻き毛が、風に揺れていた。
 形の整った唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……私は、あなたのお父上の友です」

「……え!?」

 さっと、影が現れた。
 月に黒い雲がかかっていた。
 キアランの瞳は、カナフの姿を映し続ける。キアランは、自分がどこか遠くにいて、カナフと自分の向かい合う姿を、ぼんやりとただ傍観している、そんな気分になっていた。
 キアランは、急いで首を振った。カナフの思わぬ告白にひどく衝撃を受けたが、ぼうっとしている場合ではない。

「私の父……! 四天王の……!」

 カナフの表情が、柔らかな笑みから真剣なものに変わる。

「あなたの、お父上は――」

 そこまで話して、カナフは空を見上げた。雲の動きが、いつの間にか速くなっていた。湖面が黒くさざめく。
 ひときわ、冷たい風が吹いた。なぜか、寒気がするような――。

「……いけない」

「え」

「近付いている」

 カナフの目に、険しさが宿る。

「? なにが……」

 キアランは、まだなにも感じなかった。カナフが感じ取った異変を。もっと近くに来れば、キアランも必ずわかったであろう、異変を。
 キアランの感覚が格段に鋭くなったとはいえ、高次の存在や、魔の者の中でも特に能力の高いものの感覚と比べると、やはり大きな開きがあった。
 カナフは翼を羽ばたかせ、空へと舞い上がった。

「キアラン……! アステール……! また会いましょう!」

「カナフさん……!?」

「大丈夫……! また会いに来ます……!」

「カナフさん!」

「必ず……! また……!」

 カナフはそう言い残すと、あっという間に月の光の中へと消えていった。
 暗闇。先ほどまでの明るさはもうどこにもない。キアランは、雲の合間から見える、月と星の明かりだけが頼りの世界に戻っていた。

「私の父……」

 キアランは、うわ言のように呟く。

「四天王の……、友人……?」

 アステールの光も、いつの間にか消えていた。
 湖面に漂う、はかなげな月。
 キアランの瞳は、いつまでも波立つ湖を映し続けていた。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

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